食事をしていると、ロボットの紋次郎が入ってきた。 龍次の傍らで立ち止まり、頭を下げた。 「龍次さんに、お願いがあります。」 龍次は、紋次郎を見上げた。 「なんだね?」 「物置き小屋にある自転車用の、アルミのミニリアカー、捨てるって言ってましたね?」 「ああ、使わないから邪魔なんだよ。それがどうしたの?」 「あのミニリアカーをください。」 「いいけど、どうするの?」 「困っている子供がいるのです。その子にあげたいのです。」 「困ってる子って?」 「龍次さんが教えてくれた、トマト売りの少女です。」 「あの子にあげるの?」 「はい。子供がトマトを持って歩くのは大変です。だから、あの子にあげたいのです。」 「ああ、それはいい考えだね。気がつかなかったよ。持って行ってあげなさい。」 「ありがとうございます。」 「君は、見かけによらず、心が優しいんだなあ。」 「ロボットには心なんてものはありません。人間を黙って助けるのが、ロボットの仁義でござんす。」 「ござんす、ロボットの仁義?」 「はい。」 「仁義なんて、懐かしい言葉だなあ。」 「膳は急げと言いまする。失礼いたしまする。」 紋次郎は、深く頭を下げると出て行った。 アキラが二人に質問した。 「変んな言葉使っちゃって。仁義って、なに?」 ショーケンは鼻で笑っていた。 「変な時代劇でも観たんじゃないのか。仁義ってのは、仁義だよ。」 解説を始めたのは、やはり龍次であった。 「仁義の仁とは、己に克ち、他に対するいたわりです。義とは、倫理にかなっていることです。」 「ふ〜〜ん、なんだか難しいんだね。」 「昔の論語(ろんご)の教えです。孔子(こうし)の儒教(じゅきょう)ってやつです。」 「う〜〜ん、ますます分かんねえや。」 「子曰(しのたま)わくってやつです。聞いたことありません?」 「しのたまあく?…ぢぇんぢぇん、さっぱり。」 「やっぱり、時代が違うんですね。」 「がたがた、のたまってんじゃねえよ!ってのは聞いたことあるけど。親父がよく言ってた。」 「あっ、そうですか。」 「昔は、そういうの教えてたの?その、しぃなんとかって言うの?」 「昔って言っても、わたしの親の親の時代ですけど。祖父が、よく言ってましたね。」 「俺の爺ちゃんは、そんなこと言ってなかったなあ。」 「そうですか。」 ショーケンが横から口を出した。 「階級が違うんだよ。」 「かいきゅう?」 「この方は、労働者階級じゃないの。」 「ろうどうしゃかいきゅう?」 「一流大学でのインテリ階級。ただ働くだけの労働者じゃないの。」 「なるほどね。俺んちは、ずっと貧乏だったからね。大したもんだっだよ。」 「貧乏を威張ってどうすんだよ。」 「貧乏を、馬鹿にしちゃあいけないよ、兄貴。」 龍次の表情は、いつものように静かがった。諭すわけでもなく、誇示するわけでもなく。 「そうですよ。人間は、皆平等です。」 「皆平等だよね。学校の先生も、同じこと言ってたよ。」 親のないクローン・ショーケンの目は冷たかった。 「そんなもの、この世界のどこにあんだよ?」 「あるよ、探せば、どっかに。」 「どこにもないよ。そうやって、み〜んな騙されてんの。」 「誰に?」 「上の連中にだよ。」 「そうかなあ?」 「そういうのを、絵空事(えぞうあごと)って言うんだよ。そんなものはどこにもないの。」 「えぞらごと?」 「結局、人間も野蛮で残酷な動物なの。動物の世界には、平等なんてものはないの。」 「人間は、そんなんじゃないよ。」 「どんなんだよ?」 「もっと、助け合って生きてるよ。」 「他人の不幸を見て生きてるんだよ。動物よりも残酷な動物なの。」 龍次が、堪らず口を挟んだ。 「ショーケンさんは、クールだなあ。」 「兄貴は、いつもこの調子。」 「そうなんですか。」 「超クールなの。」 「論語(ろんご)なんて、昔の昔のことです。知らなくって、当然です。」 「それじゃあ、分かるわけないや。」 「そうですね。」 「論語って、たとえばどんなの?参考のために。」 「身体髪膚(しんたいはっぷ)これを父母に受く、あえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり。」 「しんたいはっぷ…、な〜んだか、言葉から分かんねえや。」 「親からもらった身体を大切にすることが、親孝行の始めである。という意味です。」 「…なある、ほどね。ピンとこないけど、意味は分かるよ。」 「やっぱり、今の時代の人には合いませんね。」 「親孝行ってのが、よく分かんねえ。」 「なあるほど。そうかもしれませんね。子供を虐待してる親がいるくらいですから。」 「そもそも、ろんごって何なの?」 「孔子(こうし)の言葉を集めた書物です。」 「その人、かなり昔の人なんだ?」 「正確な年代は忘れましたが、二千五百年くらい前の中国の人です。」 「そ〜んなに古いの。骨董品じゃん!」 「まあ、そうです。」 「なっんで、そんな骨董品の考えを、ちょっと前まで教えてたの〜?」 「そうですねえ、そう言われれば。」 ショーケンの言葉が、割って入った。 「つまり、親不孝をしてはいけないという教えでしょう?」 「そうです。その通りです。」 「今時は、親が子不幸してんじゃないの。だから、こんな所に来る人間がいるんじゃないの?」 「そうですねえ。」 龍次は、強く頷(うなず)いた。 ざわざわと音を立てて、川の水は同じ場所をいつものように流れていた。
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