江来(えらい)博士は、模型ボブスレーの途中のコースで立ち止まった。 「せっかく来たんだから、見ていこう。」 みんなも立ち止まった。紋次郎が尋ねた。 「この中の蜂は大丈夫ですか、出てきませんか?」 「大丈夫だよ。炭酸ガスで死んでいるから。」 「あ〜、そうなんですか。」 「あそこがビューポイントだな。」 みんなは博士の指し示した場所に腰をおろした。 コースを模型ボブスレーが勢いよく走っていた。少年のように何事にも好奇心旺盛な博士の目は輝いていた。 背後から、声がかかった。 「江来(えらい)先生!」 博士は振り向いた。 「杉田さん!」 「お久しぶりです!」 「どうしたんですか?ハイキングですか?」 「残念ながら、仕事なんですよ。」 「お仕事?」 「実は、候補地を探していましてねえ。」 「候補地というと、新しい塾のですか?」 「はい。」 「こんなところに?」 「今までの塾とは、ちょっと違うんですよ。」 「えっ?」 「進学塾じゃなくって、人間塾なんですよ。」 「人間塾?」 「若者の病んでる心を、健康にするための塾なんですよ。健康というか、当たり前の人間に。」 「当たり前の人間に、ですか?」 「今の人間は、普通じゃないんですよ。心が病んでいます!」 「方向転換ですか?」 「そういうわけではないんですよ。今の社会が要求しているんですよ。」 「そういう需要があるということですか?」 「はい。」 「どういうことを教えるんですか?」 「人間として基本的なことです。人情とか、慈悲の心とか、自然や動物と調和して生きるとか、我々の世代が当たり前のようにしていたものです。これを、今すぐにでも是正しないと、日本は心も社会も必ず潰れます!」 彼の目は、革命家のように強い決意に満ちていた。 「やりますねえ〜、杉田さん!」 「わたしは、本気ですよ!」 「前々から、普通の人じゃないと察していたけど、やっぱりそういう人だったんだ〜!」 「心の維新ですよ!やりますよ、見ていてください!」 彼は坂本竜馬の写真のようなポーズで、遠い空を見ていた。 赤い模型ボブスレーがやってきて、見事に滑走しながら下って行った。 見ていた見物人が叫んだ。 「おっ、今度のは早いぞ〜!」 初秋の空は、爽やかに晴れていた。
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