小さな雲が寂しそうに泳いでいた。アキラは、あの雲は自分だなあと思っていた。雲が「にいざお!」と言って挨拶しているように見えた。ヨコタンが不思議そうに、アキラの顔を見た。 「どうしたの?」 「にーざお!」 「えっ?」 「あなたも知らないことがあるんだ?」 「そりゃあ、ありますよ。た〜くさん、なんですか、に〜ざおって?」 「おはよう、です。中国語です。」 「あ〜〜、ニィ〜・ザオね。発音が悪いわ。ニィ〜・ザオよ。」 「ニィ〜・ザオ。」 「うん、まあいいかも。」 「誰に教わったの?」 「真由美ちゃんに教わっちゃった。」 「真由美ちゃんに?」 「真由美ちゃんって、中国語を知ってるんだ。びっくりしちゃった〜ぁ。」 「ああ、分かったわ。伊集院さんの近くに、中国人留学生の寮があるんですよ。」 「あ〜あ、じゃあ、さっき通ったのは学生だったんだ。」 「高野山大学の留学生なんですよ。」 「ここには大学もあるのぉ?」 「あります。平安時代に空海が朝廷より認定された大学があります。」 「平安時代!」 「かなり古い話ですね。」 「古過ぎてちゃってるよ〜〜。」 「日本で、最も古い大学でしょうね。」 「そりゃあ、古すぎだな〜ぁ。びっくりしゃっくりだよ〜。」 「びっくりしゃっくりですか。」 「ニィ〜・ザオ、かあ。」 「これからは、中国の時代ですね。」 「そうなの?」 「アメリカは、もう駄目でしょう。」 「そうなんだ。」 「第一、人の数が違いますから。」 「そんなに多いの、中国って?」 「約十三億人だったかな。」 「そ〜んなにいるんだ。びっくりしゃっくり!」 ピーヒョロロロロ… 聞いたことのある鳴き声に、アキラは上空を見上げた。 「あっ、トビだ!」 「トンビだわ。」 「こんなところにもいるんだ。海岸ばっかりと思ってたら。」 「トンビは、どこにでもいるんですよ。」 「そうなんだ。」 「鷹の種類ですから。」 「鷹なのか…」 「ここは、なんだか、心が安らぐなあ。」 「もうすぐ、紅葉だわ。」 「紅葉かあ、気持ち悪いなあ。」 「えっ、気持ち悪い?」 「だってそうじゃん、山が血のように真っ赤に染まって。」 「血のように?」 「ありゃあ、死ぬ前の血の色だよ。」 「死ぬ前の血の色?」 「枯葉だろう。散る前の、つまり死ぬ前の枯葉の色だろう。」 「そうだけど。」 「死ぬ前のものを眺めるなんて、趣味が悪いよ〜。」 「な〜るほどね。」 「あれをわざわざ眺めに来るなんて、気味が悪くて、ぞ〜〜っとするよ。いったいどういうこと?」 「そうなんだ。」 綺麗な赤い服を着た、小さなお地蔵さんが道脇に佇んでいた。 「あっ、お地蔵さんの服が変わってる。」 「可愛いなあ、このお地蔵さん。」 「お参りして行きましょう。」 「ああ、いいよ。」 地蔵菩薩の横には看板があり、 大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包みこみます。 と書いてあった。 「真言知ってます?」 「しんごん、って?」 「お地蔵様に挨拶するときの言葉です。」 「え〜〜、そんなのあんの?」 「じゃあ、わたしの言うとおりに真似してください。」 「いいですよ。」 彼女は手を合わせた。アキラも真似して手を合わせた。 「オンカカカ。」 「おんかかか。」 「ビサンマエイ。」 「びさんまえい。」 「ソワカ。」 「そわか。」 言い終わると、ヨコタンは時計回りに一回転した。アキラも真似して、一回転した。
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