大地の上では、いとも簡単に風が吹き、いとも簡単に川の水が流れていた。この不思議な出来事を人々は不思議なこととは思わずに暮らしていた。大地は、理屈以前の当たり前の母であった。 今、大地では、刻一刻と古い生命が死に、刻一刻と新しい生命が誕生していた。新しい生命と、新しい死が、大地のどこかで、ほぼ同時に誕生していた。 高野山では、高野四郎の鐘が鳴り響いていた。少女は不動谷川の浅瀬の前で、月を見ていた。 「あっ、お月さんが鐘で震えてる。」 「お月さんが、鐘で震えるわけないだろう。おまえの魂が鐘で震えてるんだよ。」 「お兄ちゃん、もう帰ろうよ。」 「もう一匹だよ。」 まさとは、アマゴを手で掴み取っていた。 「お兄ちゃん、どうして夜に取るの?」 「さかなが寝てるからだよ。」 「ふ〜〜ん。」 「大きな石の流れのないところで寝てるんだよ。」 「ふ〜〜ん。目をつぶって寝てるの?」 「そんなの知らないよ。」 「つぶっていると思うよ。」 「そうだな。」 まさとは、スローな動きで静かに移動した。 「真由美、ちょっと黙ってろ。」 「うん。」 真由美は、しばらくじっとして見ていた。二分くらいだった。まさとの両手が動いた。 「取ったぞ〜!」 まさとは、バケツに入れた。 「よし、これで六匹!」 「よかった〜!」 「さっ、帰るぞ。」 「あ〜、熊の五郎が出てこなくて良かった。」 「ここは電灯の灯りがあるから大丈夫だよ。公園の中だし。」 「そうだけど。」 「出てきたら、それを点けて振りまわせば逃げて行くよ。」 真由美は、手に警備用の点滅棒を持っていた。 「ほんとうに逃げて行くの?」 「ああ、動物は、赤くピカピカ光るものを怖がるんだ。」 「ふ〜〜ん。」 「それに、五郎は子供は相手にしないよ。」 「どうして?」 「相撲にならないだろう。」 「ふ〜〜〜ん。」 「さっ、行こう!」 「いちど、五郎を見てみたいなあ。」 「そんなこと言ってると、出てくるぞ。」 どこかで赤ん坊が泣いていた。 「あっ、赤ちゃんが泣いてる。」 まさとは、バケツを持って歩き出した。 「おまえも、ああやって泣いていたんだぞ。」 「え〜、ほんと?」 「ああ、大変だったよ。」 「ほんとに?」 「ああ、夜中に泣き出すんだよ。それで俺がおんぶして、よしよしと言いながら歩くんだよ。この辺りをな。」 「そうだったの。」 「そうだったんだよ。」 「お兄ちゃん、いくつだったの?」 「小学校の五年か、六年だったかなあ。」 「お兄ちゃんも、苦労したのねえ。」 「別に、苦労じゃないよ。」 「赤ちゃんは、どうして泣くのかしら?」 「さぁ〜〜あ、どうしてだろうな?」 「大人は泣かないね。」 「大人は泣かないよ。」 「どうして?」 「大人が泣いたら、笑われるだろう。」 「どうして?」 「どうしてって、大人だからだよ。」 「ふ〜〜ん。」 「子供みたいに、泣きべそかいて歩いている大人はいないだろう。」 「うん、そうだね。大人は転んでも泣かないね。」 「転んで泣く大人はいないよ。」 「転んで泣く大人がいたら、面白いね。」 「面白くないよ。」 「そうかしら。」 真由美は、月を見た。 「お兄ちゃん、お月さんって、大昔から空にあるの?」 「そうだよ。何億年も前からあるんだよ。」 「なんおくねん?いつごろ生まれたの?」 「何十億年前だよ。」 「なんじゅうおくねん?じゃあ、お月さんも死ぬの?」 「…死ぬんだろうなぁ。ず〜〜〜っと、先の話だよ。」 「ふ〜〜〜ん。お月さんも、赤ちゃんのときは泣いたのかしら?」 「お月さんが泣くか!真由美はときどき面白いことを言うな〜。」 「お月さんが泣いたら大変だよね。」 「なんでだよ?」 「大雨になって、みんな海に流されるわ。」
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