姉さんの心は好奇心で、ぶんぶんぶんと子供のようになびいていた。 「あっ、またムササビだ!」 アニーは、ひょうひょうとした清楚な振る舞いで、中指を立てこめかみのやや上を押しながら返事をした。 「だいたい、このくらいの時間になると、山から飛んで下りて来るんですよ。」 ムササビは、取った葉を両手で真ん中で折りながら食べていた。 「わ〜〜、可愛い食べ方〜!」 「両手で食べてるんでしょう。」 「ええ、手を合わせて、お坊さんみたい。」 「そうなんですよ。」 「ムササビって、主に何を食べているんですか?」 「木の若葉や山桜や山つばきの花や、どんぐり等の実です。」 「わたし、今までムササビを誤解してました。」 「どういうふうにですか?」 「ムササビって、カエルとかを食べる、もっと獰猛(どうもう)な動物かと思っていました。」 「肉食の獰猛なやつかと?」 「ええ、そう思ってました。じゃ、なかったんですね。」 「みなさん、そう言いますね。姿かたちから来るんでしょうね。」 「つまり、見かけで判断してはいけないってことですね。」 「そういうことですね。」 「人間もそうですね。」 「そうですね。」 「どこからやって来るんですか?」 「山の上の大きな木の洞(うろ)に住んでいるんです。そこから毎日やって来ます。」 「いいなあ〜、そういうのって。御伽噺みたいで。」 「そうですね。」 「ムササビって、何の仲間なんですか?」 「リスの仲間です。」 「そう言えば、食べ方はリスですね。」 初秋のメントールの匂いのセンチメントールの風が、ひょ〜いひょいとひょひょいのほいと楽しそうに高野山の高原を、すすきを蹴っ飛ばしながら駆けていた。 姉さんは窓から、その風たちを親しげな目で見ていた。 「いいなあ〜、風小僧は。」 「風小僧ですか?」 「はい。風を見ると、楽しかった幼い頃を思い出すんですけど、どうしてなんでしょうね。」 「きっと、人間のDNAの中にある原風景なんではないでしょうか。心の原風景なんだと思います。」 「心の原風景。とってもロマンチックな言葉だわ。」 「そうですか。」 「アニーさんらしい言葉だわ。」 「そうですか?」 「アニーさんは、きっと心がロマンチックなんですね。」 「葛城さんこそ、風小僧だなんて。とってもロマンチストだわあ。」 「わたし、きっと、心がおてんばなんですよ。」 「心に余裕があるんですよ。」 「そうなのかなあ。」 「ほんとうに、おてんばだったんですか?」 「ええ。よく男の子を虐(いじ)めて、わたしの親が謝りに行っていました。」 「男の子をですか?」 「はい。だって男のくせに弱虫ばっかなんだもん。」 「弱虫は嫌いだったんですね?」 「そういうことでしょうね。」 「虐めの背後には、優しさがあることが多いんですよ。」 「えっ?」 「医者が病気を憎むように、その人が憎いのではなくって、背後にある病気が憎いんです。」 「背後にある病気?」 「だから、外科医は手術が出来るんです。病気が憎いから。病気をメスで虐めるんです。」 「…」 「つまり、虐めは、そのメスなんですよ。弱虫の背後にあるものが憎いんですよ。」 「弱虫の背後にあるもの…」 「怠惰な心とか、だらしない行動とか。」 「なあるほど。」 「今でも弱虫は嫌いなんですか?」 「今でも、意気地なしの男は嫌いですね。」 「わたしも、嫌いです。」 「男は、魂がヤザワしてなきゃ駄目よ。」 「やざわ?」 「ロックンローの矢沢よ!」 「矢沢の永ちゃんね。」 「成り上がりの根性がない男は男じゃないわ。」 「賛成〜〜〜!」 「ROCKIN' MY HEART!」 「ROCKIN' MY HEART!」 姉さんは、にこっと笑ってウインクをすると首を傾げた。 「ふふふ、おもしろいわ。」 「おもしろいですか?」 「なんとなく想像できますわ。」 「おてんばのこと?」 「ええ。」 「あちゃ〜〜〜ぁ。やっぱし。」 「わたしも、そういうふうになりたいなあ。」 乙女チックでセンチメントールの風が、姉さんの臭覚をくすぐった。姉さんは、鼻に人差し指を当てた。 「まいったなあ〜。」 福之助が目を開けた。 「姉さんが、まいることがあるんですかぁ?」 「なんだよ、おまえ。黙って寝てろ〜!」 「おやすみなさ〜〜い!」 福之助は、静かに目を閉じた。
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