二〇一九年三月六日。 国会にて。 胸を撫で下ろす与党議員と憤りの表情を隠せない野党議員――。 以前まで絶大な力を持っていた既成政党が完全に影響力を無くし失脚した。そして、あの新党が台頭し維新を実現させていた。 その第一党が国会の仕組みをバッサ、バッサと斬るよう に変えていく 中で。 この日、一昔前では信じられない法律が可決された。 その法律は生命放棄阻止法だ。 それまでの自殺対策基本法での対策は少しづつ自殺件数が減少してきたものの、毎年三万人弱のひとが自ら命を断つ現状は変わらなかった。これでは山本孝史議員が報われないと山本議員をリスペクトする与党の若手議員が端を発し。野党の反発と「極めて。乱暴。あってはならい法律」と 声を上げ抗議活動続けた人権団体の反対を押し切って可決、成立されたものだった。 こうして可決、成立された生命放棄阻止法の目的は。 「過去十年、我が国においての自殺による死亡者が三万人弱で推移している。自殺対策基本法施行後、自殺総合対策大網策定、自殺対策加速化プラン策定、地域自殺対策緊急強化基金の造成などの対策を打ってきたが、この現状を打開するこができなかった。この事を踏めえ、自殺を防止する事は生半可な事では止められないと 国民全体が捉えるようになり。これまでの自殺行為を止めるという考えを捨て生命を放棄する行為ははあってはならないものでそれは罪に値し 刑法によって裁かれなければならない。という方針で取り組むこと によって自殺の概念を崩壊するのが目的である。また、生命放棄に追い込む行為、それを誘発する行為については以前よりも厳しく 処罰する」 これは自殺対策基本法が成立して十年以上、政府が自殺対策をないがしろにしていたこと認め。 また、その相談電話、その相談窓口、自殺対策強化月間のイメージキャラクターに売れっ子アイドルの起用が無意味であったことを認めた 日でもあった。 そして、同一三日。 生命放棄阻止法と。 刑法第二編罪、第四十一章、生命放棄に関する 罪 〈第二百六十五条、生命放棄未遂〉 〈第二百六十六条、自傷〉 〈第二百六十七条、生命放棄文書及び遺品毀棄、偽造〉 が公布された。 また、附則として〈第二百二条の総称名を生命放棄関与及び同意殺人に変更する。 及びこの罪の上限の法定刑期を十年に引き上げる 〉 これも 同日に公布された。 同年、九月七日に施行された。 その法律が施行され、一年が過ぎた。二〇二〇年一二月五日。 大雪の北海道霧野市。 北海道霧野地方裁判所。 自傷罪で逮捕された女の裁判が行われていた。 「判決を言い渡します。被告人、北原舞を懲役一ヶ月に処する。理由は被告人が執行猶予期間中にもかかわらず自分の手首を自分で切る リスト カット を起こしました。被告人は付き合っていた 男性との結婚話の破談による心の傷がまだ癒えてないとはいえ、前回から一ヶ月という早さで再犯をしました。それは家族、友達、職場の心配を無視するもので、このような事を何度も起こしてる現状を打破しないと 被告人の社会的信用、家族との信頼関係が断絶するする可能性が大きく なります。そうなると、あなたはますます自傷、生命放棄の願望が強く なります。あなたの人生は」 「裁判長」 三〇代ぐらいの若手裁判官は判決を言ってる裁判長が情を入れすぎていると思い指摘した。 「うん。被告人の人生はまだまだこれからです。あなたは器量が良いですし、人への思いやりの心が復活すれば良い出会いがまた来るでしょう。そのためにはこの懲役期間でしっかりと反省して下さい。北原さん。期待してます」 「はい」 彼女は小さく 返事をしてから 軽く 頷いた。 その時、年配の女性裁判長は先ほど指摘した若い男性裁判官を睨み付けた。 それは「よく もさっきは私の邪魔をしやがって」と いう 事を意味しているものだ。 その裁判官は目線を中央に座っている裁判長に向けていたが、その目線を彼女の肉親、数名しかいない傍聴席へと変えた。 「では。以上が判決理由です。では、これで裁判は終わりますが何かお聞きしたいことはありますか?」 人情派の裁判長は目線を彼女に戻した。 「ありません」 「そう ですか。コン。コン。コン」 木槌によって閉廷が告げられた。 そして、翌朝。 彼女は母親の運転する車に同乗して刑務所まで来た。 その車は敷地に入るため門の前で止まった。 その門には〈灯野生命放棄阻止女子刑務支所〉と書かれた看板が掲げられていた。 また、この刑務所は他の刑務所と 違って塀が無い。日本男性の平均身長ぐらいの人であれば簡単に進入できる高さのフェンスで敷地の周りを囲っている 。 政府はこの刑務所を他の刑務所と一線を画したものにしたいという意向でこのような塀が無い刑務所を作ったが、国民の大半は「それなら罪にしないで、そのような施設を作り、そこで更生させた方が社会的信用を失わないで社会復帰できるのではないか」という ある コメンテーターの発言に賛同していた。 ごもっともな意見だが、一度やると決めた事を国民の意見などでふいにはできない政府はこの世論を無視した。 いくら自政党のメンツを守るためであっても「国民の意見は絶対に国会に反映させる」とマニュフェスト 書いた政党のやること ではない。 政府の体質は以前と変わっていなかった。 その車は男性の警備員に通行許可を得て、ベージュ色の門扉を開けてもらいそこを通過した。 車を面会者専用駐車場に停め車から降りた彼女らは着替え類が入っているバックを手に持ち、その施設の玄関に向かった。 そして、彼女らは玄関口で待っていた若い女性刑務官に案内され施設内に入り、入り口からすぐの部屋に入っていった。 「こちらに目を通して、署名をお願いします」 席に着いた彼女は刑務官に言われたとおりに机に置かれた紙に目を通し、サインをした。 その口調は世間がイメージする刑務官とは思えないほど優しいものだった。 それも そのはず、この刑務所はPFI 刑務所[ 民間の経営能力や技術を活用し、 公共施設を建設したり運営したりする。プライベート・ファイナンス・イニシアチブ方式 の刑務所。 ]でこの女性は大手警備会社の社員である。この刑務所で働く 刑務官四人は支所長、次長以外は国家公務員ではない、この刑務官、もう一人の刑務官は同じ会社の社員である。政府からのお達しで生命放棄阻止刑務支所の民間刑務官には精神保健福祉士の資格を有するものでないと 刑務官として働けないので、全国のPFI 刑務所に多く の民間刑務官を派遣するこの大手警備会社ではこのお達しを受けその資格を有するものを採用を急務で行い。なんとか、前の年のこの施設の開所時に全国に一二箇所あるうち、ノルマである六箇所に民間刑務官を派遣した。 その後、刑務官は北原に対して入所時オリエンテーションを行った。 その内容は、一日の流れ、心構え、禁則事項、禁則事項を破ったときのペナルティー、労働報奨金などについてだった。 「以上です。質問はありませんか?」 「ありません」 「では、受刑者と 刑務官を紹介するので食堂に行きましょう 」 「はい」 「私は行ってもいいのですか?」 立ち上がりドアに向かって歩き出した刑務官に彼女の母親が尋ねた。 「はい。もちろんです」 刑務官が先導し、その後に二人がついていく かたちで食堂に向かった。 刑務官が食堂の扉を ガラ、ガラッという 音をたてて開けた。 そして、刑務官のあとにそこに入った彼女らにはテーブルの席に座っている受刑者たちの鋭い眼光が向けられた。 その眼光が放たれるテーブルを通り抜けて彼女と 母親はテレビの前まで誘導された。 その前には他の刑務官たちが横一列に整列していた。 その刑務官たち が彼女と母親をその真ん中へ招きいれた。 「はじめましょか?」 「はい。それでは始めます。まず、最初は北原さんに刑務官の紹介をします」 この刑務所では受刑者を番号で呼ばない。 彼女から見て右端の女性が左端のその刑務官に北原のための顔合わせ進行をするように促した。 「パチ、パチ、パチ、パチ」 刑務官からの拍手の促しはなかったが受刑者から拍手がおくられた。これは慣わしであろうか? 「では、最初は所長[ 実際の役職名は支所長なのだが、こ この受刑者、刑務官は所長と呼ぶ。 ]お願いします」 その刑務官が右端の女性に顔を向けて自己紹介の依頼をした。 「私は支所長の長内です。ここは警備員さん以外は全員女性なのでわからないことがあったらみんな親切に教えてくれるので何でも 聞いてくださいね」 支所長は彼女に顔を向け話した。 「同性だからといってなんでも 聞けるとは大間違いだ」あの一件以降、擦れてしまった彼女はそう思った。 ちなみに外にいた警備員も大手警備会社の社員だ。 この会社はこのような半官半民体制での矯正施設の運営が進んでいる中で当初は社員の派遣を独占していたが、年々ライバル会社にその権利を奪われているのであのような無理難題を押し付けられても二つ返事をしないと旨みのある官の仕事のシェアをライバル会社に譲ってしまう 事になる。 「はい。ありがとうございました。次は次長お願いします」 次長は支所長の隣に立っている。支所長と同じ四〇代前半の女性だ。 その支所長、次長共に右胸に同じバッジをしていた。 このバッジは看守長のバッジだ。 女性刑務官は人数が少ない上に早期退職者が多いため看守長に昇進すれば即、女子刑務支所の支所長か次長のポスト につけてしまう。 「はい。次長の神埼です。先ほど説明を受けた通り、なれない酪農作業になりますが牛達にたくさんの愛情をもらって刑期を終えれるように頑張ってくださいね」 この刑務所ではこの建物に裏にある牧場で刑務作業を行う。 生命放棄刑阻止刑務支所の刑務作業は農作業または酪農作業をする事と法律で定めている。 これは自然を感じて青空の下で作業することで心を開放し自殺願望の抑制をねらいとしてる。 夏時期は厩舎作業に加えてデント コーン[ 繊維質の少ないとうもろこし]の栽培などを全員が外に出て作業をする。しかし、この時期のこの地方は外が雪で包まれてしまうので、厩舎作業組と 乳製品加工組に分かれて作業をしている。 「ありがとうございました。次は滝井刑務官お願いします」 滝井は彼女の左隣にいるの女性だ。 「はじめまして。滝井です。刑期を有意義な時間にできるよう頑張ってください。私も出来る限りの事はさせてもらいます。一緒に頑張りましょう」 「ありがとうございました。恐縮ですが次は私が自己紹介します。先ほども名乗りましたが、水本といいます。北原さんとは同じの三〇歳なので分かりあえる部分が多々あると思うので一緒に頑張りましょう」 ちなみに 滝井も彼女らと同じ年齢だ。 同世代だからといって多くを分かりあえる。そんな正常な思考を持っていたら彼女はここに来てない。 「じゃあ。北原さん。みんなに自分の紹介をおねがいします。差し支えなければここに来た経緯もお願いします」 「はい。北原舞です。私はリストカットを繰り返しここに来ました。酪農作業は大変だと聞いていますが、精一杯がんばって罪を償いここを出て行きたいと思うのでみなさんよろしくお願いします」 依然として、彼女らに向けられてる眼光にも臆せずに受刑者達に語りかけた。 そして、彼女のほかに九名いる受刑者達も それを語った。 「はい。では、これで終わります」 三〇分を超える顔合わせは終わった。 「お母さんではこ こでしばしのお別れという事で」 所長が母親に近づき帰るようにを促す。 「舞。がんばりなよ。じゃあね。また来るから」 「うん」 彼女は無表情なまま頷いた。 母親が帰り、食堂では食事の準備が進んでいた。 そして、彼女は昼食を終え、説明を受けた部屋に置いた二つのボストンバックを水本に片方のバックを持ってもらい自身の寝起きをする部屋に運んだ。 「北原さん。あとは前野さんに聞いてね」 「前野さん。よろしくね」 「はい」 この刑務所は十二人が収容でき、二人部屋が六部屋ある。 水本が部屋から 出て行き。彼女は入り口から見て左側に設置されているスチール製のロフトベットの下の空いてる スペースに荷物をおいた。 すると。 「ねぇ。カレンダーめく って」 彼女の反対側のベットに横たわる前野はその部屋のドアの内側に貼っているカレンダーを指差した。 「はい」 彼女はその日めく りカレンダーに歩み寄った。 そこには。 〈「重い」っていう言葉を誠意を持って叱ってくれる人や献身的に人に接する人に対して言われるようになったけど、人を支える力が無いやつの負け惜にしかに聞こえないし、そんなことを言う奴は人を持ち上げる力の無い奴だ。そんなお前には人間の器をでかくするキントレが必要だよ〉 と書かれていた。 彼女はそれを頷きながら見て含み笑いをした。前の男を思い出したのだ。 これを書いているのはという書家詩人である。近年ポジティブなポエムが人気を博する中、自分の想念の力を信じて岐路灯イズムを貫く。その言葉達に魅了されるものは少なく ない。刑務所までにそのカレンダーを持ち込んだ。前野もその一人だ。 彼女はそれを慎重にはがした。 次に現れれた文字は。 〈立ち止まんな。そこ には何もないから鮭みたいに死ぬまで動き続けるしかない。足を止めてしまったら後悔と嫉妬しか生まれないよ 〉 彼女はそれを時間をかけて目を通した。 「これ。どうするんですか?」 その後、彼女はどう みても年下の前野に敬語で語りかけ、手に持ったさっきのカレンダーを前野のに見えるように上にあげた。 「こっち」 依然としてベットに横たわり彼女に顔を隠すように両手でマンガを持っていた前野はマンガの位置を変えないでマンガを片手で持ち、空いた右手を伸ばした。 「はい」 身長一六三センチの彼女はそのベッドに近づき、爪先立ちでベッド柵の上からその手にカレンダー渡した。 「このカレンダーいいでしょ?」 「そう ですね。なんか自分の気持ちを代弁してくれてるみたいでいいですね」 「あんた。鮭なの?」 前野はマンガから目を出していた。 「そっちじゃな く て。重い方」 彼女は印字されてる方を上に向けて枕元に置いてある二〇センチぐらい四方のそのカレンダーを指差した。 「冗談だよ。なんか気が強そうな顔立ちしてたからあんまりかかわりたく ないと思ってたけど。なんか気に入ったから色々教えてあげる」 「うんありがとう」 「ところで、あんたいく つ?」 「三〇」 「そうなんだ。結構おばさんだね。私ははたちなんだけど。敬語使わなく ていいでしょ?」 「まあいいよ。呼び方はなんて呼べばいい?」 「雫だからしずく でいいよ」 「しずく って言うんだ。私もまいでいいよ」 「うん」 友達が出来たところで一二時四五分までの昼休憩が終わった。 昼休憩が終わり、厩舎作業をするため支給されたつなぎを着用し、同じく支給品の酪農作業用のゴム手袋をはめて厩舎へと 水本の付き添いで除雪された道を通り厩舎へ向かった。 この刑務所では作業のときは支給品を着用するが、作業以外では私服を着て良いことになっている。 「く さ っ」 彼女は小さな声で呟いた。 厩舎内に入り。厩舎独特の臭い、牛糞の臭いが彼女を襲った そこには受刑者四人とさっきはいなかった年配の男性がいた。 「この方は北海道知事認定就農ヘルパーの大和さんです。大和さんは自らも牧場を経営していて、こ この新人指導の講師をやってくれています」 彼女にその男性の紹介が始まった。しかし、彼女は水本の説明より牛たちに興味が沸き、水本に気付かれないように目を牛のほうに動かした。 「はじめまして、大和です。厩舎作業は肉体的にきつい仕事ですが、まずはこの臭いのきつさに慣れる事です。一周間位でみんな慣れるんでそれまで我慢してください。まあ。私のような生まれてから六〇年この臭いをかいでいれば芳香剤のようにしか感じませんけどね」 彼女は次に牛の数を数えた。 自分の年と 同じ三〇だった。 それをおかしく 感じて彼女は含み笑いをした。 彼女の職は小学校の教諭なのだが、これでは生徒と 同等の聞く 態度である。 「北原さんが笑ってくれたところで。でははじめましょう」 彼女のその笑いに感付いた大和は手ごたえを感じ てしまった。 「おねがいします」 彼女は糞の臭いに顔を歪めながら、必死に大和の指示通り、 糞と汚れた藁を溝に落とし、新しい藁をひいた。 「やるじゃない。はじめてでここまでやれたら立派だよ」 「はい」 「搾乳まで時間があるから、施設に戻って休憩していいよ」 「はい」 彼女は先に作業を終え、前を行く 受刑者たちの背中をみながら 刑務所に戻った。 食堂で休憩を取る彼女たち――。 彼女は他の受刑者達の輪に入れず、別のテーブルでポツンと座っていた。 友達の前野は地元農協の乳製品加工センターに働き に行ったのでこ こにはいない。 洗礼を受けた彼女はすること が無いのでその輪のリーダー格の女がつけたテレビを見ていた。 テレビのワイド ショー番組では生命放棄阻止法、関連の事が取り上げられていた。 「生命放棄阻止法ができて一年が過ぎて世間の生命放棄への考え方が大きく変わりましたが、杉田さんはどのよう に思われますかか?」 その番組の司会、薄野は生命放棄阻止法の問題点について専門に研究をしている杉田に意見を求めた。 「そうですね。確かに罪になったこと で生命放棄は絶対に許さないという 風潮が出来たというのは今まで世間が自殺を黙認していたことに比べれば この法はいい方向に進んでいると 思います。しかし、生命放棄阻止刑務所の定義のあいまいさや路上生活者の生命放棄阻止刑務所に入りたいがための生命放棄未遂、自傷の多発。生命放棄防止報奨金欲しさの警察への虚偽通報及び同じ く その報奨金欲しさの医師による過剰申告が問題になっているのでそこを見直さなければならないピッ」 彼女がごもっとも だと頷きながら見ていたのを気に食わなかったのか? そのリーダー格はテレビを消した。 政府のお達しでテレビ局各社は自殺と いう 表現を使わなく なった。 しばらくして、休憩が終わり。その集団にきづかれないように彼女はその後ろを歩き厩舎に向かった。 厩舎には先ほどまで刑務官の制服を着て北原の作業を監視していた水本が受刑者と同じ青色のつなぎを着て受刑者達を待っていた。 「さぁ。はじめましょうか」 水本はみなの顔をみて厩舎組全員を確認してから手を叩いた。 大和はの自分の牧場の搾乳があるので帰った。 「北原さんはこっち」 「はい」 みながおのおの持ち場に向かい作業に取り掛かる中、不安な表情を浮かべている彼女に水本は微笑みを浮かべながら声を掛けた。 「じゃあ。搾乳作業を教えるね。まずは牛さんたちに餌を与えます」 水本は手本を見せたあと、彼女にそれをやらせた。 「次は搾乳機つけるからね」 タンクへと繋がってるパイプラインの先には搾乳機がついてる。それを牛の乳につける。水本はいとも簡単にそれをと り つけるのだが、彼女は勝手がわからないのと搾乳機の重さに四苦八苦した。 「おつかれさま。最初なのにすごいよ」 「いえ。腕がパンパンですんなりはまらなくて」 「そうか。そうだよね。でも慣れだよ。それに刑期終わる頃には筋肉がついて二の腕ひきしまるよ」 「はい」 「じゃあ。戸締りして帰ろうか」 「はい」 北原は水本から戸締りのレクチャーを受けた。 「明日からは私は付き添わないから。でも心配しないで笹川さんがいるから」 「はい」 その笹川のことが一番の心配事であった。 彼女は刑務所に戻り、自分の部屋に着替えを取りに行ってから浴室に向かった。 浴室に着き。 「遅いよ。はやく つなぎ入れなさいよ」 「すみません」 ゆっく り来た訳ではないが彼女はリーダー格の笹川につなぎを洗濯機にいれるようせかされた。 「笹川さん。戸締り教えたからちょっと遅く なっちゃったの。 そんなにおこんないで」 「そうなの。まあ。最初だから、これ以上はいわない」 水本は彼女をフォローし、手に持っていたつなぎを洗濯機に入れて脱衣場を出ていった。 その集団が脱衣を済ませ、浴室に向かった。 それを見た彼女はほっとした表情を浮かべ脱衣を続けた。 彼女はその臭いのつなぎを洗濯機に入れ、脇に置いてあった洗剤を手にして、その中に入っていた。洗剤スプーンに洗剤をすり切り一杯入れて、洗濯槽に溢れているつなぎを手で押し込めそこに洗剤を投入した。 その蓋を閉め、ボタンを操作して洗濯機を回した。 彼女はエラー音が鳴らなかった事に胸を撫で下ろして浴室へ向かった。 その洗濯機の蓋にはマジックでデカデカと〈つなぎ〉と書かれていた。彼女はあの女の筆跡などわからなかったがせっかちなあの女仕業ではないかと思った。 「何してたの? ご飯の時間決まってるんだからね」 浴室に入り。早々、始まった。 「すみません」 「私はロスが嫌いなのよ。お願いだから私の嫌な事しないで」 「ごめんなさい。気をつけます」 彼女は笹川の説教を真摯な態度で聞いているふりをして「お前ががここ に来てる事はお前の人生のロスじゃないのか?」と笹川を心の中で卑下していたら笑いたいという感情が沸き起こり噴き出しそうだったがなんとかポーカーフェイスを維持した。 この後、ロスが嫌いで人をせかす事が大好きな笹川の餌食にこれ以上ならないように急いで全身を洗い浴槽には浸からず浴室を出た。 この甲斐あって濡れ髪の彼女は集団とほぼ同じ時刻に食堂に入った。 「いただきます」 そこには加工組と水本以外の刑務官で作ったと見られる夕食が用意されていた。 上座から、刑務官、加工組、厩舎組という席割りで三つのテーブルにそれぞれ座ったので彼女は気詰まりな感も否めないまま食事をした。 しかし、その食事はおいしかった。彼女は久しぶりに体を動かした事で素人が調理をしたハンバーグを高級店のステーキハウスで食べたハンバーグの味と同等に感じた。 「ごちそうさまでした」 食事が終わり後方付けは厩舎組がすることになっていた。 「北原はテーブル拭いて」 笹川が彼女に指示を出した。 笹川は後方付けをせずに北原の監視をしていた。 「うん。可も無く 不可も無くだから。この調子であしたもやってね」 そうじを終え、北原に評価が与えられた。 「はい」 彼女は食堂をあと にし自室へと向かった。 「あーあ。疲れた」 「おつかれ」 その途中に彼女の耳元に会話が聞こえてきた。 「北原は結構使えるよ」 会話を無視して部屋を素通りしようと思ったが彼女の名前が出てきたので、ド アのスモークガラスから気配を察知されないよにド アから少し離れた場所に立ち止まり、その会話を聞く ことにした。 「そうなんだ。じゃあ。高山みたいに泣き言は言わないね」 「でも、早速おやびんに怒られてたよ」 「何。おやびんって。もしかしてあのうるさいおばさんの事?」 「そうだよ。いいあだなでしょ?」 「うん。でも必要以上にいじめてたらちゃんと止めなよ。この前は所長が揉み消したから本社に連絡されないで済んだけど」 「うん。高山のときはおやびんのベルトコンベアいじめがおもしろかったから見てみぬふりしちゃったんだ」 「もう。さきはいじわるなんだから」 「だって。塀はないけどこんな牛しかいないところで働かされたら、何かおもしろいことでもないとやってられないって」 「うん。そうだね。ねえ。北原って男に捨てられてリストカッターになったんでしょ」 「そうだよ。小学校の教師やってたのにさ。バカみたいだよね。男の免疫がなさすぎたんじゃない。ああいう頭よさ げな子によく あるパターンだよね」 「どう でもいいけどあんた髪臭いよ」 「う そっ。こられから自衛官と合コンなのに。まあいっか。家帰ってシャワー浴びてからいこ 」 「また?」 「あんたみたいにイケメン警察官つかまえてないから。早く 新しいの見つけないと。夜がさびし く てしょうがない」 「さきはレベル高すぎるんだよ。私ぐらいのイケメンでがまんしないと」 「みえの彼氏ぐらいだったら ストライクだよ。でも、これだけ合コンやってもじゃがいもみたいなやつしかいないんだよ 」 「じゃがいもはカレーとポテサラ で充分ってか」 「イエス。さあ。シャバにでるか」 水本と滝井がその部屋から出ようとしたので彼女は慌てて自室へ向かった。 部屋に入り。彼女は気持ちを落ち着かせてから、義務である日記を書こうとベットの下にある机のイスに腰掛けた。 「まい」 しばらく して、前野が部屋に入ってきた。 「なに?」 前野の呼びかけにペンを置き、後ろを振り返った。 「洗濯したの?」 空の洗濯籠のなかにお風呂道具を入れた濡れ髪の前野が立っていた。 「してない」 「してきな。消灯まで終わらせないと警備員に怒られるよ」 「どこ?」 「食堂の手前を左に曲がったと こ ろ」 「お風呂の反対だ」 「うん」 「いってきます」 「今。一台あいてたから。直ぐにまわせるよ」 「うん」 前野のアドバイスで洗濯物を入れた紙袋を右手に提げて洗濯場に向かった。 食堂に差し掛かったところでその中から島田紳助の声が聞こえた。 それが気になりその扉の窓から中の様子をうかがうとあの女がテレビの前にイスを移動させ、そこに腰掛けテレビを見ていた。手下達三人もその女の後ろを陣取っていた。 彼女は気配を気付かれたらめんどくさい事になりそうだったので足音を立てないようにその場から立ち去った。 そして、洗濯場に着いた。 そこには洗濯機四台が並べられている。その上には乾燥機四台が設置されている――。 そこに着いた彼女は空いていた一番手前の洗濯機に洗濯物をその袋から取り出し、洗濯槽に入れてからその脇にあった洗剤を入れ洗濯機をまわした。 「ねえ」 彼女は正常に動いたのを確認してその場から離れようと思ったら、食堂の方から彼女に近づいてくる水色のセーターとフリルのついたカーキー色のロングスカートを着てる女性が話し掛けてきた。 「何ですか?」
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