翌朝、目を覚ますと既に10時を少し過ぎていた。ベッドメイキングの時間である。未成年の少女を連れ込んだとなれば問題になる。慌てて飛び起き、ベッドを見ると一人分のふくらみしかない。そっとシーツをめくると清美が静かに寝息をたてている。頬を突っついた。 「おい、さくらはどうした。部屋にいないぞ。」 清美は、寝惚け眼をこすりながら今の状況を飲み込もうとしている。ようやく昨日からの記憶の回路が繋がったのか、息堰切って叫んだ。 「さくら、何処にいっちゃったの。まさかあの人たちに連れていかれたの。」 「まさか、この部屋には誰も入ってきていない。ということは自分から出て行ったってことだ。まてよ…」 石井は脱ぎ捨ててある上着のポケットを探って財布の中を検めた。案の定、一昨日銀行で下ろした10万円がない。3人で動けば人目につくとでも考えたのだろうか。 「どうやら、一人で出て行ったようだ。」 「一人で大丈夫かしら。」 「三人でいるより目立たない。そう思ったんだろう。」 こう言うと、清美は不安そうな表情のまま頷いた。微笑もうとするのだが、顔が歪んだだけだ。清美にもさくらの行動は納得できなかったのだろう。暫くして「覗かないで」と言い残し、バスルームに消えた。 ふと、車のことが気になり、携帯でレンターカー屋に電話をいれた。すると、昨夜路上に駐車してあった軽自動車に追突したと、大竹と名乗る女性から電話があって、弁済手続きについて石井と話したいと言付かったと言う。軽乗用車の借主の名前は明かしていないとのことだ。 石井は清美の母親だとピンときて、すぐさま聞いた電話番号をダイヤルした。 「もしもし、長瀬といいますが、大竹さん、お願いします。」 相手はすぐに出た。電話機の前で待っていたかのようだ。 「もしもし、大竹でございます。長瀬さんと仰るのね。昨夜はさぞ驚かれたことと思います。本当に心からお詫び申し上げます。行き過ぎのあったことは重々承知しておりますが、それもこれも娘を思う親心、どうかお怒りを納めて頂きとうぞんじます。誠に申し訳ございませんでした。」 「全く、ちょっと度を越していましたね。走行中に後ろからぶつかってくるなんて、一歩間違えれば大事故だった。清美さんに、相手は君の命を狙っているのかと聞いたくらいですから。」 息を呑む気配が感じられた。その様子から相手が清美の母親であることは間違いない。 「何ですって、車が接触したと聞いていましたが、わざとぶつけてきたとお仰るの。それ本当の話ですか。もし本当ならとんでもないことですわ。」 完全に頭に血が上っている様子で、その声は裏返っていた。ヒステリックな性格は隠せない。石井はにやりとし、きっぱりと答えた。 「勿論、意識的に突っ込んできましたよ。」 激しい息遣いが聞こえた。冷静さを取り戻そうと息を整えているようだ。ようやく落ち着くと、再び静かに語りかけてきた。 「長瀬さん、あの子は、何か勘違いしているのです。貴方に何を喋ったか存じませんが、兎に角、あの子はまだ17歳の子供でございます。母親が保護したいと言うのに、まさか反対はしませんよね。」 「ええ、まあ、母親の貴方がそう仰るのは当然のことです。」 いきなり携帯が取り上げられた。清美が携帯に怒鳴り声を上げる。 「お母さん、私はそこにいたくないの。悟道会なんて私は信じない。お母さんは騙されているのよ。それに、私はお母さんの持ち物じゃあない。私は私。兎に角、お父さんの所に戻るわ。」 暫く母親のヒステリックな声が洩れ聞こえていた。それに対しあくまでも清美は拒絶しているが、静かになった。清美が途方に暮れたように石井を見詰めた。そして携帯を差し出す。どうやら石井を出せと言っているらしい。石井が携帯を耳に当てた。 「長瀬さん。清美は未成年ですよ。まさかホテルに連れ込んだなんて言うんじゃないでしょうね。もしそうなら、今から警察に電話します。よろしいですね。」 反応をみようと押し黙った。 「ちょっと待って下さい。」 ヒステリックな叫び声が響く。 「待てないわ。いいから直ぐにでも清美を引き渡しなさい。さもないと大変なことになるわよ。それでもいいの。一生、悔やむことになるのよ。今すぐ清美を解放しなさい。」 勝ち誇ったような有無を言わせぬ物言いに思わず、石井は熱くなった。 「冗談じゃねえ、この野郎。こっちはホテルの床に寝袋敷いて寝ているんだ。指一本触れてなんかいねえ。それに昨日は危うく殺されかけた。清美さんは、そんなことをする新興宗教団体から逃れたいと言う。警察に訴えるなら訴えてみろ。昨日は一歩間違えれば三人ともお陀仏だった。清美さんが訴えれば、そっちこそ殺人未遂だぞ。分っているのか。」 ぜいぜいという息遣いが聞こえる。うろたえているのだ。 「いいか、よく聞け。これから清美さんに児童相談所に電話させる。そっちの訴えが勝つか、こっちの訴えが勝つか、二つに一つだ。清美さんがこっちにいるんだ。どう見てもこっちに分がある。俺を淫行で訴えるというなら勝手に訴えろ。」 石井は携帯を切った。右手の親指を立てて、清美が飛び上がった。 「おじさん、かっこいい、最高、歳の差、忘れて惚れちゃいそう。104で児童相談所を調べて、私、電話するわ。」 「いや、その必要はない。相手だって自分達が不利なことは分っている。それより問題は、この小さな町からどう抜け出すかだ。相手は大勢、こっちは面が割れた少女が一人いる。恐らくJRもバスも見張られている。」 「どうしたらいいの。」 「何とかする。安心しろ。」 外で女達のけたたましい笑い声が聞こえた。パートの小母さん達が仕事に精をだしている。ドアを開けると向かいの部屋はベッドメイキングも済み、ドアは開け放たれていた。幸い彼女達は廊下の外れの部屋に入っている。清美を呼んで囁いた。 「俺は君の着る物を調達してくる。申し訳ないが、その間、向いの部屋のクローゼットにでも隠れていてくれ。この部屋のベッドメイキングが終わったら戻って内側から鍵を掛けるんだ。わかった?」 「うん、分かった。ねえ、私、お腹すいちゃった。お願い、何か食べるもの買ってきて。」 「ああ、たっぷり買いこんでくるよ。」 石井はカメラやがさばる寝袋を梱包して荷札を貼り付ける。そしてリュックを背負い、何食わぬ顔で部屋を出ると、エレベーターに向かった。
(二) ロビーに下りると案の定、いかにも宗教オタクっぽい若い男がラウンジでコーヒーを飲みながら目を光らせている。素知らぬふりで外へ出た。背中に視線を感じるが、追ってはこないようだ。ふと肩の力が抜ける。いずれにせよ面は割れてはいないのだ。 駅前に行き、辺りを見回した。やはり怪しげな男達が三人ほどいて、目配りしながらうろついている。その男達をすり抜けて、若者達がたむろする広場の一角にむかい、目星をつけた二人連れの少女に近付き声を掛けた。 「ちょっと良いアルバイトがあるんだけど、やってみる?」 「良いアルバイトって?」 二人は意味ありげに笑いながら目配せした。 「ちょっとの時間で一人一万だ。」 太目の少女が顔を歪めながら答えた。 「冗談じゃねえよ。二人いっぺんに相手にしたかったら、金、出し渋るんじゃねえよ。しみったれたこと言いやがって。」 もう一人は金髪を掻き揚げそっぽを向いた。この金髪の少女の体型はまさに清美のそれとぴったりと一致する。濃いアイシャドウに彩られた瞳には精一杯背伸びした幼さが見え隠れする。 「実はそっちの方じゃない。別のことを頼みたい。一人の少女がある宗教団体から追われている。その子をこっそり逃したい。少女はジャージのまま逃げた。だから着る物が必要だ。少女の身長、体重、スタイルは君と同じだ。君の名は。」 金髪がにっこりと微笑み答えた。 「梓よ。宗教団体って、森の近くにできた悟道会ね。」 「ああ。」 「あいつら、人を馬鹿にしたような目で見やがる。」 「宗教やっている奴は皆そうさ。心の中で自分が特別だと思っている。猫撫で声で寄ってくるのは、勧誘する時だけだ。」 「ふふ、本当にそう。で、私の体に合う服を調達すればいいのね。そして、もしかしたらその子を変身させる、でしょ?」 「梓、君は頭がいい。その通りだ。君たちの服装のセンス、髪の色、化粧も同じにしてほしい。そうそう靴も必要だ。」 太目が話を引き取る。 「いいわ、面白そう。たまには人助けもいいわね。それなら服装費とアルバイト料含めて10万円ってとこね。ねえ、頂戴。」 『安物を着ていやがるくせに、何が10万だ、この野郎』と心の内で毒づいたが、顔には出さずそれで手を打つことにした。 「よし交渉成立だ。おっと、銀行にいかないと一銭もない。ちょっと付き合ってくれ。」 歩き出すと、二人はのそのそと付いてくる。知り合いなのか、花壇に座った少女達が声を掛けてきた。 「どこにしけこむの。」 二人の少女はそれには答えず、ふんと鼻を鳴らしただけだ。 銀行で20万円下ろして、梓に10万円渡した。 「俺はこれから一仕事ある。君たちは用意ができたらホテルマロウド508号室に行ってくれ。ホテルのフロントには電話しておく。1時間で準備してくれ。少女にも君達が行くことを電話しておく。少女の名前は清美だ。そうそう、忘れていた。清美が腹をすかしている。食い物も頼む。」 そう言い置いて、石井はタクシー乗り場に急いだ。 「どちらまで?」 「この辺で、長距離トラックの溜まり場は?」 「朝日食堂ってのが、ここから2キロ先にありますが、そこまで行きますか?」 「ああたのむ。」 車が走り出す。ホテルに電話を入れた。 「もしもし、長瀬です。これから1時間ほどしたら少女二人が、僕の部屋に行きます。鍵を渡してください。えっ・・・。何を馬鹿なこと考えちゃって、そうじゃないって。僕の部屋の荷物をちょっと片付けてもらうんです。」 相手はなかなか信じてくれない。 「本当ですって、僕はこれこら一時間後に戻ります。フロントで清算したら、そのまま部屋には行かずに出発します。ええ、部屋には行きません。とにかく部屋にダンボールがあるはずですから、それを後で発送しておいてください。」
(三) 小一時間ほどしてホテルに電話を入れた。 「清美さんか?」 「ええ。」 「変身した?」 「まるで自分じゃないみたい。」 「よし、それでいい。いいか、これからが勝負だ。俺はこれから1分後にフロントで清算をすませる。フロントには奴らの見張りがいる。俺はこいつを外に引っ張り出す。君たちは今から10分後にその部屋を出るんだ。そしてタクシーを拾え。」 「何処へ行けばいいの。」 「朝日食堂だ。タクシーの運ちゃんにそう言えば分かるはずだ。俺は後から行く。」 電話を切ると、ホテルに向かった。自動扉が開き、ちらりとラウンジに視線を向けた。男はコーヒー一杯でまだ粘っている。 「可愛い子達でしたよ。」 親しく口をきくようになったフロントがにやにやしながら軽口を飛ばす。 「そんなんじゃないって。」 などと言いながら清算をすませ、出口に向かう。あくまでも男を無視していた。自動扉が開いた瞬間、後ろに首を回し、男に向かって笑いかけた。男ががばっと立ち上がる。石井は走った。男は追ってくる。 振り返ると、案の定、男は走りながら携帯に何かがなりたてている。仲間に連絡しているのだ。おっつけ、駅前の三人も追っ手に加わるだろう。いずれにせよサッカーで鍛えた脚がある。タクシーを待たせた場所まで一気に駆け抜けた。 バックミラーで石井が走ってくるのを見たのだろう、タクシーのドアが開いた。飛び込むようにしてシートに乗り込み、後ろを振り返った。4人の男達は立ち止まり、地団太踏んでいるのがみえる。へたり込む者、両手を膝に当て、肩で息をしている者、相当疲労困憊している。 「へん、ざまみろ。」 と言ったつもりがぜいぜいとしか響かなかった。石井も息が上がっていた。 「お客さん、本当にこっちから回っていいんですね。」 息を整えつつ答えた。 「ああ、そうして下さい。こっちの行き先を気取られないように、遠回りすします。」 10分ほど迂回して朝日食堂に到着した。三人のど派手な少女がたむろする。石井はタクシーの清算を済ませると息を弾ませ駆け寄った。清美と思しき少女がにこにこして歩み寄る。 「さて、私は誰でしょう?ふふふ。」 濃すぎるアイシャドウがまるで狸を思わせた。 「清美か、これは驚いた。まるで別人だ。駅前で見張っていた奴らもこれじゃあ、清美だとは気付かなかったはずだ。」 後ろに控える二人の少女に声を掛けた。 「君たち本当にありがとう。助かった。」 少女達は嬉しそうに微笑み頷いている。汽笛のようなクラクションが聞こえ、振り返ると話を付けておいたトラックの運転手が既にエンジンを吹かして待機している。 「よし、清美。あのトラックで東京までひとっ走りだ。」 二人に別れを告げ、石井と清美はトラックへと向かった。清美は何度も振り返り手を振って、最後に叫んだ。 「家に着いたら必ずメールする。」
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