20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:方向オンチにしか見えない世界 作者:錦小路真理

第1回   夜明けのシンタグマ広場
 昔、ああ、そう。昔。
 私は旅人だった。
 高価なブランド物のバッグも、お洒落なスーツケースも無い。
 今みたいに携帯やスマホなんかあるわけない。そんな頃。
 巨大なリュックを背負って、スケッチブック片手の貧乏旅。
 バックパッカーってやつ。
 そんな昔を振り返ってみた。

 最初の海外はギリシャに決めた。
 家族には、いきなりそんな遠くに……って呆れられた。
「ハワイかどっかにしときなさい」
 そう言われたが、目的が遺跡と博物館だったわけで、バカンスになど興味ない。
 しかも一ヶ月も。
「この親不孝者!」
 母は半泣きだった。 
 まあ、そうだわな。
「大体、方向オンチが、海外で迷子にでもなったら、二度と帰って来れなくなるよ!」
 その心配はご尤もだ。
 自慢じゃ無いが、方向オンチにかけては誰にも負けない自信がある。
 学校でも理科室に行って教室に戻れなくなった事がある。墓参りに行って水を汲みに行ったが最後、先祖の墓に辿りつくまでどんだけ時間がかかった事か。見舞いに行った病院でも、間違えて霊安室に行ったことのある人である。
 そもそも私は地図が苦手だ。地図を見るのは大好きだ。だが、その通り歩けないのだ。
「太陽の位置見れば大体わかるでしょうが」
 旅慣れた友人が呆れた様に言う。
「あんたは物覚えはいいが、勘が無さすぎる」
 そのとおりだ。
 私は場所を「位置」としてでなく、ビジュアルやニオイだけで覚えているところがあるのだ。
「○×の看板で右に曲がって……青い屋根の家から少し行った所に、犬のいる家あるからその前」
「△○×の工場があるから変なニオイするところ」
 みたいな。
 看板は時が経てば変わるし、屋根だって色もかわる。犬も不老不死じゃない。ニオイなんて毎度変わるかもしれないじゃないか。
 まあ、それでも生きてこられたのだ。なんとかね。
 だから旅に出たってなんとかなるさ。たぶん。
 予算が無かったので、トランジットに何時間も待つような格安チケットを入手。宿は現地で値段交渉して泊まる所を決める事にした。季節は冬。オフシーズンだから物価も安いだろう。
 勿論だが一人では無い。方向感覚に長けた友人Yが一緒だ。
 一つ問題があるとすれば二人ともイマイチ言語に不安があった。
 彼女は結構話せる方だが、聞き取るのが苦手。
 私は結構早口であっても聞き取るのは得意だが、どう返していいかわからない。
 ……ある意味最強コンビだ。考えてみれば二人寄れば問題ないってことじゃん。
 実際、本当にそう困らなかったし。
 そんなこんなで私達は旅立った。
 さすがに仮面ライダーな誰かさんの様に『明日のパンツと小銭……』までとはいかなかったが、ちょっとばかしのお金と、ちょっとばかしの着替えと、スケッチブックと一緒に。

 5時間ちかくかけてシンガポールで乗り継いで、一晩空港で明かして、その後10時間以上飛行機に乗ってアテネに着いた。もちろんエコノミーだし足はむくんでパンパン。しかも着いた時間は夜も明けない早朝。
「とにかく宿を見つけて荷物を置こう」
 ……Yよ。さすがは冷静だ。確かに重いよ、荷物。
 君について来て良かったよ。
 案の定、私はシンガポールの空港内で迷子になりかけたからな。
 だが、こんな時間に宿が見つかる訳無かろう。
 私達は、シンタグマ広場で夜明けを迎えた。唯一の救いは大寒波がやってきてるにも関わらず、その日は異様に温かかった事だけだ。
 微妙にお腹もすいてたが、まだ店なんか開いてる訳も無く、機内でもらったクラッカーとピーナッツの小さな袋、日本から持参したおせんべいがあるばかり。初の海外でいきなり切ない展開だ。
 だが、こんな方向オンチな私にも、ある意味で特殊な才能と呼べなくも無い事が一つだけある。
 動物が異常なまでに寄ってくるのだ。それは海外でも発揮されてしまった。
 私達の元に結構デカイ犬がやってきた。しかも追いかけてくる。首輪も無い。
 野良犬なのかとYはちょっと怖がっていたが、犬は立ち止まった私の足の上に、前足を乗せて大人しくしている。吠えるでも、威嚇するでも、遊ぼうオーラ出すでもなく。
 ただ、踏んでるだけ。泥だらけのあんよで。
「……なんで足踏むんだ? お前結構重いぞ」
「くうん?」
 別に会話までできるわけではないんだけどね。ムツゴロウさんじゃあるまいし。
 絶妙の角度で首をかしげるワンコ。大体、犬とはいえ、日本語が通じてるかも怪しいし。
 いや……動物には何語であっても関係ないかも。
「デビッド!」
 おばさんの声。呼ばれて犬が振り返った。そうか、お前、デビッドというのか。
 おばさんは市場に買出しに行った帰りらしい。この時間の市場に買出しに行く人といえば、商売人だろう。そんな私たちの推理は正解だった。
「こんなに朝早くにこんなところで何してるの?」
 おばさんが訊いてくれた。旅人とわかるいでたちなので英語だった。
「ホテル探してるんだけど、まだどこも開いてなくて」
 Yが答える。
「ウチ、ボロだけどホテルやってるわよ……とおばさんが言っている」
 聞くだけしか能の無い私が間に入り、Yに喋らせる。
「ついて行っていいですか?」
 デビッドは招き猫ならぬ招きワンコだったようだ。
 なんだかんだでいきなり今晩の宿がみつかった。
 着いて行った先の宿は確かにボロだったが、アクロポリス近くの観光エリアのど真ん中だ。ある意味幸先いい。
 デビッドとおばさんに感謝しつつ、おばさんに叩き起こされ、眠い目をこすっている宿屋の主人相手に、値段交渉を忘れないYであった。
 ちなみに海外では交渉しだいで結構宿泊代すら負けてもらえる。
 私達は500(当時ドラクマ)値切ってチェックインした……。


次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 32