父が亡くなってもう随分経つ。 忘れもしない、あれは丁度阪神淡路大震災の年だったから。 実家から山椒を炊いたものを送ってもらい、なぜか、ふと父が思い出された。 父は山椒が好きだった。好き嫌い無く何でも美味しいと食べる人だったが、 この季節は、畳の上に新聞紙を広げて、無骨な手で細かい山椒のそうじをしてる 後姿があった。 葉も、花も、実も食べられる山椒。そして、枝も小刀で削って擂粉木にしていた。 全く無駄の無い木だ。だから私の実家には常に山椒の木が植えてある。 父が生きている時、山で小さな木を採ってきて植えたものだが、もうすっかり 大きな木になっている。棘もあるし、アゲハチョウの幼虫が好むので、虫の嫌いな 私は近づきたく無かったのだが。
今思うと父は多趣味な人だった。 昔の事だ。混乱の中で小学校しか出ていないような学歴も無い人だったが、何故か 何でもよく知ってる人だった。石原裕次郎にとてもよく似た風貌だったので、若い時 バーテンダーをやってた時は相当モテたらしい。 マージャンやパチンコなどのギャンブルも好きで結構な浪費家ではあったが、 裸一貫でまがりなりとも土木業の社長になった人だ。人を使うことの責任や従業員の 事故などもあって、晩年は一人親方として仕事をしていたが、職人気質な確実な 仕事ぶりと顔の広さで忙しいほど仕事はあった。 父が博学であったのは、本が好きだったからだと思う。 「漫画でも雑誌でもなんでもいい。とにかく本を読め」 口癖の様に言っていた。 ずらりと並んだ百科辞典に世界の歴史の本。動植物の分厚い図鑑。宇宙の本に 医学の本。日本庭園の高価な写真集。辞典。それらと並んでアイザック・アシモフや 小松左京などのSF小説(中でもベリー・ローダンシリーズは当時でも結構揃ってた) また江戸川乱歩、横溝正史、アガサ・クリスティなどの推理小説、はては松本零士や さいとうたかお、白土三平、矢口高雄、竹宮恵子の劇画、漫画まで……。 その父の言葉通り、本は沢山読んだ。また、本なら何でも惜しげもなく買ってくれた。 おかげで学校で授業をちゃんと聞いてなくても、歴史や理科は常に上位で、すでに 頭に入ってるからテストにも困った事はなかった。また、漫画には漢字に必ずルビが 振ってあるので、それで漢字の読みを覚えていたのだろう。小学校の時には大抵の 漢字は読めた。父に感謝である。 今は紙の本を読むことはあまり無くなった時代だが、古い分厚い本の独特のニオイは 今も忘れられない。 黴臭いような、湿ったような、甘いような、複雑なニオイ。
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