ドアを開けた途端、むせ返るような尿の匂い。 ラッキー、今日はウンチをしていない。 さあ頑張るぞ! 毎朝、娘に手伝ってもらいながら、 母のオムツを替え、着替えをさせる。 入れ歯を入れて、温かい濡れタオルで顔や手を拭く。 その後、朝食を匙で食べさせ、デイサービスの迎えを待つだけだ。 これが、モモの毎朝の母の介護の始まりである。
この生活も、もう2年が過ぎた。 あと、何年この暮らしがあるのだろうか、 時々空しくなるけれど、多分、母がいなくなった生活は、 もっと空しくなるような予感がする。
父が亡くなってから8年間、 母は遠い故郷で気丈に独り暮らしをしていた。 ハキハキと行動的で、前向きで弱音を吐かない、 強くて楽天的な母が、モモには誇りだった。 高等小学校しか出ていないのに、短大卒のモモよりも、 知識は豊富だし、新聞の社会面も経済面も興味があり、 政治にも詳しい母を尊敬していた。 ガーデニングも得意だし、読書も手芸も好きで、 近くの畑を借りての家庭菜園も、本格的なやりようだった。 モモは、とうとう、母を超えられなかったなと、いつも思っている。
モモが生まれるまでは、税務署に20年間勤め上げ、 退職してからは、専業主婦として、堂々と生きてきた。 本当に強い賢い女性だと思っている。
そんな母が、寝たきり状態になるとは思いもよらなかった。 医師に診せられたCTの結果は、 重い水頭症であり、頭蓋骨に張り付いたような脳は、 真ん中が、すっかり真っ黒な伽藍堂になっていた。 アルツハイマーですね。 医師に言われて、ショックよりも、やはりなと納得したモモだった。
母を引き取った一年間は、それはもう地獄の生活だった。 病気を理解せず、認知症だと思わない母と接する毎日は、 本当にきつかった。 紙オムツは、すぐに外して便器に流し、 汚水を溢れさせ、干からびた便は、 ベッドのマットの下や引き出しから見つかった。 動かない足で、頑張って立って歩こうとするので、 2,3歩も歩けば、思いっきり転倒した。 母も苛立ち、これが母かと思うような暴言を吐き、 モモも、病気のことを忘れ、怒鳴り散らした。
介護保険というものがなかったら、ケアマネがいなかったら、 モモは、どうやって切り抜けられたのだろうと思っている。
でも、いいこともあった。 当時、金平糖のように、尖がっていた娘が、 優しくなったこと。 モモの手足になり、一生懸命手伝ってくれたこと。 息子も、できるだけの協力を惜しまなかったこと。 こんな子供たちの優しさを、母のおかげで改めて気が付いたこと。
子供たちは、おばあちゃんが大好きだった。 母も、孫をそれは大事にしていた。 そして、モモも母が大好きで、よく子供と母と4人で遊びに出かけた。
ケアマネから、時々、打診がある。 そろそろ特養どうします? 予約しておきましょうか?
どういうつもりで言うのだろう。 母は、半年の間に要支援1から要介護4になってしまった。 今は、寝返りも打てない寝たきり状態で、ボタンひとつもはめられない。 そんな介護をしている、私たち家族への気配りだろうか。 それとも、モモの性格や母への対応に、不安が見えるのだろうか。
モモは、両親が年老いてからできた一人娘で、 過保護・過干渉で育てられてきた。 自分で認めたくはないけれど、依存心は大きいし、 気が小さくて押しも弱い。 世渡りは下手で、社会でなかなか通用しないタイプである。 友達もできないし、仮にできても、付き合うとドット疲れてしまい、 ひとり家で過ごすのが一番向いているような有様である。
確かに、母を特養に預ければ、私たち家族は自由になれる。 自分たちの人生を、思いっきりエンジョイすることができる。
でも、世間体だけではない何かがブレーキをかけている。
母とは、もう会話は成立しない。 一緒に外出したり、食事に行ったりもできない。
ただそこにいるだけ、ただそれだけの存在。 でも、それだけでも、もしかしたら、 モモの生きがいになっているのかもしれない。
明日は母の日、来年の母の日も、存在していてほしい。 私のために。 せっかく念願の同居ができたんだもの。
さあ、今夜は何を作ろうか。 おかあさん、美味しい物作るね。
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