「か…春日さんは私には何も相談しなかったし、だれにも学校をやめることは言っていなかったのよ。だからその、あなたなら知っていると思ったのよ。」 先生は困惑しながら話し続けていたけど、頭にはなにも入らなかった。私の頭の中は今馬鹿みたいにこんがらがっていた。 「それでつらいとは思うのだけれど、春日さんの相手はわかる?」 「……。」 答えられない、というより知らない。仕方なく黙りこくっていると、今度は保健の先生が口を開いた。 「別に私たちも相手の場所に押しかけようなんて気はないの。ただね、もし知らない男の人にひどい目に合わされたなんてことだったら、放っておくわけにはいかないの。親御さんも相手に関しては何も知らないっていうし…。」 「ひどい目にあわされて…?」 私はやっとの思いで口を開いた。 「ゆりが襲われたかもしれないってことですか!?」 「おちついて。そうと決まったわけではないから。ただね、あんまりにもかたくなに相手を言わないし、身近にそういう関係を持ちそうな男の子がいないからもしかしたらって思ったの。」 「……。」 確かに親友は結構男の人が苦手だ。かわいらしい親友に何人かの男子が告白したのを知っているが、すべて断っている。 「先生…。」 「うん?」 「先生、私何も知らない。妊娠していたことも、やめることも、何も知らなかったの。今知ったのよ。」 「…そうなの。」 「毎日、一日中一緒にいた。何も変わった様子はなかったのよ。よく考えれば、ちょっと痩せた気がしたけど、そんなに本人も気にしてなったから気にしなかった。ずっと一緒にいたのに…。私…」 涙があふれてきて頬をつたった。悲しいからか、悔しいからか、それもわからなかった。担任の先生がハンカチを出して私の涙を拭き、肩を抱いてやさしくいった。 「ごめんね。一番つらいのはあなたよね。もう、何も話さなくていいのよ。」 先生に抱かれて、私は子供の様に泣きじゃくった。
その日、学校はそのまま早退した。迎えに来た母親は学校からの電話ですべてを知っていて、私には何も聞かなかった。家に着くと、静かに優しくこう言った。 「今はゆっくり休むといいわ。何も考えずに、心が落ち着くまで休みなさい。」 「…はい、お母様。」 私は階段を上がって自室に行くと、制服を着替えてベッドにもぐった。とりあえず今は、何も考えないようにした。 目が覚めると、バイオリンの音がした。小さいころから何度も聞いた曲、弾いているのは母親だ。母親は、曲を譜面通りに弾くことよりも、ありったけの感情をこめて引くことに重きを置いている。だから頻繁にテンポが変わり、ちょっと癖のある音になる。リビングに降りていき、演奏中の母の隣に座った。曲を弾き終わって、 「気分はどう?」 母親が聞いた。いつもと変わらない笑顔だった。 「うん。なんか少しすっきりした。」 「そう、よかったわね。」 母はバイオリンをケースにしまい、譜面をファイルに入れた。 「おなかすいてるでしょ?今日は朝食も食べてないし、もう2時前だもの。何か作るから待ってらっしゃい。」 「うん。」 私はテレビもつけずにぼうっとしていた。キッチンからは包丁で刻む音がリズミカルに聞こえてくる。 「ねえ。」 「うん?」 「お母様は、私を妊娠して、生んだ時どう思った?」 「そりゃ嬉しかったわよ。結婚して5年も赤ちゃんを授からなくて、教会にもお祈りに行ったんだから。」 「……ふうん。」 自分の子供を授かることは、どんな人にとってもうれしいこと。そんなことは知っているけど。でも、私たちはまだ15歳。そんなに早くに臨むべきことなのだろうか。高校進学もあきらめて、母親になると決めた親友は、どんな気持ちだったのだろう。相手がだれか誰にも言わないなんて、やっぱり襲われてできてしまった子なのかな。ううん、そんなことあるはずがない。 いろいろ考えているといいにおいが漂ってきた。 「あすか、いらっしゃい。できたわよ。」 「あ、はい。」 ダイニングテーブルには、二人分のオムライスがのっていた。母はお祝い事があった時や私が落ち込んだ時にはいつも私の大好物のオムライスを作ってくれる。 「いただきます。」 いつもと変わらない味が、心を温めてくれた気がした。最後まで食べきって、私は親友に電話をかけてみる決心がついた。このまま一人でもやもやと悩みたくない。 「ねえあすか。」 部屋に戻ろうと階段を上るとき、母が私を呼び止めた。 「ゆりちゃんは決してあなたを裏切ろうとしたり、あなたを傷つけようと思って黙っていたわけじゃないと思うの。うまく言えないけど親友だからこそ、言わなかった。そんな気がする。だから…」 「……わかってる。絶対に怒ったりせめたりしないから。私もゆりを信じてるもの。」 部屋に入るとすぐに携帯電話を手に取った。着信履歴から春日ゆりを選択し、電話をかけた。
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