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作品名:ハチミツ 作者:なつめ

第4回   4
 僕の祈りが届いたのか、試験が終わるまで比較的穏やかな日々を過ごすことができた。
 試験最終日の金曜日、僕が眠い目をこすりながら玄関を出ると、既に美月が門扉の前に立っていた。慌てて時計を見ると、待ち合わせ時間5分前だ。いつも10分は待たされるのに、一体どうしたんだろう。
「おはよう、ぶう太」
 自分が遅れるのは問題ないけれど、少しでも待たされるとものすごく不機嫌になる美月が、にこやかにあいさつしてきた。
 アヤシイ。
 訝しがりつつもあいさつを返し、何が入っているのか知らないが異様に重いカバンとサブバッグを受け取って、僕と美月はバス停に向かって歩き出した。
 日中に比べれば断然涼しいけれど、気の早い蝉がもう鳴いていて、今日も暑くなるぞ、と予告しているようだ。
 白地に赤と青のラインが入ったバスが停まり、僕らは一番後ろの席に座った。こうすれば二人分のスペースが必要な僕でも、極力他の乗客の迷惑にならなくて済むのだ。
 美月は当然のように窓際の席に座り、目を閉じた。寝るくらいなら窓際じゃなくてもいいのでは? と思うのだが、一度そう言ったら、「ただでさえ学校や会社に行きたくないなーって思ってる人たちが、ぶう太みたいに暑苦しい男を見ちゃったら、バスに乗る気が失せちゃうでしょ」と、じろりと睨まれた。まあ要するに窓際が好きなのだ、美月は。
 僕は日本史の参考書を開いた。本当は世界史の方が得意なのだが、片仮名が苦手な美月に日本史を選択するよう強要されて渋々取ったのだ。そのおかげでめでたく(?)同じクラスになりこき使われているという……。
 何とも理不尽だけれど、しょうがない。美月の幼なじみとして生まれついてしまった僕の宿命だと思ってあきらめるしかない。
 そもそも高校だって、もっとレベルの高いところを狙えたのに、ぶう太がいないと不便だから、という信じられないような理由でK高を受験したのだ。当時いろいろあって、受験勉強をする気力が湧かなかった、というのもあったみたいだけど。
「次は県立K高前」、というアナウンスが流れた瞬間、美月がサッと手を伸ばして降車ボタンを押した。ピンポーンと明るい音が車内に鳴り響き、運転手が「次、停まります」と、渋い声で言った。満足そうな笑みを浮かべると、美月は胸ポケットから手鏡を取り出して前髪を整えた。たまに他の乗客に先を越されると一日中不機嫌なので、僕はひとまずほっとした。
 バスを降りると、長くて急な坂がK高の正門まで続いている。「K高前」というバス停なのに、ゆるくカーブした坂の下からは門すら見えない。高校入試当日までこんな坂を上らなきゃ校舎に入れないことを知らなかった僕は、試験を放棄しようかと思った。実際、一緒に来校した美月は、さっさと反対車線に渡って帰りのバスに乗ろうとしていたし。
 周囲の受験生たちの冷ややかな視線が突き刺さる中、こんな登校するだけでクタクタになりそうな学校ヤだ、ぶう太も一緒に私立高校に通おうよ、と言い張る美月を必死で説得し、引きずるようにしてどうにか試験会場まで連れて行ったのを、今でもはっきり覚えている。
 それにしても、荷物が重い。
「あのさあ、これ、何が入ってんの?」
 僕は足取りも軽く隣を歩いている美月に訊いた。
「えー、お弁当とか参考書とか、いろいろ」
「いろいろって……、すっげえ重いんだけど」
「そーお? ぶう太って、非力ねえ」
 俺が非力なんじゃなく本当に重いんだよ、試しに自分で持ってみろ! と叫びたかったけど、そんなことをしたら徹夜で覚えた何もかもが脳みそからぶっ飛んでしまいそうなのでぐっとこらえた。足元を見ながら、とにかく先に進むことだけを考える。
 やっとのことで教室にたどり着き、僕は机に突っ伏した。腕がプルプル震える。せめて校内にエレベーターが設置されていれば、この半分くらいの疲労で済んだかもしれないのに。そもそも試験前なのになぜこんな試練を乗り越えなければならないんだ。
「よお、高橋。朝から重労働お疲れさん。ヒメのためとはいえ尊敬するよ」
 前の席の岡田がイスの背もたれに頬杖をついて話しかけてきた。正直イラッとするが、そんな憎まれ口に答えられる状況ではない。
「おまえ、すんげえ重そうなバッグ抱えて歩いてたけど、あれってヒメのだろ? よくもまあ、彼女でもない女のためにそこまで尽くせるよなぁ」
「……見てたんなら、手伝ってくれてもいいんじゃねーの」
 僕が顔だけ上げると、人懐こい大きな目がこちらを見ていた。比較的整った顔立ちと博愛主義(八方美人とも言う)な性格で、イケメン君ほどではないがそこそこ女子に人気がある。確か今は二年生の女子と付き合ってるはずだ。
「あはは、やだよ。あんな女のバッグを持つなんて、ごめんだね」
 笑顔を張り付かせてはいるが、言葉は辛辣で悪意が込められていた。岡田とは今年初めて同じクラスになったのだが、美月を毛嫌いしていて、何かと言えば僕にも絡んでくる。
「大体さー、高三にもなって一人で登下校できないなんてどうかと思うぜ? 子どもかっつーの。高橋も甘やかしすぎなんだよ。何でも言われるがままでさあ」
 確かに岡田の言うとおりだ。そんなこと自分でもよく分かっているし、言われるがままなのが美月にとって良いことなのかどうか迷う時もある。が、しかし。
 余計なお世話だ、と言い返そうとした時だった。
「あんたなんかにとやかく言われる筋合いないわよ」
 後ろから聞き覚えのある声がして、僕はガバッと身を起こした。腕組みした美月がこちらを睨みつけている。
「ぶう太が私の言いなりでどんだけ私を甘やかそうと、あんたには全く関係ないことでしょ。そんなくだらないこと話してる暇があったら、最後の悪あがきでもした方がいいんじゃないの?」
 そう言って美月は一冊のノートを差し出した。
「これ、今回のテストに出るかもしれない問題をまとめた貴重なノート。ありがたーく使ってね」
 左手を腰にあてて、恩着せがましく言う。
「でもこれ、美月ちゃんも使うんじゃないの?」
 僕が口にした疑問を、美月は鼻で笑い飛ばした。
「私には試験勉強なんて必要ないから。これは今日ぶう太に重い物持たせるお礼に渡そうと思って、昨夜作ったの」
「それは……わざわざありがとう」
 ということは、昨日の時点で美月が僕に苦難を与えることは決まっていたのか。
 僕はノートを受け取って中身を確認した。美月の整った文字が並んでいる。せっかくなら試験開始30分前というこのタイミングじゃなく、もっと早く渡してくれればよかったのに。せめてバスの中とか。
「あ、そうそう、そのノート岡田君にも見せてあげてもいいわよ」
 自分の席に戻ろうとしていた美月が振り向き、これまた偉そうに言った。岡田が立ち上がって目を剥いた。
「おまえのノートなんて誰が見るかよ!」
「えー、そんなこと言っちゃっていいのー? 岡田君って、確かぶう太より成績悪かったんじゃなかったっけ? 夏休みに補修受けたいんなら、別に構わないけど」
 岡田がぐぐっと言葉に詰まった。顔も運動神経もそこそこなのに勉強はからっきし、中間テストも散々で、今回の試験の結果次第では全教科補修を受けなければならない、正に崖っぷちな状況なのだ。
 それを知っていながらわざとイヤミを言うのはどうかと思うが、まあ売られたケンカは倍返しっていうのが美月の信条なのでしょうがない。
「……あのさ、美月ちゃんには黙っとくから、ノート一緒に見ようぜ。たぶん、これ見ると見ないじゃ点数全然違ってくるからさ」
 心底悔しそうな表情のままイスに座った岡田が、頭を振った。
「見ないったら見ない。どうせおまえだって、オレが赤点取ればいいって思ってんだろ」
 投げやりな言い方に、僕はため息をついた。試験直前に何をグダグダ言ってんだ。めんどくさいヤツだな。
「そんなこと思ってないよ。ってか、正直、おまえが赤点取って夏休み毎日補修になろうが、留年しようが、どうでもいいよ。ただ、そんなことで彼女と別れることになったら不幸だなって思うだけだよ」
 岡田の彼女だって、こいつがアホなことくらい分かってて付き合ってるはずだ。しかしいくらなんでも許容範囲ってもんがあるだろう。彼女の愛がどの程度堅固なものかを試すのは、夏休み目前の今じゃなくて、また別の機会でも良いんじゃないか。なんて、彼女いない歴イコール年齢の僕が語るのもなんだけど。とほほ。
 そんなことを考えながらノートを捲っていると、うなだれた姿勢で固まっていた岡田が顔を上げた。
「……悪かったよ」
「え?」
「悪かったよ! だから、見せろよ、ノート」
 全く謝られている気がしないが、これが彼なりの精一杯の謝罪なのだということが伝わってきたので、僕はノートを彼の方に向けた。しかし本当にめんどくさいヤツだ。意地っ張りで憎めなくて。
 美月とよく似ている。お互いに認めないだろうから、言わないけれど。似ているから気に障るし、反発するのだ。
 僕は真剣な表情でノートを凝視している岡田を見た。プライドを捨てた分、少しでもいい点数が取れるといいな、と思いつつ、夏休みを共に過ごせる彼女がいる岡田がとってもうらやましかった。
 僕なんか下手したら夏休み中美月の面倒を見なきゃなんないかもしれないんだぜ。畜生。


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