翌朝学校に行くと、美月とサッカー部のイケメン君が別れたという噂でもちきりだった。 さすが人気者、と称えるべきか、彼は別れた理由も美月の悪口も言わなかったようだ。 フラれた方には話しかけづらいが、フッた方には色々聞きやすいだろう、ということで、昼休みにイケメン君と同じクラスの女子三名が美月の席にやってきた。僕はいつも美月と弁当を食べるので、その場に居合わせる破目に陥ってしまった。 「坂本さん、話があるんだけど、いい?」 窓際で美月と机を向かい合わせて座っていると、リーダー格らしいショートカットの女子が、腕組みしてそう言った。他二名も少し後ろに同じ格好で立っている。 ざわついていた教室が、しーんと静まり返った。 すでに弁当を広げて玉子焼きを口に運ぼうとしていた美月が箸を置く。普段同級生に話しかけられることなどほとんどないため、びっくりしているみたいだった。 「話って、何?」 「ここじゃなんだから、ちょっと来てよ」 強引な物言いに、美月はあからさまに不愉快そうな表情をした。 「私、おなか空いてるんだよね。何の話か知らないけど、ここでしてくれない?」 三人は顔を見合わせて、ヒソヒソ内緒話をはじめた。 僕もはらぺこだったので、さっさと話でもなんでもしてもらって、とっとと食事にしたかった。それにしてもどうして女子ってヤツはつるみたがるんだろう。 「じゃあ単刀直入に訊くけど、どうして武藤君と別れたの?」 今度はくるくるパーマの髪型をした女子が質問を投げかけた。 やっぱりそのことか、と僕は内心ため息をついた。 美月も同じ気持ちだったみたいで、実際にはーっと大きく息を吐いた。 「そんなこと聞いてどうするの?」 三人ともこの態度が気に食わなかったらしく、一番大人しそうなサラサラセミロングの女子まで加わって、口々に美月を責め立てた。 「武藤君、朝からすっごく落ち込んでるんだよ? かわいそうだと思わないの!?」 「別れた理由訊いても、オレが悪いんだって、それだけしか言わないし!」 「あんなにいい人のどこが不満なの!?」 クラスの皆が聞き耳を立てているのが分かった。聞き耳立てなくても、三人の声がでかくてモロ聞こえだけど。そして美月がどういう反応を返すかに興味津々なのも、その表情を見ればバレバレだった。 「……つまり、私に武藤君とヨリを戻せと?」 美月が小首を傾げてそう言った。 三人ともグッと言葉に詰まった。が、それもほんの一瞬のことだった。 「そんなわけないでしょ! あんたみたいな尻軽女に、武藤君はもったいないわよ!」 ショートカットが怒鳴った。 「そうよ! 身の程知らずにも甚だしい!! 」 くるくるパーマも後に続く。 「こんなワガママ女と付き合って振り回されて、武藤君、かわいそう」 サラサラセミロングが感極まって涙ぐんだ。 美月が、眉をしかめた。 なんでアンタが泣くんだよ、責められてるのは私じゃない、という心の叫びがありありと顔に出ていた。 美月はめそめそした女の子が大嫌いなのだ。 「あのさぁ、私、ホントにワケ分かんないんだけど。武藤君が落ち込んでるから別れた理由を教えろって言ったり、けどヨリは戻すなと言ったり。あんたたち、一体何がしたいの?」 「そ……、それは……」 先ほどまでの勢いはどこへやら、ショートカットもくるくるパーマも、サラサラセミロングも黙りこんだ。 美月が三人の顔を順に見回した。ゆっくり何かを思案しているようだ。 「ああ……、もしかしてあんたたち、武藤君のこと好きなんじゃないの? だから、私から別れた理由とか武藤君の悪口とか聞きだして、彼を慰めようって企んでるんじゃないの? で、あわよくば彼に気に入られて新しい彼女になろうなんて考えてるんじゃないの?」 どうやら美月の言ったことは図星だったようで、三人の顔にカッと赤味が差した。 美月がガタン、と音をたてて立ち上がった。 反撃開始だ。 「だったら、他にすることあるでしょ。こんなところで私にグダグダ言ってるヒマがあったら、武藤君に告白でも何でもすれば? バッカみたい!」 吐き捨てるように言って、美月がふと廊下に視線をやった。 いつの間にか他のクラスからもギャラリーが集まって、人だかりができていた。 その中の一人の男子生徒に目を留めて、美月はハッとした表情の後、ほんの一瞬口元にうっすらと笑みを浮かべた。周りにいる人たちは誰も気付いてなかったけど、僕はその瞬間を見逃さなかった。そして美月がこの三人を徹底的につぶそうとしているのだということを悟った。 僕はこれから起こる惨劇を思って、三人に同情した。 サラサラセミロングが本格的にしくしく泣き出した。 「私……、私だって、一年の時から武藤君と同じクラスで、ずっと好きだったんだから。でも、高校三年間は部活に専念したいから彼女は作らないって武藤君が言ってるのを聞いて」 「だから卒業するまでは片想いのままでガマンしようって、三人で誓い合って」 「それなのにアンタみたいに美人なだけで性格サイアクな女と突然付き合いだしちゃって」 ショートカットとくるくるパーマも感極まって涙ぐんでいる。 「そう……、三人とも、武藤君のこと本当に好きなのね。好きだから、私が武藤君と付き合って即行で別れちゃったことが、気に喰わないのね。その気持ちは分からなくもないわ。でもね」 優しげな口調から一変して、美月がぐっと語気を荒げた。 「私は武藤君から付き合ってほしいって言われたから付き合っただけ。それに、アンタ達何か誤解してるみたいだけど、フラれたのは私の方よ。ね、武藤君」 ギャラリーに向かって呼びかける。 そこには息を弾ませて額に汗を浮かべたイケメン君がいた。 皆の視線が美月からイケメン君に移る。 「ど……、どうして武藤君がここに……」 三人とも血の気が引いて真っ青になっていた。 さっきから赤くなったり青くなったり、大変だ。 「食堂でメシ食ってたら、友達に俺のことで女子がモメてるって言われて」 180cmくらいの長身、日に焼けた黒い肌、整った目鼻立ち。多少呼吸が乱れてはいるが、どこからどう見ても文句のつけようがないほど、イイ男だ。彼は僕とは正反対の人間だった。悲しくなるくらい。 「そうなんだ。でも大丈夫。もう話は終わったから」 美月は恐いくらい完璧な微笑を浮かべた。 その笑顔のまま、青ざめたままの三人に向き直る。 「あなた達、武藤君に告白する手間が省けてよかったわね」 ピキーンと空気が凍りついた。 僕は心の中でご愁傷様、と合掌した。 三人とも気の毒だとは思ったけど、美月にケンカを売るなんて無謀すぎる。 「ぶう太、私、屋上でお弁当食べるから」 そう言うと、ピンと背筋を伸ばしてギャラリーの間を通り抜けていく。 もちろん手ぶらだ。 はいはい、弁当は持って来いってことですね。 僕は美月の机の上に広げられたままの弁当をきちんと重ねて、自分のでっかい弁当箱と一緒にバッグに入れた。 さすがの美月もこんな異様な雰囲気の中で昼食を取る気にはなれないのだろう。 三人に慰めるような言葉をかけているイケメン君を横目で見ると、目が合った。 そう言えば、僕も二人が別れた原因なのだ。さぞや恨まれてるんだろうなあ……、と暗い気持ちになっていたら、 「高橋君、だよね」 と声をかけられた。 「はあ」 まさか話しかけられるとは思っていなかったので、我ながら間の抜けた声で答えてしまった。 「坂本さんから、色々話は聞いてるよ。幼なじみで仲いいんだってな」 「いや、仲がいいって言うか……、たまたま家が隣同士だから、見てのとおり美月ちゃんにこき使われてるだけなんだけど」 僕は弁当箱が2つ入ったバッグをポンと叩いてみせた。 「でも、弁当一緒に食うなんて仲いい証拠だろ。うらやましいよ」 彼の言葉には変な妬みやトゲなんかは含まれていなかった。本心からそう思っていて、それを口に出しているだけなのだ。 「美月ちゃん、俺の他に友だちいないんだよ。それに彼氏がいる時はそっちが優先だし」 昨日まで付き合ってたんだから知ってるだろ、と言いかけて、慌てて飲み込む。 「そうだな。悪い、引き止めて。坂本さん、短気だから早く行った方がいいよ」 淋しそうに笑う。 何だよ、本当にいいヤツじゃないか。 美月の性格の悪さも何もかも知っていて、それでもなお、彼は彼女を好きなのだ。現在進行形で。 こんな性格も顔もいいヤツと別れるなんてもったいない。 美月のことを好きだからこそ、他の男(例え僕のようなのでも)がそばにいたら気になるわけで、彼が嫉妬するのは当然だ。 そう思うのと同時に、彼が誰かに似ていることに思い当たった。 いかにもスポーツマンらしい爽やかさと言い、物腰のやわらかさといい。 誰だろう……、と考えながら、僕は屋上への階段を上った。 扉を開けると、柵に両腕を置いて景色を眺めていた美月が振り向いた。 「おっそーい、ぶう太。日焼けしちゃうじゃない」 さすがにムカっときたけど、僕は何も言い返せなかった。デブに階段はしんどい。心臓が激しく暴れまくって、汗が滝のように流れる。 首にかけたタオルで汗を拭いながら、僕は建物の陰になるところに座った。バッグから1.5リットルサイズのペットボトルを取り出して、スポーツドリンクをラッパ飲みする。 美月が僕の正面にすとんと腰をおろした。 ようやく汗が引いて落ち着いたところで、僕は二人分の弁当をコンクリートの床に置いた。 7月のはじめ、梅雨が明けて本格的な夏がはじまろうとしていた。 どこまでも青い空に、入道雲がムクムクと湧き上がってソフトクリームのようだ。 腹が減っていると目に付くもの全てが食べ物に見えてしまう。 授業が終わったらコンビニでアイスでも買って帰ろうかな、と思いつつ弁当をかきこむ。 食べ終わると、僕は弁当箱を仕舞った。 「武藤だっけ、イケメン君と話したよ」 美月が怪訝そうな表情で僕をじろりと見た。 「ふうん」 「あいつ、いいヤツそうじゃん。美月ちゃんの好きなスポーツマンタイプでかっこいいし。……長谷川先輩に感じが似てるよな」 僕は何気ない風を装ってそう言った。 風が吹いて、美月のセーラー服のリボンと襟が揺れる。沈黙が二人の間を流れた。 長谷川先輩とは、美月が初めて付き合った彼氏で、中学校の時の先輩だった。 野球部のエースで、坊主頭ということを差し引いてもカッコよくて、男女構わず慕われていた。夢見がちな女子中学生の憧れを総括したような人だったため、それはもうモテにモテまくって、毎日告白の嵐だった。 はじめはそんな少女マンガに出てくるような男なんて胡散臭い、なんて毒づいていた美月も、同じ野球部で万年補欠だった僕から先輩の話を聞いたり、何人かで一緒に帰ったりして、先輩が本物のいい男だということに気付くと、中二の夏に告白して付き合いはじめた。ちょうど4年前の今頃のことで、その時の彼女は本当に幸せいっぱいでキラキラ眩しいくらいだったのをよく覚えている。 美月が自分から告白したのはこれが最初で最後で、それからは言い寄ってくる男の中から先輩に似たようなヤツを選んで付き合っては別れ、を3年近く繰り返している。 「やっぱりぶう太にはバレちゃったか」 デザートのスイカをフォークで刺しながら、美月がふうっとため息をついた。 僕にもタッパーごと差し出してきたので、ひとつ食べると、みずみずしい甘さが口の中に広がった。保冷材で冷やしてあるので、つめたくておいしい。 「まあ、付き合い長いからな」 「今度はちゃんと好きになれると思ったんだよね。でもダメだったー。自分でも気付かないうちに先輩と比べて、違うところを見つけるたびに、段々イヤになっちゃって」 「……うん」 「はじめての彼氏が先輩みたいに完璧な人だと、それはそれで大変だわ。ぶう太も、最初に付き合う時はほどほどの人にしといた方がいいよ。ま、あんたと付き合ってくれる物好きな人がいればってことだけどね」 「好き勝手言ってくれるよなぁ。余計な心配しなくても、身の程くらいわきまえてるよ」 「それならいいんだけど」 僕が選り好みできるような身分でないことや、世の中の大半の女性はデブを敬遠するってことくらい、言われなくても重々承知の上だ。特に夏は。 ダイエットしようかなぁ……と、これまでに何百回も挑戦しようとしては挫折してきたことを考える。 「あー、暑いー。ね、ぶう太、今日パフェ食べに行こうよ。近所のカフェのチョコパフェ。それか、かき氷。いちご練乳がたーっぷりかかったやつ」 「いいね。俺も冷たい物食べたいと思ってたんだよね。両方頼んで半分ずつ食べようか」 ダイエットは当分お預けだな、と思いながら、僕はあくびをした。食後は眠くなる。 「そう言えば美月ちゃん、眠くないの? 昨夜寝るの遅かっただろ」 「眠いに決まってるでしょ。だから、授業中寝るの。次、古典だから、爆睡するつもり。山下の授業、全っ然分かんないんだもん。聞いてるだけムダ」 「ひどいなぁ、美月ちゃんは」 一応たしなめてはみたものの、僕も同じ意見だった。 山下は、古典担当の女教師だ。 教師になって二年目の彼女の授業はメリハリがなく退屈で、襲ってくる睡魔と闘うのに一苦労なのだ。 「ぶう太は寝ないの? あくびしてたくらいだから、眠いでしょ」 「眠いよ、そりゃ。睡眠時間四時間じゃね。けど、人の話はちゃんと聞かなきゃ失礼だろ」 「はあ〜、えらい、えらすぎるわ、ぶう太」 全く誉められている気にならない、そして本人も誉める気などないであろう口調でそう言って、美月は立ち上がった。 予鈴が鳴った。 「今週いっぱいは教室でお弁当食べるのはやめといた方がいいよね。今日が水曜だから、あと二日だねー」 「そうだなぁ。食事の邪魔されたくないもんな。屋上は暑すぎるから、体育館の裏とかいいんじゃないの?」 僕が重い腰を上げて扉を開くと、美月が当然のように先に通った。 レディーファーストってやつに厳しい彼女と長年一緒にいると、いやでもこういうことが身に染み付いてしまうのだ。 「そうね。人気がなくて幽霊でも出てきちゃいそうな雰囲気だけど、そっちの方がまだマシかもね。じゃ、私、歯磨きするから」 ひらひらと手を振って、美月は女子トイレに消えていった。
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