20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:余命 作者:koooohei

第1回   1
 あとたったの半年だけど君はそれでもいいと言う。あと半月でもきっと君はいいって言うんだろう。僕には全くわからない。そんな場面に遭遇したことなんてないからだ。でももしそういう場面に遭遇した、と考えるとやっぱり僕はもう少し生きていたいと思うだろう。せめてあと何十年とか。それは普通の人間の考えることだと思うし、何も間違った判断ではないと思う。それなのに、どうして君はあと半年でいいのだろう?そこまで僕は君にとって不必要な存在なのだろうか?そこまで僕は君にとって価値のない存在なのだろうか?僕にはよくわからない。何もわからない僕だが、君の命があと半年で終わってしまう、ということだけはわかってる。それは予兆であり、免れない事実だからだ。
 
 僕は何だか半年という時間の長さを把握することができない。もっと正確に言うと、一昨日からあと半年の間が一体どれほど長いのか、あるいはどれほど短いのかわからない。人の命が関わると僕は何もかもが曖昧になってしまうのだ。だが、真希はその時間を正確に把握しているようだった。何故真希だけがわかっているのか、と僕は思った。真希の死は僕と直接的に関係しているわけではないのに、何故か僕だけが混乱し、状況を把握できていないのだ。真希が被害者だというのに。僕は無関係だというのに。そういう意味では真希はものごとをしっかり整理しないと気が済まない人間だった。この出来事はこの箱に、あの出来事はこの箱に、そうしてものごとを整理しなければ真希は生きていくことができなかった、と僕は考えている。でなければ自分の死をここまで完結的に観察することなど、できるわけがないからだ。僕からすればそれは、枠から外れた考え方だった。つまり真希にとっては自分の死ですら、しまうべき箱が用意されているわけだ。
 
 
 眠ることは僕の中では観念的なものになっていた。つまり意識すれば眠ることができるし、眠ることを忘れていれば僕は眠りにつけない体になっているのだ。少なくとも、真希があと半年で死ぬことがわかってからは一度も眠りについていない。だからなのだろうか?僕はやること一つ一つが少しずつ正確さを失っていく。やがてやる気さえも失われていく。僕と同じ境遇の世界の人々よ、あなたたちもそうなのだろうか?いや、もうよそう。眠らなくては。明日は早い。
 
 携帯電話のアラーム音で目が覚めた。起き上がりシャワーを浴びながら髭を剃った。服を着ながらふと台所に目をやると真希が料理を作っている気がした。まだ僕の中にはその記憶がはっきりと残っていて、こうしてまるで現実の出来事のように感じることができる。一瞬幸福を感じたが、それがやがて消えていく風景だと思うとそれ以上に悲しみを感じた。
9時に家を出た。川沿いを歩きながら駅へ向かった。20分ほど歩くと駅が見えてくる。この辺りもすっかり新しくなり、僕が子供の頃とはもう違っていた。活気に溢れていた商店街はデパートになり、裏道やおまけをたくさんくれた気のいい人たちは全て消えた。どこに行ったのだろう?いつも思う。人の記憶とは少しずつ、でも確実に削り取られていくものだと。もう商店街のおっちゃんの顔すら思い出せない。どこかで会っても気づくことはないだろう。僕は怖いんだ。やがて真希のことも何もなかったかのように全て忘れてしまうことが。

改札を出てタクシーに乗り込んだ。運転手は40代ぐらいの無精髭が目立つ男だった。運転手は聞いてもいないのに自分がなぜタクシーの運転手という職についたかを話し始めた。
「元々は建築関係の会社の営業部長をやっていました」溜息。「しかし不況で売り上げがどんどん下がり、社員の給料も少しずつ減っていきました」
「はあ」と僕は言った。
「まあそれで無茶な異動を言い渡され自主退社に持ち込まれ。まあよくある話のリストラってやつです。そして妻にも愛想をつかされ、彼女は家を出て行きました」
都会から離れ、緑が多くなってきた。コンビニを左に曲がり、病院の看板が見えた。もう少しだ。
「だからなんです」運転手は続ける。「人を信じられなくなりました。人を信じられない人間は目が死んでいます。お客さん、あなたもだ」
「僕が、ですか?」
運転手は頷いた。
「そうです。私にはわかります」
ちょうど病院についたので「ここでいいです」とだけ伝え、金を出した。
釣りを用意しながら運転手は続ける。「そういう目をするにはあなたはまだ早い。まだ遅くないです。戻ってきなさい」
「どうもありがとうございました」
僕はなるべく早く車を後にした。10メートルぐらい歩いたところで一瞬振り返ると運転手はまだこちらをじっと見ていた。僕が振り向くことはもうなかった。

真希は僕らがよく話をした公園のベンチに座っていた。いつも通りどこにでも売ってるメロンパンを輪郭から器用にくるくる回しながら食べていた。真希を見ているとまだ死ぬわけがないと僕は思った。真希の周りには死を連想させるものなど何もなかったからかもしれない。どちらにしろ真希は死ぬのだ。実際的に、真希は死ぬ。この世界から外されていく。僕だけが残る。残される。
 この公園と病院は隣同士だったため、病院の患者が外に出る時、大抵ここに来る。真希は遠くを見据えていた。僕は真希の隣に腰を下ろした。真希は僕を見なかった。僕に気付いているのかどうかさえわからなかった。
 「何を見ているの?」と僕は試しに言ってみた。
 「屑を見ているのよ、ノグチ君」僕は真希をまじまじと見つめた。「さまざまな屑を。いろいろな形をもっていて、いざとなると対立するものに溶け込んで、自分の色を失っても傲慢に生き続ける屑を見ているの」
 「それって人間のこと?」真希は何も言わなかった。沈黙だけが、僕の目の前でぷかぷかと浮かんでいた。「あのさ僕、昨日の昼もう一度医者のところに行ったんだ。それで‥‥」
 「またあそこに行ったの?」真希は機嫌悪そうに言った。
 「悪かったかな?」
 「あそこはよくないところだわ」真希は少し首を傾げて言った。「よくないところには行くべきではないわ」
 「医者にいろいろ教えてもらったんだ。これからは食べ物にも注意しなくちゃいけないって知っていた?」
真希は返事をしなかった。
 「医者の言うことなんか聞かないわ」そう真希は言う。辺りが霧に包まれそうな感覚に陥る。「信用できないもの」
 「じゃあ、君は何を信用しているの?」
 「自分だけ」じゃあ僕は何をどうすればいいんだ、と思った。「でもね、次に信用できるのが物よ」真希は手を使って僕に表現した。「物質ね。息もせず、考えたりもせずに静止している物質よ。あれは信用できるわ。動かないし、喋らないから」
 僕は先ほどから真希の言うことに疑問を感じ始めていた。何がどうとかではなく、真希自身によくないことが起こっているような気がした。
 「信用するのはそんなに難しいことなのかな?」僕は真希の言うことに初めて反論をした。「そんなに困難なことなのかな?そんなに慎重に考えることなのかな?」
 「自分で考えればいいじゃない」と真希は言う。「そうすればきっと答えは出るわ。それが正しい答えとは限らないけど」
 「きっと君と同じ答えに辿り着くのだろうね」
 「ええ、そうよ。同じ答えに辿り着くわ」
真希のその言葉を聞くと、僕は途端に悲しくなった。


次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 224