この年に十一歳になっていたユミさんの記憶では、秋頃、ハマさんが急激に痩せた。どんどん痩せていくのにおなかがすかない、食べられないと言って、走りに行こうとユミさんを誘って、家の前の県道を歩いたり少し走ったりの散歩に行ったことを、ユミさんは憶えている。県道といってもまだ舗装されてなかったのだろうし、歩道なんかも無かったんだろうなあ、と栞は思う。県道の向こう、南東の方角には山などが無くて視界が多少は開けているので、昭和二十年三月十日の東京大空襲の夜には、その方角の空が真っ赤に染まっていたのを、ユミさんは憶えていると言う。栞が小学生の頃に遠足で訪れた大附のミカン山からは、新宿の高層ビル群が見えた記憶があるから、空が真っ赤なだけではなくて地平線が火の海になっている恐ろしい風景が見えていたかもしれない。 ハマさんの体調が優れないまま明けた、昭和十八年一月二十一日、祖母は父を出産した。戦局は次第に悪化してきていて、二月には陸軍がガダルカナル島から撤退して、日本軍は劣勢であることが国民にも知れわたった。戦地にいるお兄さん達のことも心配だったけれど、ユミさんはどんどん衰弱していくハマさんのことが心配で心配で、少しでも役に立ちたくてすいとんを作ったり幼い姪や甥達の面倒を見たり、懸命に手伝っていたそうだ。
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