トミさんが嫁いだ翌年、祖母の六歳年下であった幸平さんが二十歳で、兵役に行ったのではないかと推測される。祖母もユミさんもあまりよく憶えていなくて、一番先に兵隊に行ったのが幸平さんで二番目が善吉さんで、最後が利一さんだったという順番だけしか憶えていないのである。善吉さんが出征した時に奥さんのカナさんのお腹が大きかったことは、ユミさんが憶えている。善吉さんとカナさんが籍を入れたのは昭和十六年二月十五日で、カナさんが万里子さんを出産したのが十月十五日だから、善吉さんが出征したのは十六年の夏から秋頃と推測していいだろう。結婚してわずか半年くらい、祖母の二歳年下だからたぶん二十五歳だったはずである。秘密招集だったので、よくTVドラマで再現されているように万歳三唱で日の丸の旗を振って華々しく送り出されるのではなく、まるで夜逃げのように、ひっそりと旅立っていったのだそうだ。誰にも見送ってもらわないで、自転車の後ろに荷物をくくりつけて、たった一人で戦地へ赴くお兄さんを、十歳だったユミさんは物陰に隠れてこっそり見送っていたと言う。まさかその時には、これが今生の別れだなど思いもしなかったと、ユミさんは遠い記憶を手繰り寄せる。 「は〜るか〜に〜と〜お〜い〜、ラ〜ンララン、あおぞらを〜…って、あれは何の歌だったかねえ…。口笛を吹きながら、自転車をおして、歩いて行ったんだよ…。」 「自転車は?駅前に置きっぱなしで行っちゃったの?」 戦争中は自転車は貴重品だったらしいから、駅前に放置自転車の山がある状況は、ありえないだろう。そもそも明覚駅へ行って八高線に乗ったのか、武蔵嵐山駅へ行って東武東上線に乗ったのか。明覚駅の近くには大造さんの生家が、武蔵嵐山駅にはちょっと離れているけれどハマさんの生家があるから、どちらへ行ったとしても自転車を預けることは可能だろう。しかしそれでは秘密招集なのに秘密にならなくて怒られてしまうのではないかと、栞は思った。軍隊というのは規則で人間をがんじがらめにし、シゴキとかイジメとかで人間性をズタズタに引き裂いてロボットにしてしまうことを目的にしている恐ろしい組織だから、秘密のはずのことを秘密にしなかったらゴーモンみたいなことをされるのではなかろうかと、栞は心配した。
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