「いるよ。」 まだその頃には母は、祖母と八百松の関係が男女の仲なのだということを子供たちには気取られないように一応は努力していたと思う。あくまで単なる茶飲み友達で、恋人とか情人とかなんかじゃあないという態度だった。しかしどんなに平静を装っても、嫌悪や侮蔑は気づかないうちに滲んでいるから、母は八百松が好きではないのだろうと、栞は思っていた。実際には絵美子が嫌悪していたのは八百松ではなく祖母だったのだけれど、祖母と八百松は夫婦のように自然に一体で、祖母と栞や両親や兄たちも全く自然に家族という一つの塊だったから、母が八百松を嫌っているのか祖母を嫌っているのかは、栞の目には判別できなかった。 「あっちも商売人だから人当たりはいいんだよ、気さくで親切でほがらかで。でも、腹ン中はどうなんだかって感じだったわよねえ。あたしのこと冷た〜いヘビみたいな目で見てたもの。なんでおばあちゃんのことであたしまであんな目で見られなきゃならないんだか。」 そんなふうに言う絵美子は、自分が八百松を同じような目で見ていたことは、気がついてなかったのだろう。 母は、祖母のことを『おばあちゃん』と呼ぶ。姑なのだから『お義母さん』と呼ぶのが正しいのではないかと思うのだが、母が祖母をそう呼ぶのを、栞は聞いたことがない。絵美子がおかあさんと呼ぶのは、自分の実家の生母だけだ。単に区別したくてそうしているのか、祖母に対する嫌がらせでそうしているのか、栞には後者のように見える。 「あたしは絵美子の『おばあちゃん』じゃないのよ。」 不満げに栞に囁く祖母は、けれど『年寄り扱い』されていることに憤慨はしても、嫌がらせをされているという受け取りかたをしていない。母が『おばあちゃん』という言葉に込めるのは単に高齢者であるというだけではなく、年寄りなのに他人の夫と破廉恥なつきあいをしてみっともないとか、いつまでも若いつもりで阿呆なんじゃないかという侮蔑や嘲笑が込められているのに、祖母は全く嗅ぎ取らない。祖母が天性持つ鷹揚さというかお気楽さというか、自分以外の人間の心の中になど一切頓着しない、皮肉とか揶揄の類いを全く理解しないあの性格は、鬼ばかりと言われる俗世間を渡る上では、自分を楽にする最高の舟だろうと、栞は思う。
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