しかしなぜ、岩手県出身の恵一さんがトミさんを岩手県に連れて行くのではなくて、玉川村に終の住処を定めたのだろう。ユミさんの饂飩と水とんの記憶の頃には、トミさんは遠くに行っていたと、ユミさんは憶えている。遠くというのが何処なのかはわからない。恵一さんが出征している間は、トミさんは戸田の家に戻って来ていたそうだ。 父は、恵一さんは玉川村で一番高額の軍人恩給をもらっていたのだと言う。ユミさんの記憶では『海軍ヘイソウチョウ』という階級だったということだが、英俊はそんな名称の階級は無いと言う。なんにしても、高額の軍人恩給とか言ってもあくまで玉川村では、という次元の話で、軍の中枢にいたとかいうような凄い『エライ人』だったわけではない。飛行機の整備をするためにサイパンへ行かされる直前、盲腸炎になって行かされずにすんだから戦死しなかった、ただの整備兵で、司令官とか大佐とかそういうのでは全然無い。海軍というのは視力がよくなければならないとか専門の知識や技術が必要とか合格条件が陸軍よりも大変だったので、海軍にいた恵一さんはエライんだぞ、と、そういうことらしい。祖父もその弟たちも、祖母のボーイフレンド諸氏も皆、陸軍で、海軍へ行ったのは祖母の知る範囲では恵一さん一人だけなのだ。戦後は村役場に勤めていて、それこそ『役場のエライ人』だったから、だから祖母はエライ人の妻で有閑マダムふうなくせに自分にいろいろ難癖をつけてくるトミさんがわずらわしかったらしい。 そういえば栞の結婚式の時、恵一さんをはじめとする高齢者の皆様方は、栞の夫の親族の殆どが茨城県水戸市周辺に在住であることを聞いて、知人の誰々が内原訓練所で訓練を受けて満州へ行ったんだとかそういう話で盛り上がっていたと、父が言っていた。あの頃が最後のチャンスだったのに、栞はウエディングドレスや新居のことに夢中で、それを永遠に逃した。あの頃に、否、もっともっと前から、戦争があった時代についてきちんと話を聞いておけばよかったと、心から悔やむ。恵一さんも祖母のボーイフレンド諸氏もユミさん以外の大叔母たちも、もう話を聞くことはできない。
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