「ゴルフって身体ひねるじゃない、ウエスト細くなるわよお。」 そう言ってせっせと練習場に通っていたが、絵美子の腹周りは細くなるどころかぶくぶくと膨張する一方だ。ゴルフ場で陽に焼けるせいか、シミも小じわも加速度的に増えた。母親に反発を覚える歳頃というタイミングもあり、母よりも祖母のほうが女として魅力的だと、その頃の栞は絵美子を疎んじていた。歳をとっても性を卒業しても女が女として男に愛されたいと思うことは、ごく普通に自然なことだと、祖母を見ていて思った。実際には、祖母は卒業どころかバリバリ現役で、だから当然オシャレだし、異性に好かれたいという意欲もモテるんだという自惚れもバッチリしっかり健在だったのだ。 真夏のものすごく暑い時以外は、祖母は和服を着ていることが多かった。当然、パンツに類するものは穿いていなくて、そのせいだろうか、歩き方とか、ちょっと振り返る時の身体のひねり方とか、そういった立ち居振舞いは杖をついて歩くようになってからも日本舞踊のように嫋々となよやかで、大和撫子の風情があった。『色の白いは七難隠す』が祖母の座右の銘で、柚の種子を焼酎に漬けた自家製の化粧水で入念に肌の手入れをし、頭皮には大島の椿油をぬりこんでマッサージをし、実年齢より若く見られるのだと誰かれ構わず自慢していた。お昼頃に放映していたみのもんたのテレビ番組で紹介される健康法や美容法をせっせとメモにとって片っ端から実践し、人にも熱心に奨めていた。猫が身体を舐めるように、自分磨きに余念がない祖母は、渋谷や原宿を闊歩する若い女性と精神面においては全く同レベルだと、栞は思った。 そんな祖母が亭主に死に別れたのは、一度目が戦争中の昭和十九年で三十歳の時、二度目が十年後の昭和二十九年で四十歳の時だ。現代のアラフォーほどではないにしても、小江戸川越の近郊から奥武蔵のひなびた農村の小商人の家に嫁いで後家さんになった祖母は、手拭いを被ってモンペを穿いた農村のオバサン連中に比べればよほど艶っぽくて、近所のオジサンオジーサン連中にとってさぞや悩ましい存在だったことだろう。
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