「稲子がせっせと手伝ってくれたから、まだなんとかなったよねえ…。あれはあたしじゃなくてあたしのおばあさんにそっくりだよ。気が強くて働き者でねえ…。」 「ナツさんじゃなくて、えーと、勝四郎さんのお母さんってこと?」 「そう。」 祖母の第一子の稲子さんは昭和九年の生まれだから、その頃は思春期の多感な少女だったはずだ。寡婦となった母親を助けて一生懸命に店の仕事を手伝う、健気で頼もしい長女であったらしい。けれど幸平さんの目に祖母と稲子さんの血が滲むような努力が映ることはなく、その乱行が止むことはなかった。父は、十歳の時の記憶として、この姉がすぐ下の弟の長男の茂博さんに『あたしが刑務所に入ってもいいから、一緒に幸平さんを殺そう。』と言っていた血を吐くような声が、耳の底にこびりついていると言う。母親を苦しめる叔父でもある継父を壮絶なまでに憎んでいた様子がうかがえて、栞はトリハダがたった。 昭和二十九年二月二十五日、酔いつぶれた幸平さんは八高線の線路に寝ていて亡くなったとのことである。事故なのか自殺なのかわからないと、祖母も父も言う。目のところと腕に小さな傷があっただけの、想像されるよりはきれいであったらしい遺体は、実年齢より十も老けて見えるような、疲れはてた顔をしていたという。実年齢は利一さんが戦死したのと奇しくも同じ、三十四歳だったそうだ。
|
|