「その男の人さあ、ついて来るかって言ったってことは、就職?」 「たぶんね。」 「その人と結婚して東京に住んでたら、銀座でモガとかやってたかもね。」 でもそうしたら、東京大空襲で死んでたかもしれないよ、と、恐ろしいことをアッケラカンと言われて、栞のほうがギョッとする。 「就職じゃなくて、旧制中学とか帝国大学とかに進学して、卒業したら迎えに来るから待っていてくれ、だったら、待ってた?」 「バカ言ってんじゃないよお、華族や士族の子弟じゃああるまいし。」 手元に、祖母の四歳年下の、亡くなった弟さんの手記のコピーがある。A3サイズの紙に大きめの文字で四十字×三十六行が四枚だから、さして長い文章ではない。『です、ます』調がいきなり『である、だ』調になったり、文の途中で改行していたり、句読点が無かったり、パソコン(ワープロかもしれない)をまだ使いこなせなくて四苦八苦しながら作成したのであろう様子がうかがえる力作である。それでも、祖母のミミズがのたくったような手書きの、旧カナ遣いでお茶やショーユをこぼして滲んで読めない箇所だらけの日記に比べれば、はるかに読みやすい。この中に、『就職の時は履歴書を書くのですが、勝四郎次男 平民 高田友晴と書いたものでした。士族は山根君一人だったと思います。』という部分があって、祖母たちの若い頃には平民と華族とか士族とかは『別の世界の生き物』のような認識があったのだという現実を見ることができる。祖母の知る範囲の中に旧制中学とか帝国大学とかに進学した男の人は一人もいなくて、そんなのは雲の上の世界の話だったと言う。
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