「それがさあ、ウワサがたっちゃってねえ。父親がメカケなんか囲ってるから娘もフシダラなんだとか言われちゃってさあ。」 家制度を守るために、女は命を捨ててでも貞操を守らなければならないだとか、処女で結婚しなければならないだとか、栞やその友人たちにしてみれば到底『ありえなーい!!』教育が、想像を絶する頑強さで、がっちりと根を張っていた時代だ。まさかとは思うが、そんなウワサがたってしまったから、川越市の郊外から玉川村なんて辺鄙なところへ嫁に来たのだろうか。 「親が『その男とイイ仲なのか。』なんて言うから、嫌になってねえ…。その男の親類の女の子が同級生にいたから、その子に頼んで写真を取り返してもらったんだよ。別れ仲裁も、してもらった。」 テレビなどで時々、大正ロマンという言葉が使われるけれど、祖母の話を聞く限りにおいては大正から昭和のはじめくらいは、ロマンもへったくれも無いじゃないかと、栞は思う。キスはおろか手をつないですらもいないのにフシダラとか非難がましいことを言われるなんて、まるで監視社会だ。だいたい、命を捨ててでも処女を守れなんて無茶苦茶なことを言うんだったら、強姦した男は全員、死刑にしなければ不公平だと思う。 「それで、その男の人は、おばあちゃんのことを諦めて一人で東京へ行ったの?それとも逆上してストーカーになったりした?」 「そんなことする人じゃないよお。『神のごとき貴女の純な心を傷つけて誠に申し訳ない。地に臥してお詫び申し上げる。』っていう手紙と一緒に、写真を返して寄越したんだよ。」 「ふーん、文学青年じゃーん。」 そういうところは、大正ロマンという言葉の雰囲気を感じさせると、栞は思う。今時の、自分が傷つくのが極端に怖い男だったら、うかつに別れ話なんか言い出したら逆ギレしてその場で刺されかねないし、ストーカーになったり、ネットに個人情報をばら蒔かれたりするかもしれない。今時の男は表面的には昔の男の人よりも優しいけれど、それは臆病で自分に自信が無いからだと栞は思う。昔の男の人は男尊女卑でムカツクけど、自己を律する精神や引き際の美学のような考え方は、今時の男よりも強く持っていたのかもしれない。
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