絵美子だって同じだ。コラーゲンを飲んだりエステに通ったり、いつまでも若く美しくありたいという願望はすべての女性に共通のもので、年齢は関係ない。しかし絵美子の目には、嫁よりも自分のほうが美人だなどと会う人毎に言っている姑の存在は、見苦しくあさましく忌々しく、苛立たしいことこの上ない。単純な体質の問題なのだろうけれど、どんなに運動してもちょっと食べるとすぐ太ってしまう母とは対照的に、いくら食べても太らない祖母のシャナリとした体型は、絵美子のコンプレックスをグサグサと抉るのだ。六十才で民謡をはじめ、六十一歳で三味線をはじめ、六十二歳で日本舞踊をはじめ、そのどれもをソツ無くこなして賞賛を浴び、七十歳を過ぎて複数の男性から愛を囁かれる祖母の人生は、タバコの吸いすぎで肺に穴があいて入院したきりだった絵美子の実母の侘しい晩年に比べてあまりにもパワフルで華やかで、絵美子はせつなくなってしまうのだろう。 絵美子と英俊は友達同士のような夫婦だけれど、それはあくまで栞の目にはそう見える、というだけのことで、れっきとした夫婦なのだから、父は母を愛しているだろうし、母は愛されているという幸福を自覚しているはずだと思う。しかし母はそれが当然のことだと思っているように、栞には見える。愛される幸福は、戦争や災害や病気や予期せぬ女の出現などで、いつ奪われるかわからない。愛を奪われた女の悲しさy絶望やつらさは、奪われた経験の無い女には、おそらくわからない。母は愛されている幸福の上にどっかりと趺坐をかき、傲慢になっていると、栞は思う。愛される幸福を奪われた祖母が、その空虚を複数の男の人に埋めてもらったとしても、それを背徳だとかフシダラだとか言う資格は誰にもないと、栞は思う。一家の主を戦争に奪われ、子供たちだけでなく夫の両親や弟妹の面倒を見たり、意にそまぬ再婚を強制され、その相手には不埒の限りをつくされたあげくにまた死に別れて、遺族年金という国家の救済の網からも零れおちて、女手一つで傾きかけた婚家の商いを立て直して…。栞的に言えば、そんなビンボークジ引きまくりの人生なんて『ありえなーい!!』ことだ。いっぱい苦労して、いっぱい頑張ってきた祖母が遅すぎる青春を少しでも楽しく過ごそうとしているのなら、応援してあげればいいと思う。
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