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作品名:花筏〜はないかだ 作者:SHIORI

第57回   57
子供の頃、ピーコは祖母の猫なのだと思っていた。猫というのは家につくものだから誰の猫というわけでもなかったし、実際に刺身の切れ端をポイポイ与えていたのは父なのだから父に一番なつくのが自然ではなかったかと今は思うのだが、なんで祖母の猫だと思っていたのだろう。
おそらくそれは、おばあちゃんというのはもう終わった世代なのだという、現役世代が勝手に作ったイメージを刷り込まれていたせいなのだと、今ならわかる。もう人生の黄昏時を迎え、やりたいこともやらなければならなかったことも大方やり終えて、猫を愛撫しながら来し方を回想しているのが高齢者なのだという一方的な思い込み。そんな『枯れたイメージ』は、高齢者の実態をちっとも見ていない、愚かな偏見だったのだと、今ならわかる。
それを裏付けるのが、記憶に残っている調理場のもう一つの場景だ。父が鯉を解体してアライを作り、母が鯉濃くを作っていた、マグロの刺身よりもよっぽど山里の風情がある魚料理。冬の恒例行事だった鯉の解体ショーは、祖母のボーイフレンドや英俊の悪友が生きた鯉を持ち込む度に、幾度となく行われていた。親不孝なことに、栞は食わず嫌いでいまだにアライも鯉濃くも口にしない。けれどまるで何回も見た映画のように鮮やかに憶えているのは、解体する行程の中盤から終盤、鯉の内臓のどの部位だかを、父がお椀に採ると祖母を呼び、祖母がその内臓を生のまま丸飲みにしていたスプラッタな光景だ。大人の親指の先端くらいの大きさの、黒っぽい緑色の内臓。キモとか言っていた記憶があるけれど、肝臓ではなくて心臓なのだろうと勝手に思っていた。なぜなら祖母は、鯉の生き血を飲むと美人になるとか若返るとか言っていたからだ。
今になって思うキモイ疑問は、寄生虫とか大丈夫だったのだろうかという点だ。お尻から饂飩が出てきたんで手で引っ張って出して捨てたとか、学校の校庭にソーメンの塊が落ちていたとかいう話をしていたのは、八百松だったか岡田さんだったか。なんにしても寄生虫の心配よりも美人になるとか若返るとかいうことのほうが、祖母にとっては重要なことだったのだろう。拒食症になったり生理が止まっても痩せたいという小娘や、美容整形や脂肪吸引に大金を使うOLと、五十歩百歩なのだ。


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