祖父のすぐ下の妹のクミさんは、義妹とはいっても祖母より一つ歳上の大正二年生まれで、祖母が嫁いだ頃には当時の埼玉県知事のお屋敷へ女中奉公に上がっていたという。娘の経歴にハクをつけたいという大造さんの見栄のためだろうと、栞はバイアスのかかった見方をする。祖母が嫁入りした翌月に女学校を卒業したトミさんも、同じ家に奉公に上がったというのだから、なおさらそう思う。その年の八月、祖母と祖父は新婚旅行ということで、東京へ遊びに行ったそうだ。どこへ行きたいかと問われて東京と答えたところに、祖母の好みが出ている。祖母は結婚する前に二度、東京へ行ったことがあると言う。一度目は尋常小学校に入った年で、関東大震災より前の東京だ。二度目は十五、六歳の頃で、震災から五、六年後の東京である。震災直後の壊滅状態で焼け野原の東京は見てはいないということで、だから今時の地方の田舎の女の子と同じ、単純な大都会への憧れの目でしか、東京を見ていない。それは高齢になってからも同じで、祖母が八十才くらいの頃だったか、栞が歌舞伎座へ『義経千本桜』を観に行こうと誘った時も、父や母が止めるのも聞かずにホイホイ出かけた。栞は人生で最初の、祖母は最後の歌舞伎座観劇で、いい思い出になったと栞は思っている。 新婚旅行で東京へ行った時は、歌舞伎座ではなくて宝塚劇場へ行ったのだと、祖母は話してくれた。当日はまず、玉川村から菅谷村(嵐山町)まで乗り合いバスで行き、東武東上線に乗って、実家がある霞が関駅でいったん下車し、ナツさんに紹介された産婆さんに診てもらってから再び東上線に乗って、東京へ行ったのだそうだ。 「妊娠してたのによく東京へ行こうなんて考えたねえ。」 初めて妊娠した時、悪阻のあまりのひどさにノイローゼ気味になって、腹を切り裂いてしまいたい衝動にかられ、新居のキッチンで包丁を握り締めていた栞は、妊娠初期に東京見物に出かけた祖母のお気楽さに呆れもし、羨ましくも思う。 「始まって本当にすぐだよ。お腹大きくなったら行けないから、慌てて行ってきたんだよ。」 まずはクミさんを電話で呼び出し、三人で宝塚劇場へ行ったのだと言う。どんな演目を見たのかは、忘れてしまったそうだ。憶えているのは、妊娠初期だったので旅館を探して歩き回るのがひどく難儀だったことだけだと言う。どこに泊まったのかも憶えていないが、一泊した翌日には、今度はトミさんと合流して向島百花園へ行ったと言う。なんで新婚旅行なのに次々に妹を呼び出すのよ、じいちゃんて変な人、と栞が言うと、祖母も 「そうなのよ、男一人に女二人だから周りの人に囃し立てられてさあ。」 と、くすぐったそうに笑いながら言う。やっぱり祖父は、最初は義務感だけで結婚したのだろうかと、栞は祖母のノーテンキさに哀れみを覚える。栞の知る範囲内では、自由恋愛で結婚した友達のほうが離婚率が高くて、仲人がいる結婚式を挙げた友達には仮面夫婦が多いように見える。仲人さんへの義理とか諸々のしがらみがあって、仕方なく我慢して結婚を継続しているらしい。けれど、結婚して三年五年くらいの間は会う度にご主人の愚痴を言っていた友達の家のほうが、十年十五年と経過してみると家族としての情愛とか絆がもやもやと醸成されていたりする。それは糠床のように見栄えはしないけれど、熱烈な恋愛結婚をした友達の家の空気よりも豊潤だったりするから、祖母と祖父の場合も時間をかけてじっくりと愛を育んだのだと思いたい。
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