嫁入りした次の日の二月二十八日、本当は間一日あけて行われる『里帰り』を、何か事情があったのか、一日間をあけないで行った。もう一度花嫁衣装を着て生家に行くのだそうだ。舅の大造さんと一緒に生家に行って軽く食事をし、今度は実父の勝四郎さんもつきそって、夜までに婚家に戻るのだという。 「じいちゃんは?新郎でしょ、一緒じゃないの?」 「何してたんかねえ?憶えてないねえ。」 当時の結婚式はハッピーウェディングというより家と家との団結式っぽいものだったのだろう。新郎よりもその父親のほうが主役で、花嫁ですら団結の証の献上品、 もしくは戦利品といった位置付けで、人間ではなくて装飾品の扱いだ。祖母は、嫁入りと里帰り、それから借金して手に入れたバイクで何度も往復したはずの道を、全然憶えていない。道は変わってしまっているだろうから仕方ないとしても、嫁入りの移動手段がなんだったのかも全然憶えていないと言うのだ。昭和八年の道路はまだ舗装されていなくて、自家用車なんて存在しない時代。 里帰りをした日の夜は、実父の勝四郎さんが婚家に泊まる。重い花嫁衣装をやっと脱ぐことができた祖母は、勝四郎さんが大造さんと酒を酌み交わしながら、 『うちの娘はまだ若いのでなんのクセも無いから、庭の植木のように右へ曲げたければ右、左へ曲げたければ左ってしてください。そうやってやってください。』 と言っているのを、物陰で聞いたと言う。なんて非道い言いグサなんだと、栞は呆気にとられた。暴力団とかの野蛮な男が、家出少女を騙して売春組織に売りつけるみたいだと思う。 「それはねえ、大造じいさんって人はもう、ものすっごいイッコクでねえ、何もかもが自分の思いどおりでなきゃ、気がすまない人だったんだよ。明治の男だからねえ。」 イッコク、という言葉を辞書で確認してみると、人の言を聞き入れない様、かたくな、頑固なこと、などの説明が見られる。それがわかっていても、祖母の発音だとなぜかイッカク、と聞こえるので、ユニコーンとか北極海にいるイルカの仲間を思い浮かべてしまう。そして『明治の男』というのも、栞にはユニコーンと同じような幻獣のように思えた。ただしユニコーンのようなロマンティックな聖獣ではなくて、もっと不吉で邪悪で迷惑な類いの、どちらかと言えば怪獣に近いイメージのものだ。
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