祖母の祖父の松造さんは、祖母が二歳の時に認知症と思われる状態になり、三歳の時に亡くなったと言う。この松造さんの世話も、ナツさんがほとんど一人でやっていたとのことだ。祖母自身は幼かったので憶えていないけれど、姉の桜子さんは五歳の時、松造さんが徘徊してどこへ行ってしまうかわからないので、見張りをさせられていたのを、はっきりと憶えていたそうだ。 「姉ちゃんが死ぬ何年くらい前だったかねえ…、もうすっかりボケちゃってたんだけど、昔の話をしてくれてねえ…。今みたいに痴呆症だとかアルツハイマーだとかわからないから、キチガイになったんだと思ったって、言ってたねえ。ボケちゃった人がボケちゃった人のことを話すんだから、おもしろいよねえ。」 桜子さんに松造さんの見張りをさせておいて、ナツさんは家事をこなすべく立ち働いていたのだろう。タケさんが亡くなった後はお店の経営も任されていたというのだから、本当によく働く人だったのだろうと思う。勝四郎さんという人は、祖母の話を聞く限りにおいては、まったく何様のつもりかと言いたくなるような亭主関白で、自分が店番を引き受けているのに店先の縁台で将棋仲間と将棋を始めてしまって、子供が五厘硬貨や一銭硬貨を握りしめて駄菓子を買いに来ると、その子供にナツさんを呼びに行かせて駄菓子の精算をさせ、自分は将棋盤から目線を外すことすらしなかったという。明治の男ってみんな、そんな横柄だったのだろうかと、栞は呆れて思う。ナツさんはきっと、勝四郎さんにメカケがいることを嫉妬するどころか、最初から愛し合ってなんかいなかったんじゃなかろうかと思ってしまう。結婚生活の基盤を愛と考える世代にとって、基盤を家の存続や体面と考える世代の夫婦の在り方は非人間的と言っていいくらいに男尊女卑で、昔の女の人はよくこんな横暴を許していたなあと思う。この世代の男の人達に人を愛する心が不足していたから、戦争なんかやっちゃったんだろうな、と少女じみた結論をつけて、栞は祖母に、他にどんなことを憶えているのかときく。父の勝四郎さんの誕生日も命日も、母のナツさんの誕生日も命日も、もう祖母は憶えていないのだ。
|
|