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作品名:花筏〜はないかだ 作者:SHIORI

第38回   38
関東大震災の時、祖母は九歳だった。尋常小學校の四年生だ。しかし祖母は自分がどこに居てどんな状況で揺れたのか、全く憶えていないと言う。埼玉では震度六を記録したと本には記してあるが、祖母が住んでいた、今の川越市西部のあたりでは、全然大した揺れではなかったと、祖母は言う。理由は、祖母の生家は全くの無傷だったからで、物が落ちたとか壊れたということもなかったので、そんなに大きな地震だとは思わなかったのだそうだ。後になってから、川越の中心部のほうで父親の知り合いの土蔵住宅が壊れたとか、芳野村(祖母の生家から川越の中心部を挟んで北東側)の尋常高等小學校の校舎が倒壊したなどの話が伝わってきて、やっと、大きな地震だったのだと認識したらしい。
東京や、東京に近い県南部のほうから、被災者が続々と避難して来る。自治体の救護所がたくさん設置されていたが、縁故を頼る人もいる。祖母の生家の近くにある親戚の家に身を寄せた、同い年の女の子がいた。
「タエちゃんっていってねえ、ものすごい顔色が悪くて、目ばっかりギョロギョロしてて、全然笑わないの。よっぽど恐ろしい目に遭ったんだろうねえ。」
テレビもラジオも無かったし、祖母は新聞も本も読まない人だから、死者が九万九千三百三十一人だったことや行方不明者が四万三千四百七十六人だったことを、今でも祖母は知らない。九歳だった祖母が憶えているのは、幽鬼のようなタエちゃんだけだ。タエちゃんのお父さんとお母さんのどっちかは倒壊した建物の下敷きになって死んで、どっちかは大怪我をして、だからタエちゃんはおばちゃんちに来たんだよ、という話を、祖母は母親から聞いたような気がするけれど、近所のおばさんからだったかもしれないと言う。仲良くしてあげな、優しくしてあげな、と言われたけれど、できなかったと、祖母は言った。
「だって笑わないし、目が怖くてさ…。何を話せばいいんだか、わからないし…。」


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