「りゅうげんひごってなに?」 「根も葉もない、いい加減な噂話って意味だよ。攻めて来るってことは怨みをかってるんだって、なんでわからないんだかって思うけど。戦争中の日本の軍隊の中に七三一部隊ってのがあって、ナチスと同じように残酷な人体実験をやって、朝鮮人を殺したらしいよ。昔の日本は、日本人はチョーエライって変な教育をしていたんだ。母ちゃんが子供の頃行ってた学校では、そういう事を教えていたんだよ。」 「チョーエライどころかチョーバカだったんだねえ。」 その時の父との会話が大人になってからも頭に残っていたので、栞は二十代後半くらいの頃、祖母に訊いてみたのだ。 「関東大震災の時って、朝鮮人が攻めて来たの?」 二十年近く前、まだ小学生だった孫娘にチョンコーの娘とつきあうな、などと非道いことを言って、危うく古い差別や偏見をうえつけかねなかったことなど、祖母はきれいさっぱり忘れてたいる。 「川越市あたりじゃあ、噂だけで何も無かったと思うよ。」 川越だけではない。『在京不逞鮮人ノ群レハ所々ニ放火』など一切無かったし、朝鮮人が暴動を起こしたというのも全くのデマで、本当のことではなかった。しかし、『朝鮮人狩り』の犠牲者は、一説には埼玉県内だけでもニ百四十人、関東一帯では五千人とか六千人とかいうべらぼうな数になったらしい。祖母はそのことを知らないし、知ろうともしない。
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