集団で生活する生き物にとって、異物は無条件で排除しなければならないものだ。昔話の『桃太郎』に出てくる鬼ヶ島の鬼たちは、本当は難破して漂着した西洋人だったかもしれないのに、鬼だと言って怖れるのも、障害者が生まれたことを呪いだとか家の恥だと嫁を責め、生まれた子供を棄てたり殺したりするのも、生物的には自然な異物除去行動なのかもしれない。けれど苟も人間として生まれた以上、そんな原始的で野卑な、あるいは下等生物のような慣習を子々孫々に伝えて、恥ずかしくないのだろうか。そんな高齢者だったら長生きする意味も価値も無いし、自ら人類の行く末を貧しく荒廃したものにしていくような生き方をしていると、栞は思う。 確か祖母よりもう少し歳上の人だったと憶えている。栞が小学校高学年くらいの頃の記憶だ。大きな土蔵がある広い家に一人だけで住んでいるよぼよぼのお婆さんが、杖にすがって三、四日おきくらいに買い物に来ていた。若い頃には生鮮食品を買っていたし人付き合いもしていたけれど、歳をとるにつれて菓子パンとか総菜パン、カップ麺など、あまり手のかからない食品を買うようになっていった。カップ麺でもラーメンではなくお湯をすてるヤキソバ系を買って行くのは、知的な障害がある息子は教育を受けていなかっただけではなく、世間に存在を知られないように土蔵の二階に閉じ込められていたので、ラーメンなど汁の多い食べ物の食べ方を知らなかったのだと、後になって聞いた。お婆さんの姿が暫く見えないので駐在さんと一緒に行ってみるまで、息子の姿を誰も見たことがなかったのだと、近所の人が絵美子に話していた。半世紀以上、土蔵の二階で太陽を見たこともないまま、菓子パンやカップ麺を主食に生きていた息子は、出生届が出されていなかったので戸籍も住民票も無く、しかも本人には五歳児以下の知能しか無く、自分の母親が亡くなったことも全く理解できなかった。お婆さんが嫁ぎ先から幼子の手を引いて戻って来たのがいつだったか、祖母も詳しいことはわからない。しかしゲートボール場では、あそこんちの土蔵には頭のおかしいのがいると話題になったこともあったし、同じように人間として正しく扱ってもらえない障害者なら、何人か見たことがあったという。祖母にとって障害者とはそのように扱われるものであり、そのように扱うのが正しいのだと若い世代に教え込むのが、愚昧で偏屈で頑固な高齢者たちだった。
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