とにかく祖母自身には全く自覚が無いのだから、更年期障害が重篤な女性から見れば羨ましさにため息が出そうな、祖母の更年期である。閉経の前後に新しい恋、しかも不倫の恋が始まるというのも、さらにはそれが三十年も続くのも、古今東西のどんな小説にも映画やドラマにもおそらくは無いだろうと、栞は思う。『女は四十から』という、ちょっと前に流行したフレーズを、祖母は半世紀も前に地でいっていたわけだ。普通なら閉経した女性の卵巣は機能が低下し、ホルモンバランスが激変するから女性器も乾燥したり萎縮して、男性を受け入れることは難しくなる。受け入れ可能な状態を保つためには、継続的に受け入れて愛し合う機会があることと、なんらかのメンテナンスが施されていることが必要であるらしい。祖母はホルモン補充療法や漢方薬のような積極的なメンテナンスはしていなかった(そんなものは祖母の時代には無かった)けれど、肌や髪のケアやお洒落など、女として魅力的であろうとする努力には余念が無かったし、もちろん継続的な性交はあったようだから、深刻な更年期障害にならないで済んだのかもしれない。今だってもしかしたら祖母の卵巣や女性器は、揺り起こされたら寝起きのいい明るいアメリカ人みたいに、 「ハ〜イ☆」 と応じて軽々と再起動するのではないだろうかと、栞は思う。 「じゃあ、八百松とセックスして赤ちゃんができちゃう可能性は、全然考えなかった?」 「どうだろうねえ、憶えてないねえ。」 物事をあまり深く考える性質ではなさそうな祖母は、おそらくは避妊の概念も知識も無いのではないかと、栞は思っている。よしんばあったとしても、赤ちゃんなんてできたら生めばいいと思っていそうな祖母が、八百松の子供を妊ること無く情事を続けられたのは、純粋に運とかタイミングだけの話としか言いようがないのだろう。閉経間際だって妊娠する人はするのだから。大雑把というかガサツというか、そういう祖母の性格が神経質な母を苛立たせているのだが、祖母は全然わかっていない。
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