女性の肉体を商品として扱ういかがわしい雑誌やビデオの類に頭を毒されて、性をブツ切りの単なる射精だけでしか認識できなくなっている。恋愛や愛情ときちんと一体化した性愛や、性愛と生命の連続性について頭の中を整理するのに、女の子達の三倍くらい時間がかかるらしい。栞は奥手だったけれど耳年増で知識や情報は頭がパンクしそうなほど詰め込んでいたし、それらを行為と一致させていく過程においてやや暴走気味ではあったかもしれないが、全体的にはまあ着実だった。祖母の異性交遊の実態を知っても受け止めて理解できる素地が、わりと短時間に形成できた。兄はまだそういう素地が形成される途中なのだろうし、母は形成する過程を経験しないまま今に至っているのだろう。 栞は、祖母は配偶者と死別しているのだから、どんな男性とつきあおうと、それは不貞行為ではないと思う。しかし母のような人や旧態依然とした田舎の人々の間には、亡くなった夫に操をたてるだとか、二夫にまみえずとかいった保守的な常識も残っているし、家族の中でも一般的には主に息子が、死んだ親父が可哀想だとか親父に恥ずかしくないのかなどと言って睚をつり上げるのが、標準的な寡婦の恋愛における実態であるらしい。英俊のようなのは稀な例外なのである。また、相手の異性に配偶者がいる場合、浮気をしたのは男性のほうなのに、泥棒猫とか言われて指弾を受けるのは女性のほうなのである。 祖母は祖父が戦死した後、舅の命令で六歳年下の義理の弟と再婚した。それによって『二夫にまみえて』しまったから、後はもう何人の男とつきあおうが不倫だろうがたいした違いは無いと、開き直ったのかもしれない。自由恋愛が絶対的に当たり前のことだと思っている栞は、それでも不倫はやっぱりよくないとは思うけれど、配偶者に先立たれた同士ならべつにデートでもHでもすればいいんじゃないかと思う。家族に迷惑をかけなければ、寝たきりや認知症になっちゃうよりよっぽど前向きで幸福な老後だ。しかし世間というのは、栞が考えるよりはるかに激しく、他人の艶話や枕事情に目の色を変える。高齢者の、特に女性の色恋については、峻拒するか軽蔑するか、二つに一つしかないらしい。七十代や八十代の女性が複数の男性を自宅に招いたりラブラブなおつきあいをしていることは、黒魔術やカニバリズムのように受け入れ拒否で見たくも聞きたくもない、あるいはそれこそ異端、人外生物のような扱いなのだ。
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