祖母と八百松は三十年という長い間、不倫の交際を続けた。最初の結婚が昭和八年から十九年までの十一年間、二度目が四年後の昭和二十三年から六年足らずで終わっていることを思えば、八百松との不倫が一番、祖母の人生の中では長い情交だったと言える。よくもまあ八百松の奥さんが怒鳴り込んで来なかったものだと呆れるけれど、家庭内の勢力図や健康状態、子供の成績までつつぬけに近いほど近所づきあいの密な農村のコミュニティでは、非難がましい目で見つつも何も言わないでくれるような冷たい優しさが、風土となってべったりと人の心情にへばりついている。陰にまわればさておき、祖母の目の前で祖母に聞こえるように祖母を悪く言うのは母だけだったから、祖母は他人様が自分のことをどんなふうに言ってるかなんて全然知らなかったし、祖母に関する誹謗中傷を祖母ではなく英俊や絵美子の耳に入れに来るお節介がたくさんいることも、全く知らなかった。英俊の胃痛も絵美子の頭痛も一切知らないまま、自分ほど無欲で謙虚で親切で慈愛に溢れて優しくて人のために尽くす魅力的な女はいないと得々と弁じ、だから次から次へと男が寄って来るのだ、男のほうが自分を放っておかないのだと話を結ぶ。究極の自己チュー、呆れて否定する気にもならない地軸女ぶり。祖母の長寿と可愛らしさの秘訣は、この性格ゆえか。おそらく八百松は、祖母のそういうおめでたい性格を少女のようにピュアで可愛いものとして愛していたのだろうと、栞は思う。 そんな祖母が八百松との関係にピリオドを打ったのは、昭和六十年、祖母が七十一歳の時だったという。絵美子が陰でこそこそではなく聞こえよがしにエロババアと毒づくようになってから一年かそこらで、祖母は八百松と別れた。当時、栞はそのことを全然気づかなくて、何ヵ月も経ってから母に 「最近、八百松来ないね。」 と言った記憶がある。母は切りつけるように鋭く、 「シッ!」 と栞の口を塞ぎ、 「おばあちゃんと八百松は別れたんだよっ!」 と言った。しかし鈍感だった栞はそう聞いても、その時は二人が不倫の関係の男女であったことは全然わかっていなかった。祖母の口から具体的にはっきり聞くまで、あくまで『茶飲み友達』だと思っていた。
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