早い時期の帰還者であった幸平さんは、帰って来てすぐの頃は友晴さんのケースと同じように無事で帰れたことを祝福され、あたたかく迎えられたのではないかと推測される。しかし昭和二十三年後半から二十四年にかけて、ソ連の思想教育に洗脳された帰還者が舞鶴上陸時に騒動を起こし、共産党員や労働組合員と警官隊が衝突して大勢の怪我人や逮捕者が出たというニュースが全国に広まったことによって、それまで『よく帰って来たね。』と言ってくれていた人達が、手のひらをかえしたように『あいつもシベリア帰りだ。アカなんじゃねえか。』とか、『今はおとなしくしてるけど、そのうち共産主義運動を始めるんじゃねえか。』などと言い始めたとしたらどうだろう。過酷な体験のフラッシュバックが起こったり、不眠や食欲不振に苛まれて体調をくずしたり、突如として白く冷たくなった周囲の視線に耐えられず、うつ病やノイローゼの状態になっていった可能性は、十分に考えられる。つらい現実からも恐ろしい過去の幻覚からも逃げたくて滅茶苦茶に酒を飲み、アルコール依存症になってしまった幸平さんに、利一さんみたいにしっかり働いてくださいとか、無神経な叱咤を祖母があびせていたとしたら。
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