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作品名:花筏〜はないかだ 作者:SHIORI

第107回   107
そんな辛苦の抑留を生き抜いてやっとの思いで帰って来てみれば二人の兄は戦死しているし家業はかたむいているし、幸平さん自身だってシベリアでの体験によって身も心も疲れ果ててボロ布のようになってしまっているというのに、大造さんは無情にもいきなり、嫂と結婚して家督を継げとせまったわけだ。そりゃグレるよなー、と、栞は大造さんの横暴さを苦々しく思った。横暴ではなく、家制度を死守しなければならない明治の男の考え方として、それが当然の成り行きと思ってそうさせたのかもしれないけれど、あまりにも幸平さんが可哀想過ぎる。ものすごく頭がよかったという長兄を敬愛していただろうし、心身が癒えれば遺された姪や甥たちの養育に助力は惜しまなかったかもしれないけれど、それと嫂と逆縁することとは、幸平さんにとっては全く別個の話だったのではないかと、栞は思う。自分に想いを寄せてくれていた可愛い女の子を抱きしめることもできず、五人も子供を生んだ大年増の嫂と褥を共にしなければならなかった幸平さんをあわれみ、栞は長いため息をついた。
ここで、栞はひとつ、思いあたった。幸平さんが酒に溺れて家庭を等閑にし、八高線の線路上で自殺だか事故だかわからない死に方をしたというのは、シベリア抑留のPTSDの状態であった幸平さんに対し、祖母が全く理解も思い遣りも無い言動や接し方をすることによって、精神的に追いつめてしまった結果なのではないだろうか。もちろん、当時はPTSD(心的外傷後ストレス障害)という神経症の概念は存在しないから、誰にも理解できない。よしんばそういう概念があったとしても、祖母の性格や物の考え方を見るに、神経症や精神疾患の類に全く理解がなく、誤解と偏見に凝り固まっているのは顕かである。尚幸に対する接し方を引き合いに出すまでもなく、軽度の発達障害や心の病など、外見だけではわからないけれど情緒面や精神の取り扱いに多少の配慮が必要な人や、肉体は健康そうでも心をICUに入れてあげなければならないような人に対して、あまちゃんだとかバカだとか自分勝手だとか根性が足りないとか無理解もはなはだしいことを平然と言う。


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