絵美子は対照的に周囲の人の言動の一言一句を妙に根に持つ女だから、皮肉を言ってやった相手が自分の期待したようなリアクションをしないと、相手に対して理不尽な怒りを覚えるし、通じないようなトンチンカンな発言をしてしまった自分自身にも苛々する。自滅的にストレスや鬱憤を溜め込んで、発散するために過食して体調を崩したり、散財したりしていた母という女を、栞も今だったら少しは理解してあげられるかもしれないけれど、当時は全然、理解どころか軽蔑していた。理解しようという気持ちすら無かった。祖母は最初から忖度すること自体をしない人だから、食い意地がはってるから腹をこわすんだとか、高価な服を買っても三段腹が入らないから箪笥の肥やしだとか、栞に言う。しかし、だからといって祖母は、絵美子を嫌いなわけでは全然なくて、自分が言った悪口を翌日にはきれいさっぱり忘れている。祖母にとって会話というのは呼吸のように当たり前で、口から放たれた瞬間には忘れている、そういうものであるらしい。何年も前の誰かの不用意な一言をいつまでもいつまでも忘れないタイプの絵美子にとって、祖母の言動はあまりにも耐え難い、絵美子の考え方で言うなら『無責任極まり無い』ものであった。車窓からゴミを投げ棄てても全く良心の呵責を感じない人というのが巷にはいるけれど、祖母の言葉の使い方は、それに近いようだ。何かを意図してとか、後々のことを考慮してということは一切無く、生のまま素のままで喋りたいことを喋り、その内容が悪口だったとしてもその自覚が祖母には無いのである。絵美子の悪口を垂れ流しておきながら、自分が発生源だなんて夢にも思っていないから、後になって他者の口から自分が喋った内容を聞かされて、驚いたり怒ったりしている。それでも百歩ゆずって絵美子の悪口だけなら嫁姑間の愚痴ですむけれど、他人様に関することとなると商売に影響を被ることになる。噂話というのは当人に全く関係の無い場所で言われたものであってもなぜか当人の耳に入るものだから、例え悪意が無かったとしても受け取る側が悪く受け取れば驚くし傷付くし、場合によっては祖母を恨み、祖母だけではなく戸田商店そのものを憎悪の対象として、すぐ近所なのに絶対に買い物に来なくなってしまったような人もいたということを、栞は大人になってから母から聞いた。この家に嫁に来て以来、そういう人達から恨み事や嫌みを浴びせられる度に、母は頭を下げ、時に笑い飛ばし、父にすら涙を見せないで、一人で泣いてきた。栞が母からそういうことを打ち明けられたのは、それこそ三十歳に近くなってからだったから、十代の頃はそんな母の苦労も知らないで母を疎んじていたのかと思うと、さすがに今は、少し反省する。
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