白い足音
雪山を何千k(`)も歩き続けて、ロシアに入った。そこにはアメリカ人とイギリス人がいて、フルシチョフ氏とレーガン氏が同じ空を見ながら語り合っているのだ。僕はそこで”警察”になり、その人達の話を黙って聞いていた。
人類の清算、戦争、天災など、いろいろな困難に立ち向かっているその時、神はまだ沈黙を続けておられた。かたや、祈る者、また、独裁する者、家族とともにいる者、様々な人種がいた。そこは寒い地方で、ラジオの電波さえ途絶えてしまう程だった。本当か嘘かわからない、人間(ひと)の言葉(情報)を聞くしかないその時には、人のいやらしさ(不安)も浮かぶ。誰かを罪人にまつり上げて、神に冒涜を働くのである。まるで、どこかで見た風景だ。普段おとなしく、気品と少しの孤独と、遠慮を保ってはいるが、こういう時は本性に縋るものである。人間(ひと)の本性とは、神がお創りになられたものか?...細かいことはわからない、ただ明日、この寒期(寒気)で、食料がない様子だ。ここでも当然人間の本性は浮き出てくるだろう。そこで、僕の横にいた輩は言う。”ああ、本当だったら今頃、テレビで、面白い番組やってるのになぁ..。”窓の外では、ずっと足音が響く。そして、外の人達でさえ、我々と同じ人間なのである。
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