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作品名:灰汁 作者:天川祐司

最終回   灰汁
灰汁

哲学を語るには、それなりの楽しみを味わわなければならない。

ただ汚ない字を書くだけというのは、哲学などではない。真実を語るには、それなりの譲歩が必要だ。例えば、顔を見るのも吐き気がしそうな人に、心を重ねて視点を鈍らすとか。この世間では、様々な哲学者が毎日を同じように生きている。誰も人間の力以上のことはできない、神に縋る者でなくては、哲学を書き続けながら、途中でペンを止めるのは、従い哲学ではなくなるのだ。誰もが持つ”生”への疑惑、その疑惑を永久に解けるのは神を於いて他にない。それは、まわりが皆、人間だからだ。

酒に酔えば、月もゆれて見える。勝手なことばかりを言い始める。他人(ひと)を感動させることなど、とても言えるものではない。他人(ひと)と同じことをしていて、他人(ひと)の感動など。踊りながら、他人(ひと)を愛し、真剣に他人(ひと)を汚し、地獄をこの世に見出だし、何も残らないように、と自らひとりで死を選ぶ。すばらしいではないか。

「虫の女」
青春などと呼ばれる日はそう近くはない。もうすぐだ。僕は20歳になる。10代はもう終わったのだ。若さを持つ僕は、心までも若い。まわりの若者達は宇宙人みたく、狂ったように踊りまくる。そこには男よりも、女がいて、女は、男よりもその青春という壁にしがみついて、その顔と体を、自分で見たがる。男がよりその体を見て好むから、女はひたすら軽蔑したまま飽きるのだ。

「シック」
金と女は、男の、立場に差をつける。今までどうということもなかった親友に、女ができた、というだけで、嫉妬深い輩(プライドの妙に高い者)は、その男に近づくことを避ける。また、その親友に大金が飛び込んだ、というだけで嫉妬深い輩(プライドの高い者)はその男に近づくのを避ける。全てこの世のことなのだ。その彼女を持った男はその嫉妬深い輩に寄ってきて、その自分の方の上から自分の得た彼女の顔を覗かせるのだ。そしてその女は喋ることもできる。より、その嫉妬は、神を忘れて狂うのだ。時間が経つにつれ、その顔をずっと見ていれば、たまに砦は崩れることもあるが、顔を見なくなれば次第にをの感情は冷め、その感情を嫌い、女の時代(流行)となったこの時代を嫌うのだ。個室に閉じ込められた我とひとりの女のストーリーに於いても、誓ってその女を好きになったりしない、という程に。個室の中の沈黙に、我もまた沈黙で対処するのだ。孤独にはなれない女は話しかける、でも決して、話し返したりはしない、口を失くすのだ。すべて無視して、別の男が来るまで待つ。そしてその女が息絶えてから、我は横になるのだ。いつのまにか、嫉妬深い男は、その親友達と何年か会っていないことに気付き、今までをかえるために、それで良し、と思い込む。プライドというやつを大切にしたかったのだ。やがて神の御国へかえる、”かえるところがあるだけでも幸せだ、”と、また幸福を呪う。嫉妬深い男の性格とは....?

飽きることがなければ、孤独はなくなる。
  ひとりでいることに飽きない力をお与え下さい。

金がなくなれば、友達もなくなる。僕はそれでいいと思った。
                  それは正しいことだ。

お腹すいた。お腹すいた。くり返しくり返しお腹すいた。
昨日の昼たくさん食べたのに、甘いものも。今、夜だけどとてもお腹すいた。
”物”は無敵で儚い。

「虚言」

”男が女を追う理由とは?”

「性欲さ」

”死への恐怖よ。”

「いや違う。女と一緒にいたからとて死は訪れる。そこに永遠性などない。」

”随分僻んでいるのね。あなたの気持がわからないわ。”

「そうだろうとも。あなたは女性で、僕に惚れてもいない。惚れる惚れないなどは、笑いごとだが、生きる限り、その差はある。」

”そうね..(笑)、でも、もし今あなたに私が惚れるとしたら。答は見つかるかしら?”

「それがいけないのだ、人間に男と女がいること自体がミス・テイクだ。神のミス・テイクだ、..」

「背後の人」
 彼は、男のくせに化粧が好きで、はじめはほんのお遊びだったのだ。こんな風だったらキレイだろうなぁ、みたく鏡に映してみたりする。それが時が経つにつれ、辞められなくなり、中毒になっていった。自制することはできず、他人の言う忠告などを聞かないのは当然で、人ゴミを避けては、ため息をつく。ある日、晴れた空だった。街を歩いていると、後ろに気配を感じていた。その日も化粧はしていて、その心境は、面白いものであった。てっきり自分を見ているものだと思い込んだ彼は、その日を記念して、容姿を女にかえた。その背後の人は、彼を見ていたのではなく、彼の前を歩いていた体のゴツイ、男気めいっぱいの男を見ていたのだった。彼は人一倍の恥ずかしがり屋なので、その背後の人の顔を見ることなく、余生を過ごしていった。

「窓の向こう」
 ラジオをつけてみた。電波の届きにくいその地方では、その音声が精一杯だった。くもりの空は未だ晴れる兆しがなく、外を歩く兵隊の靴を見るしかなかった、顔は見えず、足音も聴こえず、ただその足跡をつける靴を見るしかないのである。退屈を悟ったその日、普通にドアを開けて外に出たところ、兵隊に気付かれ、射殺された。

様々なスリラーものを書く小説家、皆人間にかわりない。それが儚く、空しい。”ハッピー”でもおかしくないのだ。

スリラーとハッピーは同じものだ。人間と動物は同じようで違う。人間と神も同じようで違う。人間と動物を創られたのが神であり、その動物を統治できるように創られたのが、二つの内、人間なのだ。では天使の存在は?一説に、堕落した天使が、悪になった、というのもある。見たわけではない、僕と同じ名前の人は、この世にあとどれだけいるのか..。解決するべき問題と、すべきでない問題、その二つしかないのだ。できない問題、というものは、存在しない、人間の空想にすぎない、夢である。神の想像と人間(ひと)の想像は違うものであろう。その距離が、人間を途方に迷いこませるのだ。

映画を創る上で、作者の細かな心理までは、スクリーンに映せない。無意識下なりとも、意識下なりとも、大勢でものを創る場合、どうしても、ひとりの感情は薄れてしまう。10を想像したらスクリーンに映せるのはせいぜい8まで。あと2は、そのまま作者の頭の中に残ってしまうのだ。そしてやがてはきえる。そう言ってしまえば夢と華がない。

今晩友達に誘われて、また遊びに行った。はじめ、Mr.Fの名前を聞いた時点で、半分は嫌気が差していたのだ。それでも、電話が鳴ったその驚きの拍子で、やはり”O.K.”と言うのだ。そして、そいつの車に乗り込む。いつものように(予想通り)、横には嫉妬を乗せており、役者は揃っているらしかった。音楽(流行音楽)をめいっぱいにかけ、我をあしらう。そんな気はあったにせよ、ないにせよ、そう思うのは、人間(ひと)、仕方がないで済ますしかないのだ。Mr.FはMr.Yに電話し、疲れているので来られない、と。我は、自分の腹立たしさを紛らすために利用しようと、Mr.Yを横に置いておこうと思った、もう、これまでずっと今まで通りである。しかし、”どうしても行きたくない”と、半狂乱だったので、仕方なく、利用は諦めた。まだ、F氏は、気を利かしてくれて、今度はT氏を呼ぼうとした。結局、我々三人で行くこととなり、それでもF氏とその嫉妬にしてみれば、役者は揃うのである。”来たからには、楽しくしないと損だ、”とお金のことも考え、今後に備えた。カラオケBOXである。唄っても、沈黙ができる、どうしようもない空間であった。話を聞いていると、人の集まるところでいつも起きる面倒事を腹立たしく話している。我も、”I God..”と思いながら、聞いている。嫌でも耳に入ってくるのだ、両手で塞ぐほどのことでもないのだが。面白くはなかった。最後に車から降りる時、”また遊ぼう、”と一言。我は心では黙っていた。生きる以上、今後が必要だったからである。これが、人間(ひと)の世の中なのである。悪しからず。

「流行ぎらい」
 いつからものを書くことが好きになったのか、初めはほんの遊び心だった。字よりも絵の方が好きで、その絵の横にちょい、と走り書きで字を書いたりしていたのだ。それが、今では、字がメインになってしまっている。僕は字を書くのは以前からそんなに好きではなかったのに、..今はめいっぱい書き連ねている。自分の思うこと、言いたいことを、口では言う気がしないので、(他人には聞く暇もないので)白紙に書き続ける。今では、結構、日常となっている。どう、ということはないが、暗い性格なのか?一般を捨てた筈が、常識を気にする。行動していた方がいくらか楽しい。バランスさ、と呟いてみたところ、行動したくなった。そんな毎夜である。こういうことを続けていると、音楽はやがて鳴り止み、人間(ひと)と会うのが嫌になってくるのだ。わかっていながら、そこから逃れられないのだ。

恐怖、はがゆさを呑み込んだ。それがコンプレックスとなった。

”あの人が助かりますように。”

「見下げた信仰」
 嫌気がさせば、そこで負けだ。この世の中は嫌気がさすような光景が多々ある。だけど、その時に嫌気がさすと、そこで神経はやられて当ては変容する。いくら面白くて親切な人でも、四六時中横に居られると困るのだ。お金も遣いっぱなしで、止めることは世間から離れることに等しく、良き理解者は、この世では望めない。ベートーベンがその良い例だ。妙なプライド、いや男のプライドは、そういうものだ。女にプライドは存在しない、女は子孫繁栄のために生き残りを選ばなければならない。この世に生き残るしかないのだ。男を支えるべく神は女を創られた。19年間生きた少年曰く、それはミス・テイクだった。ご覧、世間は欲情の海だ。どんなに善良者でも、泳ぎが得意でなければ、荒波にはのまれてしまう。自然には人間の性質など考えるに値しないのだ。否応なしに困難は襲ってくる。どういうことだろうか、この欲情の渦は?神がお教えになられたことか、いやまさか。だとすれば、悪魔。悪魔は見事にこの世に生き残っている。かたちとして見えるのは時として悪の方が多い。字や、看板、裸体や、知識。すべて、日常でも使う。目から入るものは、どうしようもない。ここは、天国でも、地獄でもない。本当にそうなのか、考えればキリがない。だから生きるのだ、そしてふと目を上げた瞬間、欲情の看板が見える。そういう国だったのだ。否応なくその国に入っていった。
        −−−その考えには、神の存在すら、抜けていた。ーーー

あの人は罪人だ、などと人間には決めることはできない。裁くのは神である、と。人間の目に、常時神は見えない。どの国の人も。この地球を創ったお方が神だ、と言う。是非会ってみたい。そして力が欲しい、人を裁く力を。

「教師」
 今、P.M6:53、もうすぐ家庭教師にならなくてはいけない。はじめはほんのお遊びの気持ち、いつものこと。ああ、ヤだなぁ、俺が教えてほしい。”哲学”を。

「最近」
見たい番組が、同じ時間の中にありすぎて、どれを見るか、している内にすべて終ってしまう。それがわかっていながら、チャンネルを回し続けるから、彼は狂った。

オーケストラは、華やかなのに孤独だ。どこかに西方の人達の冷たさが残るのだ。

情に厚いのが日本人。東洋人だという。西洋の人は、”日本人は情に厚いから殺しやすい、”と言った。

臆病がいい時もある。
勇気を止めるきっかけになる。

感動することくらいならいくらでも話せる。人には口がある故、他人(ひと)に言いたいことを伝えるのは簡単だ。人には欲がある。誰に会わせるにしても、その本質は消すことはできない。それを踏まえて話し続ける。それで考える、人間(ひと)の人生とは...?

才知が尽きたのを、人間(ひと)に悟られないようにする方法は、書きかけの小説を、途中まで書いて辞め(死ぬ)ることだ。

その昔、”エクソシスト”という映画を観て、随分悩まされた。初めて、観た時は、丁度三歳くらいの頃で、ところどころその様子を覚えていた。天井が遠ざかったり、近づいてきたりしたのを覚えている。その怖さを紛らわすために、小さかったので、トイレにいっしょに行ってもらっていた。そうして、その頃の夜----

     「回想」
-----少年は、いつものように布団に入り、眠ろうとした。その時、突然、あの映画のことを思い出してしまったのだ。その時はもう、昔とは違い、少し大きく成長していたので、親に縋ることもできず、ただ恐怖が募るばかりだった。そして、妄想が飛び交う中、想像が始まった。その頃は、社宅に住んでいて、その社宅の敷地に入るところに小さな棒が立っていた、それも二本。そこが、頭の中を過った。そして、その頃通っていた教会の人達の中から一人を選び出し、その人に白目をむかせてその二本の棒の間を通って入ってくるように想像した。その人は、とても優しい人で、よくお母さんが電話で話す人でもあった。そう想像している内についに我慢できなくなり、お母さんを呼び”眠れない...”と一言、言った。”そう、”とお母さんは何気なく言い、少年は、母親の横に立っていた。テレビの上に置いてあるデジタル時計は、PM10:00をまわった頃だった。少年はただじっとその模様を見ていた。


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