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作品名:下駄 作者:天川祐司

最終回   下駄
下駄

「パーソナリティ」
そこから、一歩、外へ出れば勝ちの、一人進行の、女パーソナリティ。ラジオを聴いている者にはわからない、化粧を、そのパーソナリティはしていた。

「友人関係」
いつも思っていることと反対のことをしてしまう。友人関係も然り。仕事や、その日、何かれしなくてはならない仕事がある際に限って、友人から電話が掛ってくる。無名の叫び声は、友人には、聞えないのか。

「唯我常識」
一本の煙草じゃ吸い切れず、もう一本の煙草を取り出した。どこかの喫茶店で、珈琲のおかわりが欲しくてたまらず、もう一杯、注文した。付き合っている女に、その日、困ったお金の問答を打って、少し、借りた。五千円。と或る日に、どこか遠くまで行きたくなり、その日、入っていた仕事を、他の仲間に代わって貰って、し過した。結構、楽しかった。絶賛されていた、女流作家に対して、女だから、と、唯、批判した。男の作品には、こんなこと誰彼思うもの、と、嘲笑し、批判した。日曜の午前(あさ)、その昨夜入っていた仕事の疲労と、その日にある仕事の労苦とに挟まれて、自宅にて、礼拝をした。母親は、怪訝そうであった。人の耳を気にせず、神の耳のみを気にしようと努めた。白紙(余白)の使い方に、苦労した。いつしか、”十戒(聖書に記されてあるモーセの書以降...)”を痛感した。一人、独身を賛美した。その都度、女を嫌った。その際、既婚者のことは、考えなかった。太宰の、上流なれども、文章の未熟さと、下らなさに、胸打たれた。今は亡き、太宰の、その行く末を想った。最近の、”からだ”の浮腫みを気にした。又、痩せるように、懸念していた。その都度、健康を気にした。これから先の健康をも。唯、諦めるものは諦め、向上出来るものは向上させようと試みた。それが、生きるべき姿だとも、思っていた。数多くの人々の戯れを、未熟な態だと、痛感した。くり返すことだと。唯、常識。

ーここにある常識が、未だ、通用するのは、唯、我が、ここに居るからだ。−

「アン・ドゥ・トロア」
 ある城下町に於ける煉瓦で敷き詰められた表通りとは、そこに住む人々の自慢の一つに違いなかった。何故、そう言えるかについて白状すれば、私がその人達を殆ど知らない為だ。遠くに聞こえる異国の歌に、ローハイを履く少年達が踵を鳴らしてダンスをしている。その時、聞える妙な音とは、お祭り用の囃しに似ており、山車さえ無いが活気が在った。「祭り」と言ったがどうもお堅い決まりがあって、異国の町では人種を分けて、長年使った固執の礼儀をこの時ばかりと掲げる様子で、他所から来た鈍い奴でもそのからくりには気付き始める。私は長年、祭り自体を敬遠しており、そこでは滅法楽しさばかりを味わっていた。どうもしっくり来なかった所為もある。私が今までに見たお祭りは、太古の祭りの様な打楽器たたく日本の風習、蔭りの儀式、とっくに終わった場末の屋台、等いう、民族伝統等に他ならない。きっと私に物心がまだ付かない頃の、枠を呈したお祭りであろう。私はどうも、そのようなものから避けて来た為、祭りというのがどんなものかと、考えられるゆとりがあるのだ。ついこないだは、時々遊ぶ友人が来て、「祭りに行こう」と誘われたのだが、用事を突然思い出し、断ってから家にいた。今頃友人は、ふいにした自分を残念がって白いシャツ着て浮かれていると、心密かに嘆いたものだ。その為感じた祭りの陽気は、随分峠を越えて、新鮮味のある感動を自分に与えて微笑んでいた。すれ違う女の匂いはどれもこれも無臭のままで、風光明美な背景携え、足首まであるローブを揺らしてしゃりしゃりしゃりしゃり歩いて行くのだ。頭の上には大きな甕を、落さぬようにリンゴを入れて、大事な人に届けに出向く。誰でもきっと、初めて見れば、その光景などは不思議に思う。けれどよくよく見馴れてくれば、当然の顔して通り過ぎ、美しいものだと喝采する程、成長するのは自然であるときっと誰もが認める。体験した為、断言出来る。流暢気ままに、美しいのである。
 私は、足首までとはいかないが、膝が隠れる程度のローブを羽織り、先程からする歌声目がけて歩いて行った。成程、祭りは盛況足るまま楽園と化し、風情乱れて純心が欠点などを露わにしている。リンゴ飴、綿飴、金魚すくいに当て物と、私が知った遊び道具が、ところどころに散乱している。しかし熱気はそこにないまま帳を下ろし、現実に浮ぶ体を照らす。弦楽器が又聞え始める。ある露天商ではござを拡げて不要な程に、小物を売ってる様子である。宇宙を見上げる私には、星の光がより遠くに、輝くように思われた。種の入った酒を呑む。甘酒などと売ってるが、実のところはサチリン入りの魔の水である。そこにはやはり、異国から来た商人がいた。誰も何にも言わないままで、闇取引は交わされる。空が少々曇り始めた。かすかに見える青空が、小さく強く星を覗かせ、私はどうも、雨が降るなど心配せずに、傘屋の前でも用事に急いだ。果すべきその用事が済むまで、私の心は一つところで落ち着いた。呑み物屋へ行き足を止め、「ギュソ」と呼ばれる人気の物を注文し、安かったのでニ杯を呑んだ。(「ギュソ」とは日本ではきっと珈琲のことだと思われる)。ワン・カップであり、呑み易い。金を支払い暑かったので、私は一度、上着を脱いだ。肌に染み込む夏風は、体の体という隅々までを凌駕して、私に「私」を思い出させた。青春に似た、赤いシンボルである。
 やはり珈琲である。先程呑んだ珈琲が、ぐるぐる回って足を止め、目覚めの良いままふらふら歩かせ大空の下、生の息吹を味わった。何にせよ今、娘の裸が弧を描く。向き直って夢見た秘密の会は、あのcanopyに括りつけられ、いつでも出られるようにと好物を置く。私の大好物が珈琲で、落ち着いて呑む時、人をよく見る。きっとその性質共々私は連れられ、自然のベールに覆われたまま美徳の基準を乱されたのだ。そういうことにしておいた。無表情ぶら下げさっき夢見た女のローブを無意識の内に追い掛け始め、ついに追い詰め顔を見た時、美しかった。その美しさとは、クレオパトラか楊貴妃か、選べないまま困るのだろうが、忘れられない一つの理想を二つの心に反映させる、赤い美である。革命とは運命を変えるものだ。膝は今にもステップを、踏みたくうずうず歩こうとする。空には赤い駿馬が嘶く。二人の熱をその背に乗せたあの馬は、誰が追っても先を行き、その行き先には光が見える。盲になった精神を、二人揃って馬に乗り、遥かな理想の大地へと運び去るまま魅せられたのだ。私の一人の盲目は、ぐるんぐるんと回転してからどこかにすっかり消え堕ちた。
 色白の娘が立っていた。テーブル挟んで向かいの椅子に座っている為、私の言葉や行動-を、娘はすっかり見渡せるのだ。少女だてらに気丈な瞳で、無口に構えて髪は短髪。幼い容姿は女を誘った。浅黒の肌、薄い口紅、ラテン系の敬虔なprayerが一時迷い、娘に近付く。太陽が落ちれば月が近付き、人の心は変わるものかも知れないと、神秘が人を変容させる。モカマタレが売りの珈琲店では人気がなくても活気に溢れて、掲げた音頭は足をくねらす。そこの店員は嫌な顔をしなかった。Prayerに引き連れられて、幼い容姿は疑問を問いつつ、二人はからむようにして店の奥へと消えた。私はあの子を未だ見つけ出せずに佇んでいる。しかし後を追い、見えなかったものが見えるようになるかも知れないと自分に言い聞かせながら、その時は探し回った。見付け出したからといって、何も、特別な事はないのだけれど。

「熱を灯した子」
 きれいな子である。きれいというより端正か。器量は並みだが、爪や靴の手入れをきちんとしており、傍から見られて整う子である。白いブラウスを、着ていた。リンゴのような赤色しており、とても遠くの国から来たような未熟の似合う女の子である。その子をあやすその人(きっとその子の母親であろう)の手は、見馴れぬ程の皺があり、何だかとても、不憫であった。
 私はハーモニカを吹きながら、その女の子を見ていた。私のハーモニカは誰にも聴えない。その子にだけ聴えるものである。そうであって欲しい。
「都会の人には冷たいから気を付けるんだよ」それだけ言って、私は歩いて行った。すると途端に目の色変えて、その子が走って来て、私のすぐ背後まで来た。追い付く筈のないその早さに、少し、たじろいだ。辟易の体裁を私は装った。小さな影を連れた右手を、パッ、と引き出して、きっと、摘んで来たのか、まだ緑汁が溢れ出ている竜胆の花を持って、にこっと、微笑っていた。小さなポケットの中に隠していた為か、花は凋んでいたが段々開いて、見てくれの良いようになった。私は哀しくなって、その子の頭を撫でようとしたのだけれど、都会がそれを許さなかった。仕方なく、その花だけを受け取って、秋の雨が降って来る前に、お家へ帰るんだよ、と一言、言って、冷たいその手を振り払った。
 丘の上に君がいて、丘の下(ふもと)に私がいる。そこは寂しい気笛が流れる田舎の小路。店が点々と在り、人の住む家は藁ぶきのボロ家。白い雲だけが、ステキな、そんな田舎町。….そんな私の妄想も、君のその振り切る手で、薄白く、儚く形を散らしてゆく。よく聞けば、その子は、何かの病に犯された子だったらしい。
 私は、事のついでに、その子が住む豪邸の前を通る事となった。又そのついでに、その子のいる部屋の窓に、小石をコツンと当てて、気付かせようとした。昔によくある逢瀬の態を私もその時、真似たのである。私は又、王子様気取りであった。その子を助けたい、とさえ考えていた。ガラッと窓が開き、誰も見えない。初めに手が見え、髪が見え、その子の顔が覗いた。私が微笑むが早いか、その子の声が木霊する。
「何にも知らないあなたに何が言えるの!」
「何にも知らないあなたに何が出来るの!」

 誰かが、「純文学、純文学」と躍起になって、騒いでる。そんな白い氷が浮ぶ世間では、どんなに口を尖らせて騒いでみても、どうとも成らない壁がある。誰かの歌では「ノーベル賞」が矢先に於いて煌めいており、躍起になってる労働者と言う。無様なものだ。人の労苦の在り方を、も少し眺める必要がありはしないか、感情論では真実めいた幻想さえも生れて来ない。人の目がそこにある。
 (私の体は熱があり、体に触れる空気までもがぼんやりしている。キャスター・マイルドの煙が円を描いて空に飛んでゆこうとしているけれど、私はそれさえ哀しくて、頭に布団を被ってみても、季節の風は眠れぬ体を呼び起こすのだ。きっと明日には何かある、今日とは違う何かの光が、私の行くのを待っている。そうは思って見るものの、寝床の頭上に立てかけた何者かに依る儚さが、「にっ」と笑って、許さない。どれだけ経てば、夢遊の様に倒れない、人の力は生気を帯びて我が目の前にあらわれるのか。)私は今、目ばちこに苛まれている。ライターで火をつけ、吸った煙は、益々、可笑しく…。

「川」
 人は、皆、川の在る地へ行くものです。三月の野山は、とても人に爽快で、沢山沢山、虫を引き連れ、人を引き連れ、臨場豊かに拡がっています。きっと、生活臭の煩いも、辿り着いたら、燦々、降り込む太陽の下で涼しく変わり、揚々芽生える発想を、見知らぬ眼に与えくれます。今までしてきた悪戯も、期待も固執も皆儚い眼の内に、一方的に逃がしてはゆくけれど…、しかし生活に縋る無言の思いが、野山の里にはあるのです。誰も誘いに行かなくたって大丈夫であり、いつもそこには照りつける光の国があるのですから。
 全く誰も、待つ必要はありません。季節と違って、生活と違って、人の安堵はどこからでもやって来られる。終わりにしよう、と、誰かがあなたに問い掛けたなら、きっとあなたはお伽の国へと、日記をかくまま眠ってしまう。明日のことは明日とするのが大事な事です。一度は躓く、人の人生(みち)です。独歩の道を歩んで行くなど弱虫なことは言わないで、誰かと一緒に季節の内に身を埋めれば良いのです。川とは山に連なり水を溜め、キラキラ光って自然に溶け込む。自由自在に陽光を順折り光らせ私を照らす。鮮やかな程、それはとても良い事に思えて、人の舌に依らずに独立のものと思えてきます。表現乏しい私には、これ程にしか描けないまま、蝉は野山の木におり、糧と描写を与え始める。

「女優」
 それは、やっぱり、都会の女であった。何ともいえぬ微妖であり、人を見詰めて美徳を苛む。と或るマンションから出て行くところ、私は偶然彼女を見ていた。黒のスカーフを巻き、ショルダーバックをひっかけ、ピカピカにしたヒールを履いて、ぐずぐずしながら颯爽と、街の中まで闊歩して行く。あの姿は、そこいらにはない女優の態で、歩き方まで訓練された、至極普通の女優であった。
 私はつい惹かれて、彼女の後を追い、見詰めていた。何もかもが、彼女のものとなった。青の妖艶が、ほんのり光る裸顔には、うっすらとパウダー化粧がしてあった。恐らく人は、そこに惹かれたのだろう。彼女の前で、バッタバッタと蹴倒されてゆく人の姿が目に映る。さて、彼女は、二人いた。もう一人もアンドロイドのように全く同じ格好をしており、本当は違うのだろうが、顔が瓜二つで、何やら、妖艶なショーを見ている様子であった。まして、人は並を知らない。それ等の美しい程の「レベル」は、人の人智を超えていた。どんどん歩いて行って、デパートへと来る。彼女は入り、人のよそよそしく見る目を気にせずに、まっすぐに、ブランド揃える化粧品売り場へ向って行った。彼女は笑っている。何がおかしいのか、人と自分の間にポツンとある空中を見て笑っていた。店員までも、取り残されている。私は勿論、取り残されている。でも、それでも、追い付こうと、必死に、私は顔色変えて、彼女の背を見る。しかし、私には関係がなかった。すべて独りよがりで、私が奏でる妄想で、彼女が女優というのも本当か嘘か怪しくなった。そう言えば、人が驚き、見馴れぬ反応を見せるのではないかと、期待していたのだ。
 そして、二人目の彼女も、前の彼女と同様に、パウダー化粧を施していた。彼女達は、どうすれば、自分達が美しく見られて、人を引き寄せる事が出来るもの、等の手段についてを知っているのだ。美にかけての秀才、努力人である。妖艶は華々しく散り、まわりでおかずを買っている女の心に宿って行った。それ等の「妖艶」は、彼女達の、カサカサに干乾びた手の甲を、ひたすら続けて癒して行った。一人の女は、その晩に買う筈のおかずのレシピを狂わせてしまった。その女優達の仕業である。そこへ若い顔をした二枚目が登場してくる。自称、俳優らしい。自分で言っているので、まわりの人には然程の受けしか見られなかった。俳優は寄って行って、女優に「今日のディナーは代官山で…」と約束をした。内の一人は顔を顰めて、もう一人は気分良くした。俳優には、そう見えていた。まわりの人も頷いた。日が暮れる。都会は夜になると、盲の者は目利きになるという。見えないところでやんちゃが始まる。人はその辺りの事を知っている。俳優は車のドアを開けた。女優は気分が良かった。しかし、ここで、機嫌の悪い顔をしてはいけない。まだ少し、夜は続くから。軽トラックを追い越して、俳優は代官山へと走って行った。風が、少し開けた助手席の隙間から入って、彼女の髪を靡かせている。彼女は気分が良い。もう一人は来なかった。そのデパートで、もう少し、仕事があった為である。彼女は、去って行った彼女(女優)の、引き立て役になる。後釜である。
 代官山には子供は居らず、殆ど、女優と俳優の二人だけだった。豪華な食事が目前に来る。まわりの人達は、やはり、その二人には、一目置いた。しかし、あろうことか、その俳優には、賄い尽くす金がない。というより惜しんでいたのだ。女優はその辺りの事を経験により知っていた。彼女は笑った。それが何に対する笑いなのかは誰も知らない。彼女の吸う煙草はクールだった。俳優は彼女から、その煙草をもう一本貰い、颯爽と、その場を後にした。

 歩くのだ、踊るのだ、止まってはいけない。どこまで自身を昇華する事が出来るのか知れないが、まさか、ハリウッドには見染められまい。それにしても、なんと素敵な在り方なのか。ぼんやりした君の周囲の風景を横目にして立つ君の姿が、世間に於いては「奇跡」が為せる領域の内に在る在るのでは、と錯覚する程に、立派に思えて、言葉がない。小学校から高校までの間に於ける君の学業成績とは、どれ程のものだったのか。興味を憶えると共に、少々、教えて欲しい。しかし、やはり君を取り囲む「周囲の力」が許すまい。でも君だって、きっと何か書いた筈だ、他人に見せられない内容を君の目前に在った白紙に。その体裁を繕わない君の生粋の文章を、読みたいのだ。しかしその原文は未だにどこに在るのかわからず、私は右往左往する。君の家で飼っていた猫は、キミの膝の上で何をねだり、どのような自然に於ける描写を君に見せたのか。君はその自然の躍動を前にして、何を感じたのか。やさしいものか、人を刺すものか、疑問が残るのは、私が君をずっと気にしている為だ。野良猫にはない幸せを、その気が飼っていた猫は持っていた筈だ。私はそう思う。子供が書いた俳句のように、私が今描く倖についての素描とは、人から相手にされないものであろうか。子供が書く俳句にしても、その一字を書く際には、その子供の心情や思惑の内に何等かの躍動が在り、他人が馬鹿に出来る代物ではないのである。その為に、個人が何を言おうが、その言う内容とは、他人から馬鹿にされるものではない、という思惑を胸に秘めて、以降を書く。子供が書いた俳句が、黒いテーブルの上に儚い体裁を以て置かれてある。ある人がその俳句が書かれた紙面を拾い上げて読むが、結局、その俳句の言葉はその読者には届かず、言葉として在る。書いた内容とは、書いた本人によって慰められる他術がない様子である。その一連とは自然である為、仕方がない様子である。TVを付けると、博識のニュースキャスターが白いテーブルを前にして、淡々と言葉とそれ等の言葉が織り成す内容とを語っている。欲がない子供が、思考力を湧かす為に、音楽を鳴らしてそれを聞きながら、白紙になにやら大層な内容を秘めたような文章を仕立て上げる。その子供は活発な子供であった。何をするにせよ、時間が過ぎる。時間の流れが、その子供の味方をする時があり、敵となる時もあった。母親は、その子供に「駄目」という言葉を投げ掛けないようにして、専ら、教育は父親に任せ勝ちであった。その子供とは男である。さて、女優は、今日もTVに於いて、羽振りの良い恰好をしながら、褐色の写真を写真家に撮らせている。誰にも気付かれないように、自己陶酔する女優である。照れも気まずさもない様子であった。すぐさま自分を昇華する事が出来る人生(みち)を捜し出しても、そのところに自分が納得出来る「華」がなければ、きっと、個人はその人生を歩もうとはしないであろう。取り返しがつかなくなるかも知れないと、きっと君は保身するであろうから。女優の内に潜む子供とは、今日も息をしており、取り込んだ刺激を女優に与えるが、その正体を決して本人である女優に対しては明かさない。


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