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作品名:成人後の想像力の重要性について 作者:天川祐司

最終回   1
成人後の想像力の重要性について

 昔、大阪に居た頃、私が、まだ、6、7歳位の、小学生だったように記憶する。家は社宅で、近くには、文房具屋があり、そこでは、小物も一緒に売っていた。私は、その店によく行き、ノートや鉛筆等も、その店で買っていたように思う。或る日、私は、きっと、何かに影響されたのだろう、無性に、手錠が欲しくなり、その店にお金を持って駆け込んだことがあった。勿論、玩具の手錠である。貯金等なかった私は、お金はその際に、親から貰っていた。当時私の親は、私を躾ける為に、私に余り玩具を買わなかった。忍耐力を付けさせる為だったように思う。買い物へ行った際に、買って貰える玩具にしても、100円の「ガチャガチャ」位のものだった。その時は、きっと、文房具を買いに行く、と嘘を付いたのではないか、と今思い返すと、想像出来る。私は又、子供という事もあり、世間知らずであったように思う。私は、店に入り、「手錠ちょうだい」とその店の主に言った。すると、主は、店の奥から出て来て、私を子供と知り、にっこり笑って、何やらガラクタが入った小道具箱のようなものを取り出してきて、内を手探り始めた。意外とすぐに見付けた様子だったが、しかし、出て来たものは、片方だけの手錠だった。誰かに掛けても、ブレスレットにしかならない。新品の手錠が出て来る筈だった、私のイメージとは全く違っていた為か、きっと、私はその時、動揺してしまい、主は尚、その手錠の片割れを探していて、もたもたしているようにも見えた為、目的を達成する事への焦燥感から躍起を覚え、再度、催促するように「手錠下さい」を繰り返した。先程よりも冷静に振舞っていた事を覚えている。しかし、その体裁が冷静ではあったものの、焦燥感がやはり、私の内のどこかに残り火のようにあった為か、「手錠下さい」を言い間違えて、「てちょう下さい」と言ったのを、鮮明に今でも記憶している。もしかしたら「てちょう」だったかも知れない。「てちょう」と言えば、想像していた通りの新品の手錠が出て来るかも知れない、等と思っていたのであろう。この辺りが、私らしいのか、世間知らずな子供の言動の為せる業なのかも知れない。私に当て嵌まる、子供らしさ、というところである。「手錠」と「手帳」の区別もはっきりと付けられていなかった。主は、「てちょう」と言われたのだから、勿論「手帳」の事を想像させられたのだろう、「あー、手帳ならこれやけどね」と、紛れも無い手帳を見せてくれた。それは、破損の無い、新品の手帳だった。子供の私は、勿論、想像とは全く違った為に、首を横に振り、これじゃない、というような素振りを主に見せた。「素振り」というのは、世間知らずで、子供ながらの私にも、何となくは、「手錠」と「手帳」の区別に気付いていたのだ。しかし、動揺に駆られて、違うのではないか、という疑問を振り切って、早く目的を達成したい、という焦燥感に身を委ねてしまい、「てちょう下さい」と言ってしまった自分の姿が何とも情けなく、大人であるその主に世間体を思わされ、間違っている自分をそれ以上表現する事を、世間に対して遠慮した故である。「手帳じゃありません」と言うのを、遠慮したその素振りは、自分の内から、自然に、生れた行動だった。その素振りをしながらも、同時に私は、最悪、その片方の手錠を買っても、良いと考えていた。正確に言えば、その「片方の手錠」を買うことを決めていたのだ。片方の手錠では、それを誰かに掛けても、確かに、ブレスレットになるのは間違いないが、しかし、それが手錠であることに違いはなく、新品という私の理想は、破れはするが、同時に理想に描いた「私の手錠」は存在し、それを活用する事により、今後生み出す事であろう遊戯の上でのエピソードを想像し、それ等の想像を、その「片方の手錠」に託すことで、きっと、当初理想に描いたものと同様の理想を奏でてくれる、と、密かに、確信していた為である。それ等は、子供ながらの想像が為せる業かも知れないが、これを記しているのは現在であり、閏覚えながらでも記す事が出来ている大人の私である。大人に成った今でも、それ等の想像は思い付くのである。「思い付き」と「実践」というものの差について、考えたい。あの有名な坂本竜馬は、当時、幕末でありながら、様々な想像を働かせて、今で言う株式会社の発想を、その時代に於いて、思い付いていた。幕末といえども、徳川幕府の権力は、存在しており、薩摩と長州を合併させた、所謂、薩長連合軍を以てしても、ようやく、対等に渡り合える、といった程の権力である。坂本竜馬の発想は「株式会社」と述べたが、その本質は、日本を諸外国の侵略から守り、諸外国と同等に、発展してゆく道を画策していたものであることは、現存する文献からも伺える。富国強兵を思うことさながら、軍力をなるべく使わずして、相対的な世界の発展を志したものであることが伺え、軍力を使わないままに、富国への策を企画する上で、各国々と日本との、共有出来る「利潤」に視点を置き、その利潤を追うことで、やがて、貿易に着手してゆくことになる。所謂、「倒幕」も、軍による統制が最終目的とするものではなく、利潤によって、徳川幕府も一大名に戻り、尚、共に、日本の発展に駆けてゆこう、とするものであった。坂本竜馬含め、彼の同志が創設した「亀山社中」所謂、「海援隊」は、結果的に、貿易会社として在り、海からの支援、と日本の富国に携わるその姿は、諸外国と日本との仲介を担う役割を果そうと努めている様であることは、現在にして、伺えるものである。それ等の大革命にして、新しい富国策も、当時に於いては、周囲から理解されずに、坂本竜馬は、確かに、解り合える同志は得ていたが、常に、どっち付かすの孤独に、身を浸していた、らしい。「どっち付かず」とは、当時、「倒幕」を図る集団、所謂「志士」と、徳川幕府安泰を図る側、所謂「佐幕派」とに分かれ、その内で、尚、攘夷なる、外国人を、一切日本に踏み入れさせない、といった過激思想による運動も盛んであったが、彼は、そのどれにも属さなかった故の形容である。又、「倒幕」を提唱するのは、坂本竜馬も同様であったが、方法が違い、先述した、利潤による、徳川を含めた日本の発展を構想する共存繁栄を唱える坂本竜馬とは違い、薩長含め、周囲の多くは、武力による倒幕を志していた。佐幕派が提唱する処は、徳川幕府の権力を維持し、再度、威光を盛り返すことにより、日本の先導者を徳川幕府と決定し、それに、諸藩を付き従わせるもの、としており、以前の徳川政権体制と変わりがなかった。詰まり、目的が、双方とも違い、又双方の目的を、共有した坂本竜馬特有の思想となる。尚、攘夷思想がその上に絡んでくる故に、諸外国との貿易を以て日本の富国を画策するその思惑は、攘夷派からは、嫌われる存在となる。どの組にも、所属していない存在が、坂本竜馬である、と言えよう。その身の上で、彼は、ついに、明治維新を果した。「維新回天」と、正に、天と地とを引っくり返すような大事業を、一人の浪人が果したのである。彼が、最初に想定していた思想は、文字通り、行動に移る以前は、宙を舞う空想であったであろうが、それを実行してゆくことで、現実に、その一つ一つの行動から発展した環境にも恵まれ、「形」として、現存される事象を作り上げた訳である。彼の恩師である勝海舟は、彼の評価を、「想像するだけなら誰にでも出来ただろう。しかし、薩長同盟、各要人への働きかけ、海援隊の創設から、維新に纏わるあらゆる事柄に対して、実践し、実行した上で、このような大事業を成したその功績は、実行しなかった者と、実行した者との間では、雲泥の差ともいうべき、隔たりがあり、しかるにその功績とは、又、実行した者にとっての財産にもなる」と、している。この評価に於ける「雲泥の差」という処に目を止めたい。実行したからこその収益というものがあるとし、その実行を生んだ源は、坂本竜馬という、個人の想像の内であり、その「想像」と「実践・実行」との間には、相応の繋がりがあると考える。「行動と反動」という言葉を、某洋画の内の台詞で言っていたのを思い出す。「この世間に対して、何らかの言動を起せば、相応の反動が返ってくる」と。その洋画の内では、マイナス・イメージに捉えていたが、その反動の局面には、両面があるように思える。坂本竜馬は、きっと、その反動として寺田屋にて、当時の役人に暗殺されたのかも知れないが、それを裏面とすれば、表面は、大事業を成し、その後の江戸時代ではない、明治という時代を築き上げた功績である、とも採れるものだ。私が、子供の頃、世間知らずであるにせよ、持っていた想像力でさえ、実際に、実践し、実行してゆくことにより、彼、坂本竜馬の様な大事業とまでは言わなくとも、相応の現実に於ける発展をみることが出来るのでは、とする訳である。上記に記した「片方の手錠」から、独創による、想像により、現実に於ける、遊戯ではあるが、体験出来る事柄に於いて、「見立て」を有した実践、実行、として遊戯をし、それで楽しむ事が出来れば、当時の私にとっては、坂本竜馬が維新の大事業を成したのと同様の、成功である、と感じられるものになる、のである。その「感動」を得る前の、実行する以前と、得た後の、実行した後では、その「感動」の有無についてみれば、まるで「雲泥の差である」と私自身、認められるように思う。想像を想像の内で終らせず、計画、実行、してゆき、この現実に於いて、相応の感動を得る、という、勇敢な努力を、大人に成った今、尚、続けなくてはいけない、と改めて思わされるのである。


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