「都会が織り成す、表現の世界に於ける上限の枠抜き」
以前、私は東京に行った時、「東京は祭の街だ」と言ったことがある。「祭」とは、皆が浮かれて居り、楽しめ、普段の憂さ等を晴らすことが出来るような雰囲気を、醸し出しているように思えるものだ。当然、唯疲れるだけ、という人も居るだろうが。祭ということで皆活気があり、その祭のテンションに付いて行けない者、性格から人混みが嫌いな者、そういう者達にとって、祭とは、確かに、疲れるものとなるであろう。しかし、その「祭の活気」というものをそのような余計な概念を捨ててみつめた時、文字通り、活気に溢れている、というその描写については、万人、同様ではないだろうか。「お祭感覚」の内では、参加者達が、イキイキとしていて、仲間同士で交わすコミュニケーションの内でも、普段は聞き流す些細な話題に対しても、一つ、一つ、に相対、又は感動し、相手の言葉、思惑、更には、その相手の生活歴にまで思いを馳せて、相手が喜ぶような事を言う情景さえ窺える。何か、おまけを付けるように返答するような体裁で居る人のことが、想像出来、その場では、あらゆる細かな所作に至るまで、行き届いた雰囲気を、互いに醸し出しているように思える。詰り、イキイキとした雰囲気が、そこにあるのだ。「東京は祭の街だ」という、言葉通りの意味を採って言えば、そこは一年中、「お祭の街」である為、そのようなイキイキとした雰囲気が、四六時中、普段の生活の内にも在り、この雰囲気が、祭の場所で、ではなく、普段の生活の内で、効果を発揮し始める訳である為、普段が活気に満ち、従い、人も活動的となる訳である。私は、この事柄を理由に思う上で、「都会人」に対しては、「田舎人」よりもイキイキとしたイメージを持っている。 俗に、「都会人」という言葉は、遣われており、どこかの雑誌でも見たことがあり、普段、会話の内で遣ったり、聞いたり、したことが、私は幾らでもあるのだが、「田舎人」という言葉は逆に、余り見もしないし、遣ったことも、聞いたこともない。「都会人」が既成語であるとするならば、「田舎人」は、既成語として、未だ、成立していないもののように思える。よく、子供が、「何々マン」「何々星人」等と、自分の想像の内で、勢い付けて言ったりする。恐らく、雑誌、テレビ等により、影響されたものであろうが、自分の興味がある対象に対して、そのように名付ける事実の背景には、何等かの根拠があるように思う。例えば、友達同士で、そのように呼んだ方が、遊び等の内での目的に対してメリハリがあり、都合が良い。又、そのように呼ぶことで、相応の雰囲気が出て、自分達もその気になれる。又、何かの別の対象に対して、そのように呼ぶことで、勢いが付き、抵抗力も生れ、自分達の世界が、別の世界の何かに対しても太刀打ち出来る、といったような、一種の催眠術のような術を自然に身に付けて、所謂、バリアとして意識していた、等、様々に考えられる。唯、どれを採っても、その根拠の根底には、一種の「勢い」のようなものがあり、ゆくゆくは、イキイキとした世界に辿り着ける術を持っているようにも見て採れる。「都会人」というのも、この子供達が、「勢い」により、名付けたように、大人達が、まるで、童心に還って名付けたものではないか、等、可能性として考えられるものだ。もしかすると、子供達が先に考え、「あ、その呼び方いいな」等と、後になって、大人達が採択したものであるのかも知れない。この「都会人」という言葉一つを採っても、都会人に対し、何かにつけて、勢い付き易い要素を持ち併せているようにも思わせられる。都会とは、皆が、そこは都会である、ということを認めて居り、又、環境、設備が、所謂、「大いに先進している」状況があり、それ等の環境が絡み合って、成立しているものであると考えられる。詰り、それ等の環境が、都会を、都会であることへ、助長している要素になっているということが考えられるのだ。「都会人」と言う方が「田舎人」と言うよりも、語呂が良い、と思えることも、その要素の内の一つであろう。都会が、そこに居る者達に、より都会であることを認められ、その者達が醸し出す、勢い付いた、イキイキとした、雰囲気にもより、日常を脚色され、故に、その内で生きる個人の表現力も、勢い付いたものになるのではないか。 何人かで、カラオケに行って、皆が、入魂、成り切り、で歌えば、雰囲気は相応のものになり、「思い切り歌っていいんだ」というような気持ちになることがある、そういう現象に似ているのかも知れない。表現力豊かな者が、自分の周りに沢山居て、自分が心の奥底で思っている事を、躊躇いもなく、発表している様をみれば、「いいんだ」と、自分も同様に、躊躇いもなく発表出来るようになる。順応というものであろう。都会には、上記に記したように、環境が充実している為、出版社、出版に携わる機関が多くあり、例えば、作家と呼ばれる人達は、距離の都合等考えた上で、都会、詰り、多くは、東京に集まって来ることであろう。すると、東京は、そういう者達で溢れるということになる。当然、作家は、個性が売りでもある為、素直に、率直に、作品に於いて表現する。故に、互いの切磋琢磨が効を成し、表現についてのあらゆる事柄は、ハイレベルなものとなる。その内で、表現に対する活動をするとなれば、表現についての上限は消え、より追求性が求められるようになるだろう。 この追求性というものが、個人に、覇気を与えて、より高度な表現物を生み出させる、というものではないだろうか。この「覇気」というものについて、「都会」と「田舎」に於ける、そのものの所謂度合いというものを考察すれば、上記の理由を於いて、「田舎」よりも「都会」の方が、上ではないだろうか。私は、実際に、京都から東京へ行き、実感したことが「東京は祭の街だ」というものであり、以前、本籍地である大阪から京都へ来た時には、感じなかった感覚でもある。それ等の事実を比べてみても、東京と京都に対する私の感覚は、違うものである。私がそう思う故に、他人も、もしかすると、そのように思うものではないだろうか、という憶測を立て、次に述べる。京都は、古都であるが、現在の都は東京である。この認識と、やはり、現実に、人が沢山集まり、国の行事を決める国会議事堂まで東京にあるとすれば、東京を首都と思わ去るを得なく、都会と見做すのである。意味は恐らく違うが、「住めば都」という言葉の中に、「都」という文字が入っているにも拘わらず、その順応に反して田舎と思わせる、「田舎人」の、都会に対する意識、もしかすると憧れ、の強さは、相当にしぶといものである。 現在の東京は、ニューヨークのようであり、様々な民族が集まるように、他府県から人が集まり、しかし、田舎と違って、村意識ではなく、所謂、国際的な意識が、特に最近、生れて来ているように感じる。「村意識」というのは、昔、日本に、村が散在していた頃に存在した、村ならではの決まり事を重視し、村を一つの世界と見立てた、方針のようなもののこととして述べている。所謂、村の外へ意識を向けるのではなく、敢えて、内へ向け、その延長で、事を成し遂げようという、現在から考えれば、偏ったものの考え方にも思える意識の持ち方である。鎖国や、藩制度を、思い出せば解るかも知れない。国の存続について、国外からの援助は受けずに、国内で自給自足し、存続させてゆこう、という、国に於いて自主的な考え方ではあるが、同時に、時勢、他の世界の在り方や、情報が得られない、狭い見解を備えた方針である。それ等が存在したのが、昔というだけに、昔の産物を崇めている場所には、それ等の物事から影響された雰囲気のようなものが、残っているように感じるのだ。伝統というものがあり、昔から言い伝えられる産物の内容に対して、人は、古いもの、という印象を抱くことであろう。古い寺や、神社、合掌造りの建物、それ等に纏わるしきたりや、慣習、伝説に至るまで、所謂、昔の面影を引きずった環境、産物等をみると、都会ではなく、田舎を連想する人が多いのではないだろうか。「古いもの」と記したが、その内には畑や、田んぼ、山、川、といった自然も含まれてくる。それ等は、昔から人と共に在り、人が生きる為に、所謂、担い手となったものであり、現存されながら、人々に影響を与えている。それ等のものに、人が開拓を重ね、所謂、人為的に、都会が出来上がる訳である。田舎は、逆なのであろうか。開拓されず、放って置かれる故、田舎となるのであろうか。近代的な物が、余り無いから田舎なのか。皆の意識が、そうさせるのか。私は、最後の理由が恐らく当たっているように思う。上記にも記したが、人には順応というものがあり、皆がそう呼ぶから、そう認識するのであり、自然が多く、田舎に纏わるものだと感じられる産物が多く在る土地が、田舎であろうとされている故、人々は信じるのであり、しかし、東京にだって自然があり、山や川があり、少し、郊外へ行けば田畑や、田舎を連想させる産物は多く存在している。そのような場所は幾らでもあるのに、それでも「東京は都会である」と言ってしまう、どんぶり勘定のような、その意識が持つその過程は、田舎を連想させるその過程と、逆の過程を辿ったものであろうか。私は、恐らく、意図的にも、無意識にも、人はその過程を通っているものである、と考える。 このように、都会と田舎を決めてかかる性質を、自然に於ける人為的な経過の内で、人は、身に付けてしまっているようである。私も例外ではない。きっと、そのような背景を持ち併せて、東京には、私が欲しいと願う芸術を助長するような雰囲気のようなものが、都会であるからこそ、存在しているもの、と想像し、私が思う表現者達が過去に沢山東京に集まっている、という、過去の記憶を辿り、知っているからこそ、私も、その者達の間で共有しているようにみえる「助長する雰囲気」に肖りたいと願い、私は私なりに、都会へ行きたいと思っている。人が、ここは都会、ここは田舎、と決めるきっかけは、その人の意識が左右して成っている、ということは、上記に記したが、その意識とは、個別で様々なものである。その意識を決定付ける一つの傾向を生むような要素が、意識より外側の、外界に存在しているように考えられる。 芭蕉の句に、「古池や蛙飛び込む水の音」というものがある。この句が、名句と囃される理由の一つとしては、懐かしさ、を連想させる作者の思惑が、その句に含まれているからではないか、と考える。古池、蛙、と聞いても自然の内に生きる生き物を連想させられ、水の音にしても、同様に、自然の内での水がはねる音が連想され、田舎は自然の内に在るものではないか、等と考える。人が、自然を想うその上で追想する際に、その内に、田舎をみてしまう、錯覚染みた繋がりをみてしまう、上記にも記したような、自然と田舎を同一視したような錯覚を覚え、懐かしく思う。又、芭蕉が、文字通り昔の人であり、この、産物である句も、無論、昔のものであり、それだけに懐かしいものとなり得る。それ等の事実に対する認識が、意識に作用して、その意識は人に、そう思わせているのであろう。詰り、昔に作られたものが、当時、近代的なものであったとしても、「昔」という過去に、人の意識によって、追いやられる為、その過去に在るものは、全てが、人にとって、「昔のもの」になってしまう傾向がある、ということである。故に、昔に作られたもの、昔を連想させるものには、人は、都会の近代化から離れた、又対象とも言える、自然を発見し、田舎を想うのではないか。「昔」とは、懐かしいものの内に入り、田舎という場所に、懐かしさ、を期待する人の背景には、その辺りの理屈が潜んでいるのではないだろうか。時代が進むにつれ、近代化してゆく都会に比べ、まるで、置いてけぼりにされたような田舎には、やはり、自然があり、その自然とは、昔からあったものであり、従って、(上記にも記した)「村意識」というものは、極自然に、人の生活に溶け込んで、気付くことも稀な程に、存在しているように感じるのだ。 確かに、現代、田舎といえども、近代化の目途が立ち、都会に君臨する地が多く散在してきていることは、事実として認められるように思う。しかし、経過、地理、又人の意識、的な理由により、東京、大阪、のように、知名度が上がり切らずに、都会と認識されないままでいる地も、多くあるのではないか。総じて、日本には、都会は、少ないのかも知れない。「三大都市」という言葉はよく聞く。東京、名古屋、大阪、であり、言葉通りに解釈すれば三つしか都市はない、というようにも考えられる。都市を都会と見立てた場合では、都会も少ないということになる。田舎に居る人が東京等、都会に出たがる理由の一つとして、私は、人の本質に恐らく潜む「無い物ねだり」という欲望によるものである、と考えている。これ等を考えた時、都会は少ないもの、故に、無いから欲しがり、その都会で暮らす実感を味わう経験が欲しくてそこへ行く、という、一つの理屈のようなものを私は考える。この「無い物ねだり」は、恐らく、人の精神的なバランスを計る為にも、存在しているものではないかと私は思っている。「ずっと京都に居る、長過ぎる、一度しかない人生、こんな広い地球に生れていながら、他所を知らずに過してゆく等勿体ない。一つでも多く、別天地を味わい、そこでの暮らしを吟味してゆきたい。故に、この京都でする事はもうない、新鮮な土地、どうせなら、自分の能力が試せる東京へ行って暮してみたい。」となり、私が今述べている、「東京へ行きたい」という思いに、繋がってゆく訳である。所謂、気分転換であり、自分で、精神のバランスを図ることになる。京都は都会ではなく、都会に在ると予測する活気、覇気、のようなものが無い為、それ等が欲しくて上京する、と、単純だが、理にかなうように思う。ここに居れば、表現に於いても枠付けされるような、「村意識」に、自然に、慣れてしまう自分と、悔む自分を、予感するからだ。同様の事を他人に於いて述べてみても、その「村意識」に身を浸している自分の感覚は、徐々に、麻痺して、いつしか、自然に、昔の名残を追い、「村意識」の内から生れる術を、生活に於けるあらゆる事柄に対しての、常套手段としている事実があるように思える。その上、島国である日本で育ってきた日本人である故に、国交が比較的少ない日本人としての本質は、そのまま在り、以前の「村意識」の中へ身を投じる事は、正しい事であると、まるで、今までの自分の生活から、又知り得る歴史から、教訓として教えられるように、所謂、洗脳され、案外、その事実が起きるのは、容易い事かも知れない。 このような「村意識」の効果として、共存、共栄、共産、等というものへの意識の度合いは、高いものとして在るというような予測が立てられ、その為、「出る杭は打たれる」という、暗黙の決まり事が、その雰囲気の内に含まれているように感じる。「誰が何をした」「あの人はこうだ」というような、他人の噂が息巻き、又、そのものは、他人の思惑により、有力なものとなり、一寸した事で、周囲から、相応の評価を浴びせられるような、所謂、狭い世界観が、根付いているようにも思われ、滅多な事は出来ないようなシステムが成立しているように考えられる。故に、表現に対する活動一つについても、上限を思わせられ、それ以上の活動は出来ない、といったような、所謂、規制のようなものを感じさせられるのだ。表現者にとって、それ等の事柄は邪魔なものである。私は、現在住んでいるこの京都を、上記の理由に於いて、田舎と認識しており、この「田舎」では、上限を憶えさせられ、活動、表現、をすることに対して、覇気が湧かないでいることから、早々に立ち去りたいとも考えている。これ等の思惑を知る上で、都会が織り成すようにみえる、表現の世界に於いて、枠抜きが為されているような、(その都会である)東京へ行き、故に、「生粋の表現者」で溢れかえっていると予測出来るその地で、今、温存している表現に対する私の能力を、充分に、発揮したいと願うのだ。
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