一時
自分でも、嬉しくなる程の、飾り気のない良いものをかいた後に、一時、煙草を吹かす。その忙しかった身の上に、ゆっくりと、白い煙が膨れ上がるのだ。ひとつの部屋、ひとつの筆、ひとりにて、その膨れ上がった煙には、いくつもの明日がうつっているのさ。そして、なんとかなる。
才筆。どこでかこうが、我が才筆。尽きて、他人(ヒト)の蹂躙に果ててしまうものではない。
”うまくかけない....否、かかねばならぬ。体裁の為ではなく、我が証の為に。”
変身。幼少の頃より、幾つもの文学作品を学んできた。否、学んできたというよりは、むしろ、学ばされてきた。始めが、芥川であり、最後が太宰であり、その途中に、漱石、鴎外、安部公房、又、古くは吉田兼好、紀貫之、紫式部、....、又、戻って新しくは、北原白秋等、学びの里は散在する。しかし、その殆どを忘れ、僅かながらに憶えているのは、著明な、芥川の「羅生門」、太宰の「人間失格」、「晩年」、「もの思う葦」(「晩年」、「もの思う葦」は、高等学校を卒業して、大学に入学した後に、読み始めた。)、あと、漱石の「心」くらいである。それから、安部公房も、太宰の二作品に同じく、大学入学後に読んでいたので、憶えている。余りに多くの著者を、一度に学んだ故、きっと、憶えているのが、無理だったのであろう。否、むしろ、憶えていなくて良い、という感に捕われた、という事さえ、嘘とは言い切れまい。しかし、そのような中に於いても、高等学校の頃には、その作品と対面する時でも、その内容の多さに捕らわれずに、よくよく、考え込んで、自分なりの意見(それに対する発想)を述べる事が出来たのだ。高等学校の頃というと、もう、既に、今までに、7年が経過している。早、一昔だ。十年で、そう言うのだろう。環境(周りの雰囲気)も、何もかも、変わったのが、この現在である。それにつられて、この私でさえ、変わったのかも知れない。その時までは、他人(ヒト)に会った時でも、私は、すんなり、自分の思い当てた事を言えたのであるが、ここ最近、否、遠く以前から、他人(ヒト)と会った時でさえ、私は、言葉がまごついて、何も、上手く話せなくなってしまったようなのだ。「口下手」というのがあるが、きっと、私の癖は、そんなものではない。もっと、重大な事のように思える。(本人がそう明かすだけに、そういうものだ、と受けて貰いたい)。私は、その内に於いて七転八倒する最中に、面倒だ、と言うものの陰を見た。けれども、上手く、言葉に出来ない。口に出せない。私は又、そこで、変身への願望の陰をも見た。唯、無口になる。他人(ヒト)は、その中で、蠢く自分が居るのにも関わらず、変わっていない、と思い込み、ついには、形而上の孤独の房の中で、音を上げる。その辺りの情景によるものかも知れないが、私の、影響される癖が、連続して始まる。何を見るにしても、自分が薄く、傍に立つ他者の影程強く、色濃く、脳裏に焼き付く。むしろ、その成り行きは、止まらない変身への皮膚の一枚一枚を創り上げて行く作業のように、移り変わって行く。私は、その積み重なった皮膚の一枚、一枚を、一掃しようと、本気で、自殺しようと考えた事もあった。父親の励ましがなければ、私は、きっと、そのまま自殺の末路へと身を落したかも知れない。暫く、考えた事があった。人は、自分自身の意見というものを持っていなくては、この大勢の中に、生きて行く価値はないのであろうか、と。又、”命在ってのものだね”ともいう。そんな言葉が、そんな情景に於いては、気丈にさえ、思えたのであった。この世の中は、これまで積み重ね上げてきて、(目に入る広告からも感じるものであるが、)希薄な世の中へと、移り変わったように思える。その事を促して、儲けようとするテレビ番組も、確かに、存在する(”朝まで生テレビ”等)。そのような希薄な世の中の内で生きていても、自分自身の意見というものが、それ程、大事なものなのか、という事である。それについて隈なく調べ上げた挙句に思えば、自分の意見というものが、顔を呈する程に、大事なものである、という結論に行き着いたかも知れない。それでも、この私が、盲目にさ迷ったのは、何か、別の邪魔の手が差し伸べていた所為かも知れぬのだ。私が、変わり始めた頃から思っていたものが、流行である。流行とは、人々を左右する力を持っている。それにより、雰囲気を変えてしまい、そこで生きる術さえも変えられてしまったのではあるまいか。そこへいくと、私の、自分の事を言うその自力は、饒舌と見做されてしまって、口を閉ざす以外は、なくなってしまっていたのではないか。「何も言わずが華、....」等という言葉が、程良く気休めにもなり、程良く桎梏ともなる。私は、この、以前までの数年の過去を取り除いて言えば、確実に、変身をした。何も、思ったことがすらすらと言えず、無口になったのだ。他者との間に流れる沈黙の存在さえ、自身の糧にしようと、身を尽して思ったことさえあった。けれども、そのような日々の内で、私は、自分のもう一方の質を見るのを忘れていた。持ち前の臆病である。臆病ながらに、知識がなければ知恵まで乏しくなってくる、というのはよく聞くもの、私は、これより暫く、この臆病という質と、面と向かって闘わねばならぬのではないか、と、執拗に、覚悟を見届けていたのだ。臆病でなければ、人(の群れ)にも溶け込める、細かな心情を吹き飛ばすくらいの大物であったなら、強者揃いの内でも、気が迷って、足踏みせずにも済む。臆病でなかったなら....。 徐々に変わった私は、又、徐々に、昔の自分に戻ろうと努力をした。困っている者の傍らでは、何とか、口と心を開いて、励ます言葉を投げかけてやろうと、しきりに、思った。世間に出て、社会人となった友人が、非道く饒舌なら、自分も負けじ、否、対等の相手に成ろうと、良い言葉を探して、繕い、続けた。沈黙を”得手”とする者が来た時は、少し、知恵を絞り、その沈黙の雰囲気を壊さまいと、一言、二言、良い言葉を投げようと、努めた。私は、努力したのだ。しかし、肝心の、その以前にあった継続しても疲れない、目には見えねど、自信というものが、そこにはなかった。詰り、自信が欲しかったことに、気付く。そして今、この部屋に一人でいる時に、目を逸らしていたものの陰に気付いた。一時、一時、確実に、積み重ねて行く、人の年齢とも同様な、時の移り変わる、時代というものである。時代が変れば、遣う言葉も変ってしまうのか。流行語、小説、詩、慣用句、固有名詞...。数えてみただけでも目に余る程ある。今、その情報発信基地であるテレビをつけても、新しい言葉で飾った題のドラマが、当然のように放映されていて、人々は、それを見ている。学校へ行けば、その時の話題にもなる。街へ出れば、その時の話題にもなる。会社へ行けば、その時の話題にもなる。世間に出れば、その時の話題にもなる。一人でいても、その時の話題にすらなる。時代の移り変わりを忘れていたのだ。時代が変れば、その恰好により、人は中身まで変ってしまうのだ。それが、或る処から見れば、必然の事実(コト)なのかも知れない。しかし、これ等を思えば、私の二つの変身も、まんざら、捨てたものではないということになる筈である。私は変ったのだ。努力は要らない筈である。自殺をしなかった故に、その皮膚の一枚、一枚が、まだ、私の体に、きちんとついているのであるから。
|
|