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作品名:六月までの自立 作者:天川祐司

第10回   怒りと臆病
怒りと臆病

 どうしてこんなに僕が怒らなくてはいけないのか。いつも怒りたくもないのに、怒りの種子を持って来る輩が居る。本当に舌足らずな輩達が人の気も知らず、滅入った時でさえその矢を放って来て、その疲れを倍増させて、知らぬ顔で通り過ぎて行ってしまう。もう、冗談じゃない。オレはこんなに愛想を振りまいてるじゃないか。なのにどうして、そのオレに怒らす種ばっかりを持って来るのか。本当、いい加減に腹が立つ。時に「女」というものは男以上に会話が通じず、心も通じない。そんなので何で「結婚」なんてのがあるのだろうと、思う時がある。唯、かわいさを補う為に、否唯子孫を繁栄させる為に、又、一人の孤独を埋める為に。それ程しか思い付けない。吸う煙草の量も増えて、唯単に吐き気がするだけで何にも良い方向へは向かわない。でもこんな時、やはり何かで補わなければ生きる事は出来ない。女じゃなければ何か、或いは他人でなければ、...何か..。一人で出来るもの、否、そんなのじゃ唯虚しいだけの事に尽きるのは既にもう知っている。目の前から消えてくれれば良いのに......。しかし、オレの為にあの人が存在してるわけじゃない。オレの孤独を埋める為にあの人は存在してる訳じゃない。詰りは、やはり、自分でつよくならなければ。友達になったなら、悲惨である。弄ぶ輩達の真横で、弄べない自分を唯見詰めているのだから。それが続くのである。自分の友人さえ、一度はどこか遠いところへ行っている。そんな人達とは、もはや遊べなくなるような、そんな勇気否、臆病が沸々と湧いてくるのである。唯々、健康を気遣って、この先の将来へ向けて現実(イマ)へと埋没してゆくのだ。決して淀みはきかない。けれど、淀んでいる。僕が淀んでいなくても、世間が....。言う事を聞いてくれない。”生きる事は苦しい”と誰かが良く呟くが、僕はまさに実感としてしている。僕も一度、皆の知らない遠くまで行ってみたい。この僕の顔が疲れているのを装って見えれば、他人は急に冷たくなって黙るのだから。気心はもはや僕の知っている内では、教会という所に居るその中の僅かな人達しか見えない。あとは皆、自分でその「壇階」を築けぬ輩達ばかりだ。”この世間が汚れている。”と言い放った誰かの言葉が、その時に改めてわかった。俗世間は改悛せず、個人が改悛するのを唯々黙って眺めて居り、頃を見計らって、不要の横やりを入れるのである。その個人にとってはうるさい騒音でもそれは変わらぬものであり、常に人と人、男と女との間に居座っているものである。
 
 僕に来る事は時期が来れば終ってしまう。先が見えている倖せばかりで、金輪際、その倖せはやって来ないような気がしている。この僕を落ち着かせてくれるものは、先に煙草の煙であり、ポスターの「A.N」であり、飼っている犬であり、飼っている猫であり、同様にこの白紙である。そこには、人と人とを繋ぎ合わす言葉がない。しかし僕は、それらに一応の安堵を覚えていた。人の見知らぬところで。”オウムがえし”というのがあり、一言言った言葉をそのまま間違わずに言い返して来るものである。”オウム”は人の言った言葉をそのまま聞いて覚え込み、時が経てばその人が言った同じ言を言い返して来る生きものである。もしもその時に、その言葉が違って居れば、言い返された人は辟易を隠せないだろう。ここでも臆病とこの世につよい者とに別れて、その、その事への行為が違って来るのである。僕はきっと、最後のところでつよい者である。詰り、臆病というわけである。離れたい、離れたい、全く違う事を訊き返して来るあの人から、ずっと遠くへ離れて行きたい。そうすれば解決が見えるかも知れぬと、一念を踏んだ個人の妄想。人の事が思いやれぬようになってしまった。これも然り、簡単には済ませてほしくない言葉である。僕はとても、疲れているのだ。もう息も出来ぬ程。もう人を思いやれる程の愛情も持てぬ程。この体が先に崩れ去ってしまったのだ。玄関から入って来たあの子は、何も愛想せず、そのまま目を合わせないようにしたまま僕を避けて通って行った。まるで嫌われてしまったのかのようである。(案外、とっくにそうかも知れぬ。)僕ももう同様に、疲れを覚えていたので空(カラ)の愛想を振りまく事もせず、「おつかれさま。」も言わないでその同じ仕事場を後にした。その時から思ったのである。女とは男を駄目にしてしまうものであると、又、男は女を駄目にしてしまうものであると。アダムとエヴァの罪から、どうしても離れる事が人には出来ない。空腹の腹を抱えたままで、食糧を求めようとせず、神の光を辿ろうとした。又、それがどうか、「試み」では終りませんように。僕の友達の一人が今、異国の地に住んでいる。

「裏と表」
 人にはそれぞれ各々に、見て美しい顔と見られて困り果てる顔とがある。憤慨して他人(ヒト)にその恨みを放つ時、人はよくその事を忘れる。そういう時は、もう一度、己を省みよ。自ずと事の真相が見えて来るであろう。人は皆己の決意だけで生きるものである。他人の忠告のその言葉の内にも、自分の影は憶えている。一つ、忠告を受ければ二つの反問が生れ、その左右はその人にまかされる。その自我の故に、この世の人はよく迷う。他人(ヒト)に対して一方的な憎悪の念が、さも正しい事のように自らの手で仕上げ、時に取り返しのつかない過ちを犯してしまう。後からその正しきが自分の道にない事を気付いても、きっとこの世でのその人の生活には安心はなく悔いが残るであろう。自分の言う事にさえ渇きを覚えて、その渇きを潤す水を見付けるのには相当の時間がかかる。そしてその人はやがて、光か暗きかを見るのである。そのこの世の困難に落ちない為に、分れ道に立った時一度己を省みる事が必要である。人は他人(ヒト)がある事を言うと、その事に自分の内の表面を預けて自分のしようとしている事がわからなくなる時がる。思慮のある者は、その自分を省みるのと同時にその他人(ヒト)の内をも見る事を努めなければならない。そうする事で自分を思うべく他人をも思う事が出来るのであり、人は一つ正しきを得るのである。その人の表裏の質は、その人の過去からくるものである。

「或る男」

男は女の言う事を最後まで信じようとはしなかった。

男はそういう気持ちを既に使い果して居り、その時に信じる事が出来なかった。

その女は見た目が美しく、他からも愛される事の出来る風(容)貌であった。

しかし男は、その女のそういう風貌に執着してしまい、他を考える事が出来なかった。

それは欲望から目を離す事の出来ぬ男女共通の悩みであった、男は一人でそれを背負っていた。

男は、聖書に記してある「独身について」というところを読み、それを都合の良いように信じた。かたくなかとも思った。

男は「プライドを大切にする」ということを、口癖のようにしていた。


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