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作品名:六月までの自立 作者:天川祐司

第1回   唯、作家論
『唯、作家論』

「唯、作家論」
 昏睡とこの世とは、違う。明らかに違うものである。
 私が、或るTV番組に出演していることを想定する。(在りはしないと思うが。)私は、”唯、作家”として、プラカードを下げて、席に座っている。その他、大勢の歴の長い作家や、口の立つ司会者や、政治家や、ルポライターや、タレントやらが集まっている。良い大学出の者達の集い。私は、その雰囲気のない論弁に怒りを憶え、次のCM途中に、席を立つ、と発表する。それを見に来ていた観客は、ざわめいた。私は、その前に、こう言ったのだ。「こんな埒もない論弁をし続けたところで、互いに、何のメリットもない。これじゃあ、皆さん、今からすぐ、仕事のことは忘れて、自宅に帰って、白紙と面と向かったら良いのだ。その方が、ずっと、ましに違いない。お互い、表情(カオ)を見合わせるからいけないのだ。なるものもならなくなってしまう。気の優しい奴は、もう、気付いてはいると思うが、面と向かって、途端に、何も言えなくなってしまうことって、あるんだよ。良くない。ただ、カッカッして、これじゃあ、勢いの盛んな内に打ち込んだ、喧嘩と変わりがない。詭弁に過ぎない。家に帰って、皆が、それぞれ思う事を白紙にかいて、作文形式に提出すればいいんだ。一人になれば、己が見えてくる。何を言っているのかが、自ずとわかってくるものだ。相応にましな応えも出て来るだろう。鉄は熱い内に打て、という言葉があるが、皆さん、それを取り違えてしまっているようだ。ここに居ること自体(こそ)が、まちがいのもとなのだから。雰囲気を壊すも何もない。もとから、雰囲気なんて何もなかったんだから。とにかく、作文をかいて出して、それを回覧板のように皆にまわしていけば良いのだ。皆、もっと、読む力を身に付けないと駄目なのだ。元もすべても、駄目になってしまう。...」。案の定、私は、告知通り、次のCM途中に、そこから居なくなっていた。私は、そこの廊下のソファに立ち止まり、少し、珈琲を買って、その模様が映っているTVを見ていた。皆の表情は、覚えていない。然程、変ってないのか知れず、私の中では、その雰囲気は、大きく変っていた。

 と、ここまでを、ふと、想像した。人は、一人の時に限り、誠の真偽が見えてくるものである、その延長で、そう思う。そこに居た者達とも、昏睡の中にて、努めて、手と手を結べるのかも知れず、すべてが、削ぎ落ちてゆくのでは、と、想像するのだ。この世間では、どうしても人がいる。一人きりになど、なれはしない。真実に於いて一人になり得るのは、誰彼、昏睡に落ちた時だけなのである。昏睡にいる時の自分と、世間にいる時の自分は、違う、そう在ることが、私は、真実だと思っている。昏睡があるから、人はこの世から救われるのだ、と。その想定は、私に、それを表した。

 それ故に、作家は、一人でいる時が一番美しい時なのだ、と、いうのであろうと、私は思うのである。

「プライベイト」
 誰かが、どこかで幸せになっていようと、僕は、この部屋で、一人でいなくてはならない。嫉妬だ。誰か、有名人が、奇麗な女性と結婚した、と。その女性は、女優で、僕の憧れていた人なのだ。(勿論、嘘だが。)その二人が、東京のマンションで、幸せそうに暮らしている。細々なことは知らない。幸せそうに見えるのだ。男と女、その関係は、離れていては成り立たないものなのか。僕は、その都度、嫉妬する。一人二役が出来れば、良いなぁ、と考えていた。今まで、僕にとって、その女とは、それ程の効果を成し得てはいない。傍にも居てくれず、そんな愛情も表してはくれなかった。唯、街などで見るだけの、存在だったのだ。恐らく、話し掛けても変に思われるだろう。(僕の嫌いな順序が、そこに在るらしい。)その意味は、ペット程もないのだ。ペットは、好きな時に抱き、好きな時に離れ、又、温かささえ差し出してくれる。言葉を言えない分、寂寥にはなるが、見方を変えれば、一人身の都合の良いものにも成り得る。女とは、都合の良いものではないらしい。むしろ、逆と見られても、自然な場合もある。女は美しく、そのあたたかそうな美貌を生かして、金さえ作ることも出来る。生活を共にするのは、唯、一人の寂寥を消す為の都合だけ、それだけ、というのも、満更ではない。愛情というのがある。どんなところにも、その近似的感情は在って、全く、ややこしい。プライベイトがある以上、その人の心の内はわからず、その故に、個人の生活が成り立っているとも考えられる。愛情にも、捌け口がいるのであろうか。よく、街中で、男女の組を見る。それ等の表情は様々で、それでも、それなりの恰好は落ち着いていて、愉しそうである。結婚まで漕ぎ着ける者も居ようし、唯の付き合いで終わらせるつもりの者も居よう。お互いが納得しながら。僕は、そういうのがどうも出来ないらしい。以前に、何度か、そういう経験があったのだが、全て、自然に消滅してしまう。これも、そこいらの、口の立つ奴等に言わせれば、色々と言われるのだろう。しかし、僕にはそれが向いていないらしい。やはり、自分の事は自分でよくわかっている。それで、カッカッするのは、少し、馬鹿げている、と、最近、思い始めた。一人ならば、一人でいいじゃないか。何も、無理までして、結婚に漕ぎ着けることはない、と。唯、憧れなのである。この、それへの憧れというものを、消さなければ、どうしても、その決心も、又、詭弁に終わってしまう。少し、プライドについて思ってみた。恰好は気にせず、一人での、プライドを持とうと、努めてみた。例えば、自分が、女らしく在れば、女からの指図は受けないのではないか。又、男も、相応に、何も言わなくなるのではないか、と。かなしいかも知れない。飛躍し過ぎているかも知れない。しかし、折角、女というものがいるのに、と、思わされると、どうしても、又、その詭弁を大切にしてしまうのだ。自分というものを昇華させてゆけば、自ずと、その焦燥も消えてくれ得るのではないか、と、期待してみる。男と女という路線を、唯、越えてみたいのだ。自分なりに。正統に。
 それも作品の材に、成るかも知れぬ。女というものが、本当に、わからない。お互いさま。どうしてもわからぬのなら、わからぬままでいい。一瞬の快楽で、過してゆければ。

「斡旋のことば」
随分、友達に、”○○が好きだ”好きだ、と触れ回った。あの時、そうでもしなければやっていられなかったからである。なにしろ、手の届かぬ高嶺の花だということくらい、遠に、わかっていたのだ。

 今晩、憂鬱なテレビ(番組)を見た。女の汚さ、卑らしさ、を露呈したものだった。”なになに係”と各係を決め、その女一人の為に、男三、四人が、立ち回る、といったのを、そのまま、写実していた。(勿論、男の”それ等”も、きちんと露呈していた。)僕は、痛む頭を押さえながら、見ていた。見れば見る程、酷いものだった。まるで、この世の女、すべてが、信頼出来なくなるような、卑らしさ。女は、現実につよい。僕は、男である。ぬき足、さし足で、男の味方をしてしまう。それ等を、つよみとした。逆に、考えた。目前に故意に立たせてある、”華”の事実に、面と向かって、目撃したのである。もはや、そこからは、自分の弱さからでしか、堕ちた、とは言えないまでに...。男は女に、甘い顔をする。女だからと、気心を許す。僕だって同じ。すべては、”女だから”なのだ。女である故、そこに、一輪、花が在るようにも思う。同じ、女で在ったなら、それがなくなるのと同じように。しかし、僕は、そこに、或る程度の、安堵を覚えた。解説の安堵である。他愛無く。その女達が、皆、男の向こうに目的を置けるものだと確信したなら、すべてがそう見え、純粋などというものが朽ち果てるのが、将来の糧にさえ成り得るのではないか。独身美徳論、偏見。今だって、卑屈な欲望の火照りが、体中を渦巻いている。詰り、ここを狙ってくるのであろう。僕は、自分の独身論を、一瞬一瞬でも、美化できる。否、確信できる。騙されて良い相手になら、騙されるかも知れぬ。少なくとも、つよくなりたいのだ。女の為に生まれて来たなんてのは御免さ。僕は、両親の為に生まれて来た。こんな時、芥川のあの言葉が、心に、痛い。

”人生の悲劇は、親子で在ることに始まっている”

又、答のないもんだいへの論争を、露程、時間潰しの態でやっていた。怒るな、そんなことくらいで怒るな。泣くな、そんなことくらいで泣くな。又、笑うな。所詮、解決などしやしないじゃないか。数時間もすれば、自分の言ったことさえも、忘れる。無責任だよ。

と或る映画を観ながら文をかいた。同時に音楽を聞きながら、この日を憂いだ。とても難しい。何事にも感動を入れずに、これをかかねばならない。珈琲を呑みながら、煙草を吸いながら、左目の痛痒さを気にしながら。お金がない財布はテーブルの上。音がならないCDデッキは僕の右隣り。左方にあるテーブルの上のグラスには珈琲がもうない。他人はなし。しかし、僕を調子付ける音楽は、聞えさせねば。僕は、自分で自分を孤独にさせない術を身に付ける。作家足る者、そう在らなければ。(誰に、似たのか。)常に、貧しい輩は、正直を言う。”カリスマ”というものは、誰にでも存在する。否、仕事が、先だ。愛とか仕事は無関係。行きはリムジン、帰りはタクシー、行きは女と、帰りは一人で。お家で縄跳びをしていた方が、まだ、ましだ(笑)。他人は、所詮、他人だ。背が小さくても、知らず内に高くしている。女だって、僕が傷を負って帰った時、部屋の奥から、薬を持って来るか、何か毒を持って来るか、わからない。結婚している者は、大抵、子供の育児資金と、生活資金が掛っている。その前に、自分の幸せの為の資金も。他人から同情されて”利”を得るなら、その口からは何でも出て来る。僕とて、その術を知った。知った、というだけだが。内緒話は、友人にだけするものである。しかし、友人とて僕とて、仕事は必要。今更、捨てられるものじゃない。今更、仕事を捨てれば、逆に、仕事に捨てられる。否、傷付かねばならぬのか、時に、作家はそう思う。時に、感動と落胆の多用で、感動と落胆を軽蔑した。今の世間は、それが好きらしい。何が大切なのか、必要なのか、わからなくなる。一言で言えばいい。喜怒哀楽、これだけでも四つある。人の笑顔が鎮静剤になるのはいつまで。人には、過去がある。その過去に見た笑顔だって、忘れちゃいないのに、今見た笑顔は、深みがある。女の体は、男に見られる為にある。女にはお家があり、男はそこへ入るかどうか、迷うもの。そこは女のお家だから、そこへ入った男の方が、気を遣わなければならない。僕は、はっきり言って、気を遣うのは苦手だ。疲れる。女はクッション。砂みたい。水のついた体で寝そべれば、体中に砂が付く。女とは、結婚していても、埋もれるものではない。常につよく、絶えず、つよく、自分が勝つのだ。否、自分で勝つのだ。そうで在らなければ、或るものも成らなくなる。互いが、つよく在らなければ。仕事と、作家(自称)のストレスで、狂いそう。どうにかならぬものか。西と東の神秘に負かされて、狂いそうだ。勿論、人のつくった神秘。こだわりを捨てちゃ、僕は、生きてゆけない。奇麗事だらけでは、精魂尽き果てる。それは、夢と野望には邪魔なものである。一つの勇気の話。僕のかいた”唯、作家論”。”エージェント”(映画名)。

 僕が女だったなら、或る程度の絶品だったら、モデルか何かの仕事をして、資金を稼いで、その元金で以て、歌の作詞家にでもなったろうに。しかし、これから、どうして、そこまで漕ぎ着けるか。知識が無いのは、唯、僕だけだったってこと、よく在り。友人に、教えられる。それよりも、これから仕事がある。三時間後に、アルバイトが控えている。そこが潰れでもしたら、すぐにでも他を捜さねばならない。”繋ぎ”は、来年の六月まで要るようになった。いつかの決心の所為で、それを余儀なくされたのだ。後悔のない、決心。友人のバイトのない毎日が、少し、恨めしくもあり、しかし、金がなければ一日の生活が苦しくなる事を知って居り、そこには持続する平安はないと、会得している。とにかく、健康を気にして、丈夫に生活を続けなければならない。

 僕は、この”作家”というものを、人生の試練だと心得ている。この作家の身の上にて、あわよくば、あの十戒を守ろう、と、決心している。(所詮、個人が思う、決心である。)人にはめりはりが必要である。程良い矜恃も必要である。又、程良い勇気も必要である。又、生活してゆく為の地位も。人は、他人のことをわからぬ故、その他人に対して、色々と、冷やかしを吐く。(別に、それだけを重視するつもりはない。)しかし、その冷やかしは、人を潔く傷付ける場合がある。両者、共倒れの悲惨も。その引き金は、欲望である。まがりなれども。

 気分が悪い。首筋の血管が、妙に、痛い。これを通じて、頭も少し、痛む。頭痛。日頃のもんだいである。

「童女への告白」
 女に問うた。「きみは、幸せになりたいのか。なりたくないのか。男と敵対したいのか。そうではないのか。その笑顔を以て、何を言いたいのだ。笑顔をやめて、言葉で以て示して欲しい。きみは、恰好を付けているのか。誰かにそれを見られたいのではないか。きみは、きみの正直を知っている。それをポリシーにでもしているから。現実につよいとでも思うのだろう。その言葉は、母から聞いた。(再度、問う。)きみは、幸せになりたいのか。そうではないのか。常識的な幸せの場所からは、離れたところに、きみの幸せはあるのか。悪魔と天使とでは、どちらに成りたいのか。一度、聖書に手を置いて、考えて欲しい。悪魔と天使は、聖書の産物(もの)である。僕は、クリスチャンである。出来ることなら、僕がきみを裁きたい。迷わず、きみを罪に堕とすだろう。きみの”喜怒哀楽”を取り去って。...」或る程度まで話した。しかし、もう一度問う前に、女は、もう居なかった。

”無駄遣い”は生きている勢い。”倹約”は生きている証拠。

「一葉」
 この僕一人は、万人の想像にも値する。僕は、どうも、この世間の者と、気が合わぬ。会ったこともないのに。会ったとしても、その者は、地獄へと堕ちてゆくのだ。先走って。答のない会話は、やはり、避けるべきである。

生きる、と決めたのだ。生きなければ。

孤独を背負うのではなく、覆うのだ。

街中を歩けば、堂々としている奴がいる。何故、あんなに、堂々としていられるのか。不思議である。怖くはないのか。何が、そうさせているのか。近くのサラリーマンは、生きる底の勇気か。しかし、奴等は。成程、女は、そのつよさを見て、それに肖る。役にも立つだろう。僕だって、そういう時がある。しかし、調子がある。調子が悪い時に限って、調子の良い者が来るものである。頭痛がする日に、血の気が多い者がやって来るものである。迷惑。何かへ大事なものを蹂躙される気分である。僕は、眩暈、よわいのか。”臆する者には、悔いのみ残る。”脆弱な者には、悔いのみ残る。

知識に傘かぶって、人を見下すことを努める輩。皆、同じであり、沢山、いる。自分の偏見が少しくらい認められたからといって、人を裁き始める。その頂点には、勿論、自分が立っているのだろう。下らない芸当。くたばってしまえ。二度、目に触れたくもない。そんな場所は取り去ってしまえば良いのだ。皆、一人きりで悩めば良い。道徳をも思えばいい。そこにだって、未来はない。間違った未来は、人が創ったものならば、どこにだって存在するのだ。いい加減やめてしまえ。人の言葉尻をつかまえては、低い、お前の立場の下まで、堕とそうとする。お前には、耳があっても、真意をつかむ耳はないのか。ああ、悲惨だ。悲惨だ。お前の影さえも、哀しく泣いているじゃないか。おれは、お前と暮さねばならぬ。無言は、辛いものだ。


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