塁は昼間に騒ぎ過ぎたのか、お酒を飲んだらグッタリして、座布団を枕に鼻歌を歌いながら横になっていた。手酌でビールを飲みまくっている智樹と、いつも通り飲み比べが始まってしまっている至君、拓美ちゃんに気付かれないように、民宿の外に出た。受付のおばさんがにっこり手を振ってくれる。 波打ち際まで歩いてみる。暗くて引き込まれそうで大嫌いだった海の水に、今日は腰まで浸かった。人に晒すことが嫌いだった肌も、拓美ちゃん程大胆ではないけれど、水着を着て肌を出した。私の中で、何かか少しずつ、変わって行っているのを肌で感じる。それは、自分の努力ではなく、周りの助けが九割九分九厘を超えている。 後ろから、ゆっくりと砂を踏む音が近づいてきた。 「君枝」 智樹が、私の横に並んだ。少しだけビールの匂いがする。 「四年前、ここの砂浜、歩いたよな、一緒に」 同じような事を考えいるんだなぁと思うと自然に笑みがこぼれる。確か、私は智樹の歩みに追いつくのが精一杯で、初めて智樹のデレ顔を見たのはあの時だったと思い出す。 「今日も歩くか?」 手を差し出され、私はそこに自分の手の平をのせて歩き出す。智樹の手の平は、ゴツゴツしていて、大きくて、暖かい。夏でも不快じゃない、何とも言えない暖かさに、自然と頬が緩む。この手で野球のボールを握り、至君のミットに向かって投げていたのかと、ぼんやり想像する。 「なあ、君枝」 改まって名前を呼ばれ、「なあに?」の顔を覗き込む。 「俺は君枝とずっと一緒にいたいと思ってるんだけど、そこまで考えたり、してる?」 昼間話した塁との会話との重複に、裏があるんじゃないかなんて邪推してしまう自分がいて、苦笑する。 「考えてるよ。勿論」 握る手に、力を込める。それでも智樹の硬い手の平には、この力は届いていないのかなと感じ、もう少し強く握る。 「一緒に、暮らさないか?」 私は、はたと足を止めた。「私と?」 「他に誰がいるんだよ」 笑って誤摩化そうとしているけれど、そこには彼の最上級のデレ顏が広がっていて、直視できないほどだった。 「関係を急いでるわけじゃない。それは前にも言った通りだ。でも、傍にいて欲しいんだ。俺の日常に、君枝がいたら、ずっと幸せなんだ。歯を磨く時とか、朝ご飯を食べるときとか、それから」 話の腰を折るように彼の胸に飛び込んだ。ドスン、私の頭が彼の厚い胸板にぶつかる。 「変な事聞いていい?」 くぐもった声でも聞こえるように、私は少し声を張り上げる。 「何なりと」 彼の胸から振動として、耳に声が届くのがくすぐったい。 「私との間に赤ちゃんができたら、困る?」 きっと身を引いて顔を見るとか、焦りの色を見せるだろうと覚悟していたのだけど、意外な程落ち着いて彼は私の頭を抱いたまま、ゆっくりと撫でた。何度も撫でた。 「嬉しいに決まってる。幸せすぎて罰が当たるんじゃないか心配になる」 じんわりと心臓の奥が暖かくなって、目の奥が熱くなって、そこにいられなくなった水分が目から雫として零れ落ちる。 「良かった。一緒に暮らそう」 震える声でそう言うと彼は、身体を屈めて優しくキスをくれた。
「君枝はベッド派?」 「うちはベッドだけど、どっちでもいいかな」 砂を蹴りながら、浜辺の端に到着すると、どちらからともなくユーターンをして宿の方向へ歩き出す。 「じゃぁ和室に、ベッドを置こう。今君枝が使ってるベッドを置こう。他には持ち込みたい家具はある?」 そんな話をするだけで胸がいっぱいで、泣きそうになる。「ない」としか言えない。 きっと黄色い歯ブラシはもう、捨てられているだろう。新しい歯ブラシを買おう。新しいベッドカバーを買おう。緑茶を飲む湯呑みは、お揃いの物を買おう。同じシャンプーで髪を洗おう。同じ物を食べて暮らそう。口には出さなくても頭の中は来たる新生活の事でいっぱいになった。 「結婚を前提に」 智樹はそう言って足を止める。私は後ろに引っ張られるようにして止まった。 「そう言ってもいいか? 君枝のお母さんに、結婚を前提に同棲させてくださいって、言っても良いか?」 振り返った私は、大きく頷いた。大きな満月が、私の後ろからみつめていたんだろう。私と智樹の影が長く長く、砂浜に伸びていた。
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