雨が降ってきた。今日しかない、そう考える。 携帯で天気予報を確認し、この雨は朝まで続く事を知ると、バイトを終えた私は漫画喫茶に入った。終電が行ってしまう手前、二十四時ごろ店を出て、持っていた折り畳み傘をさして、久野君の家の近くのコンビニへ来た。店には入らず、庇の下に入ると折り畳み傘を畳み、久野君に電話を掛けた。 二回掛けても出なかった。三回目で出なかったら諦めようと思いながら、呼び出し音を聴いていた。それがぷつりと途切れた。 『星野さん?』 「星野です。実は、バイト先で残業してたら電車逃しちゃって、傘も無くて困ってるんだ」 『うん』 その「うん」という頷きにこもる感情は、無に等しかったが、私は続けた。 「この辺に知り合いもいないし、一日、泊めて貰えないかなぁと思って」 そこまで言うと、電話の向こうで彼は沈黙した。沈黙のあちらでテレビの音が鳴っている。 『今、どこ?』 「大学の近く」 嘘だった。コンビニと言ったら傘を調達できるだろうと言われそうだったから、嘘を吐いた。 『大学から真直ぐ進んで、途中に大きいスーパーがあるから』 そう言って大学からの道を教えてくれた。うまく行った。私は電話を切ると、雨に濡れないように携帯を鞄の一番底に入れて、手に持っていた折り畳み傘をコンビニのごみ箱に捨てた。 雨の中に一歩、足を踏み出した。電話をしている最中に少し雨脚が強まったみたいだ。雨に濡れれば濡れる程、私の心は躍った。どうかコートの下の白いブラウスにまで、水が染みていますように。
久野君の家のインターフォンを鳴らした。ドアの向こうから足音が近づいて、ドアがこちら側へ開いた。目が合った彼は絶句した。 「ごめんね、こんな時間に」 前髪からも、コートの裾からも、雨が滴り落ちている。 「ごめん、部屋濡れちゃうから、コート脱ぐね」 玄関に入る前にコートを脱ぎ、私はコートの濡れている面を思い切り胸に押し付けた。それからコートを振るって水分を落とした。絶句したままだった久野君は「どうぞ」とぼそっと言って部屋に通してくれた。 「これハンガーね。今、部屋着用意するから」 ありがとう、と言ってハンガーを受け取り、部屋着を持って来た久野君の目線が、私の胸の辺りに来た事に私は気づいた。コートの水分を少し吸うだけで十分に下着が透ける、薄くて白いブラウスだ。男なのに目が行かない方がおかしい。 「あの、シャワー、しかないけどどうぞ」 たどたどしく話す久野君なんて見たことが無くて、私はシャワー室に向かいながらほくそ笑んだ。
「助かった。どうもありがとう」 ドライヤーですっかり乾いた髪をかき上げながら、部屋に入り、まだ雨に濡れている合皮の鞄の底から携帯を取り出した。誰からの連絡も無かった。 ぶかぶかの部屋着は、色気を出して着崩すにはもってこいだった。 「友達とか全然いないし、早く帰りたいって店長に言ったんだけど、人手が足りないからって言われちゃって」 久野君は聞いているのか聞いていないのか、いそいそと布団を敷いている。和室に一組、手前の部屋に一組敷いている。一人暮らしなのに布団が二組あるのか。少なくとも隣り合わせにして欲しかった。予定が狂った。 「あぁ、布団なんていらないのに」 「そういう訳にもいかないでしょ」 彼の口調は、怒っているような、困っているような、少なくとも嬉しそうな口調ではなく、それでも男なんてみんな同じような生き物である事を私は知っている。 「ここ、よくあの眼鏡の子も来るの?」 ふっとこちらへ目線をやり、そこに意味があったのかどうかは分からないが、また布団を敷く作業に戻った。 「そりゃまぁ、付き合ってるからね」 「もうセックスした?」 こんどは驚きの目でこちらを見遣った。「は?」完全に動きが止まっている。 「してないけど、そんな事、星野さんに関係ある?」 私は俯いて少し笑った。そうか、まだしてないのか。それでも家には連れ込んでいる。それは好都合。 「和室の布団で寝てくれる?朝ご飯とか用意できないから、出来れば朝は早めに出てくれると助かる」 そう言ってテーブルの横に敷いた布団に横になる久野君を見届け「分かった」と言うと、リモコン式なのか、電気が消えた。 「あ、お手洗い借りる」 そう言って私は暗がりの中で立ち上がり、一度トイレに入り、それなりの時間を置いてから出た。そして和室ではなく、彼の布団へ向かった。 「何?」 外から漏れる光が当たって彼の顔が怪訝な顔をしているのがよく分かった。私はその場に座り込むと、彼の唇をとらえた。そのまま彼の手を握って、自分の、割と豊満である胸に、押し付けた。久野君の携帯が短く鳴った。 「凄くドキドキしてるの、分かる?私、久野君の事が好きなの」 顔を背けようとする彼の顔を両手で包み、唇を押し付け、彼の下半身に触れた。やっぱり男なんて同じようなものなんだから。 そのままジャージの中に手を突っ込んで少し擦れば、彼は完全に私の言いなりだった。私は彼に愛撫をされなくても、この状況だけれ十分濡れていた。シャワーに入る時にトイレの隅に隠しておいたコンドームを彼のそこに被せると、自分から受け入れにいった。 もう、諦めたかのように彼は私の上に乗り、自ら動き始めた。男なんて単純な生き物なんだから。セックスしない女より、する女の方が好きに決まってる。
「いつぶり?」 私の声に、顔も向けずに「そんな事言わないといけないの」と無愛想に言う。 「時々こうやって、家に来てもいい?」 「絶対来るな。今度は絶対に家にあげないから。困るから、こういうの」 私は吹き出してしまった。腰を振っていたくせに。最後までいったくせに。 「もう話し掛けるな。大学でも最小限にしてくれ」 彼は怒りをあらわにしながらコンドームの処理をし、電気を消した。 さて、あの女にはどうやって告げるかな。私と久野君が恋人同士になるにはまず、あの女には消えてもらわなければならない。
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