「さぁ、何があったのか、神谷君に話してみなさい」 結局まっすぐ家には帰らず、神谷君に拾われてサンライズに来た。 カシスオレンジを一口含み、「どこから話そうか――」と考えた。 「課長、赤ちゃんが生まれるんだって」 さすがの神谷君もこの言葉の破壊力には唖然としていた。 「はぁ?何それ、ネタなの?」 「ネタじゃない。事実」 そして私は、課長のお子さんの話や、夏の一週間に起きた事を順番に話した。 いつもふざけた顔をした神谷君だけれど、この時ばかりは真剣だった。 「あのさぁ、沢城さん」 一度椅子に座り直し、いつになく真面目な声で神谷君が話し始める。 「所詮、不倫なんだ。課長は帰る所に帰る。そういう事だよ」 「そんなのは分かってる。でも、恋人でいるって約束してくれてる間に、奥さんとセックスして、子供が出来て。妊娠を知っても私とセックスしたんだよ」 私は神谷君の顔をじっと見つめた。彼はその視線を避けるように、ビールを手にして一口飲んだ。そしてコースターを手に取り、パタパタと手に叩きつけている。 「だから、所詮不倫なんだって。沢城さんが課長を責めた所で、何も変わらない。課長は手に入らない。そうだろ?だって相手は既婚者なんだから」 それは全うな言葉だ。そう、相手は既婚者なんだから。帰る場所があるのだから。言葉では「君は僕の恋人だ」と言ったところで、私は奥さんの足元にも及ばない、ただの不倫相手。 「こっちにいる間は僕の恋人」この言葉だってそうだ。横浜にいたって、奥さんが横浜に来れば、たちまち課長の横には奥さんが並ぶ。当たり前の事なのだ。 奥さんの妊娠が分かったのにセックスをした。これだって仕方のない事。妊娠が分かってセックスするのと、子供がいるのを知っていていセックスするのと、何が違うのかって話。結局私は、ただの不倫相手で、課長とは「恋人ごっこ」をしていただけ。 「神谷君にしておけば、痛い目見なかったのになあ」 少しいつもの神谷君を覗かせて、イタズラそうな顔してそう言った。 「そうだね」 私を元気づけようとしてわざわざふざけてくれている彼に、歩調を合わせる事が出来なかった。彼の優しさを痛いほど感じて少し涙が浮かび、紛らわすために私はカシスオレンジを飲んだ。 「所詮言葉なんて曖昧なもんなんだよ。やっぱりさ、俺みたいにきちんと予約票を発行したりね、形にしなきゃ」 それでもふざけるのを止めない神谷君を見て、少し頬が緩んだ。 「ありがと、神谷君」 それが精一杯の言葉だった。
|
|