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作品名:キャッチ・アンド・リリース 作者:SO-AIR

第4回   4
.7 何もいりません


 それから数日、サトルさんからのメールは途絶えた。やり逃げか。いや、やってない。サトルさんのお口に合わなかったのかもな。
 キスをした時点で、女友達の枠からは外れた。女友達になる計画は、失敗してしまった。男女の友情を立証する2例目とはならなかった。

 講義後レイちゃんと、学校に近くにあるドーナツ屋さんに行った。朝からレイちゃんは「どーだったの?」としきり問いただしてきたので、「講義後にお茶しながら話す」と言ったのだ。
 私はチョコレートドーナツとアイスコーヒーを頼み、レイちゃんはココナツが掛かったドーナツとコーラを頼んだ。

 お皿に落ちたココナツを指で集めながらレイちゃんが切り出した。
 「で、どうだったの。一晩一緒にいてどうだったの?」
 「どうも何も、ヤッてないよ。」
 これは本当の事。やってない。ガムシロップを乱暴に注ぎながら続けて言った。
 「ヤッてないけど、別の事はした」
 「何、トランプとか花札とか?」
 するかっ、と短く突っ込んだ。

 「映画を観て、お酒を飲んで、話をして、眠って、抱き合ってキスをした」
 「ヤッてるじゃないの。」
 「ヤッてないよ、一線は超えてないの。一戦交えてないの」
 指についたチョコレートを紙ナフキンで拭いた。茶色いグラデーションになった。
 「誰がうまい事を言えと。それで、お付き合いする事にはなったんですか?」
 意識せずとも顔が曇った。痛いところを突かれた。

 付き合ってるのか?
 付き合ってない。現状、付き合ってないどころか、連絡が来ない。今までは、会った後には携帯に短いメールが着て、その後PCにいつも通りの長いメールが着ていた。今回は、それが無い。

 「付き合ってないよ。でも――」
 自分でも何故だか分からないけれど、涙が溢れてきてしまった。心の中に溢れてる感情が制御できない。閾値を越えた分が涙として溢れてきてしまった。
 「でも、好きに、なっちゃったみたい――」
 まるで、王様を好きになってしまった村人のようだ。

 「どうして泣くのー。好きになる事なんて自由でしょ、泣くなー」
 「――ううっ―」
 返事をするのが精いっぱいだった。嗚咽が止まらない。ただ、好きになっただけなのに。それを友達に話しただけなのに。

 好きになった。抱きしめてくれた。だけど、もう連絡が来なくなった。惨めだ。やり場のなかった自分の正直な気持ちを解放したら、一緒に涙まで出てしまったらしい。
 いつもなら来るはずのメールが、来ない事を話した。「次は最後まで」と、次の約束までとりつけたのに、と。

 「まぁ、待つしかないんじゃない?本当に好きになっちゃったなら自分から連絡するとか」
 口の端についたココナツを、手入れのされた薬指の爪でポロっと落としながらレイちゃんが言った。
 「自分から連絡ができなくて、待つのが辛くなったら、諦めるしかないよ。」
 「でも、手が届かないと思ってた憧れの人に、あんな事されて、只々嬉しくて――」
 「諦められそうにない、かな。」
 レイちゃんの優しい笑顔で私の顔を覗き込む。声が、心にしみる沁みる。

 「他にすっごく好きな人でも出来ない限り、諦められないし、諦めたくないよ。何か、変な欲みたいのが、湧いて来ちゃってるんだよ。」
 他にすっごく好きな人。他に。そう、ユウみたいに。未だにその存在が頭を掠めて離れない、ユウみたいに。

 紙ナフキンで涙を拭いて、「あ、さっきチョコ拭いた紙だった」と呟いて、二人で笑った。私の笑顔はきっと、こわばっていたに違いない。
 「他にすっごく好きな人が出来たときに、考えたらいいよ」

 コーラのグラスはもう、空っぽになっていた。相変わらず、コーラの飲みっぷりが半端ない。私のアイスコーヒーは、ガムシロップとポーションミルクを入れたまま、混ぜもせず手つかずだった。ストローでゆっくり混ぜると、コーヒーがマーブル模様に姿を変える。
 「そうだね。まだユウの事も忘れられない状況だから、何か色んなことがごちゃっと心の中で金だわしみたいに丸まっててさぁ。ほぐさないとね。」
 「分かり難い表現だね、それ。」
 「金だわしの事かい?」
 「そう。」



.8 バクチ


 サトルさんからの連絡は2週間経ってもなかった。

 その代り、意外な人から連絡が来た。テツだった。
 テツは、ユウの親友で、私の家のすぐ近くに住んでいるので、時々2人して公園のベンチでお酒を飲んだりした。
 そのテツから電話がきたのは、ベッドにごろ寝しながら今までに来たサトルさんからの携帯メールを読み返している最中だった。

 「ミキちゃん?」
 「テツ君かい、久しぶりだねぇ」
 「電話出るの、早っ。今いい?」
 寂しさを紛らわすために付けていたテレビの、電源を消した。
 「どぞ」
 「ユウが、会いたいって言ってるんだけど、どう?」

 突然の話に狼狽えてしまって声が裏返った。
 「え――、何を今更。だって彼女いるでしょうが」

 会いたい理由は何だろう、返したいものでもあるんだろうか。貸してる物なんてない筈。
 「いや、その辺はユウから聞いてよ。とにかく会いたいんだって。
 今時間あったら、ユウに言っておくから、ユウの家まで行ってくれないかなぁ?」
 「話がある方から出向くってのが定石じゃんかっ」
 テツに怒っても仕方がないことなのだろうが、よく呑み込めないこの状況に対し、何となくイライラしてしまった。テツは電話の向こうでため息を吐いた。
 「お前ん家の前に車停めておくのを、ご両親に見られたくないんだとさ」
 うちの母はユウの車を何度も見たことがあり、私がユウに振られてウサギになる姿も見ているので、ユウの車を見かけたらボンネットに漬物石でも落としかねない。バイオレンス・マザー。

 「じゃぁ迎えに来いって言って。今なら両親いないから、さっさと」
 「おぉ、怖いですなぁ。その言い方でそのままに伝えるよ」
 「頼んだ。伝令ありがとう」

 何の話があるのか、皆目見当もつかなかった。ただ、電話やメールで済ませればいいものを、わざわざ呼びつけるとなると、何か重要な話なんだろうという事は想像に難くない。

 10分も経たずに、家の前に聞きなれた車のエンジン音がした。夏のわずかな風も逃さぬように開け放っていた部屋の窓を、全部締めて回り、携帯だけを手に外へ出た。

 ユウは車から出ようとしなかった。私が車の前に立っていると、助手席のドアが開いた。この車はタクシーか。
 「こんばんは」
 ユウから声を発した。いつものユウの声だった。
 「こんばんは。用件は?」
 極めて事務的な声で質問した。ひぐらしが鳴いている。
 「俺ん家行って、話したいんだけど」
 「それ、行くだけの価値がある話なんですか」
 「俺にとっては」
 「俺様だな、全く」
 そう言って助手席に乗り込んだ。居心地の悪い助手席。

 車中は沈黙が流れ、スピーカーから流れる音楽がその沈黙から救ってくれていた。私は車窓から外を眺めていた。
 冷静に対処するんだ、そう思う反面、心の中はざわざわと五月蠅い音を立てていた。


 ユウのお母さんに「こんばんは」と挨拶をして、部屋のある2階へ上った。いつもならベッドに腰掛ける所だが、今日は床に座った。
 「はい、用件どうぞ」
 「酷く冷たいねぇ」
 「夏仕様です。涼んでよ」

 ユウはコンポにCDをセットして音楽を掛けた。この部屋に何度来ただろう。もう二度と来ることはないと思っていた、ユウの部屋。ベランダで吸う煙草の匂いは、部屋にも染み込んでいる。

 ユウはベッドに腰掛けた。丁度私の真後ろだ。すると突然、後ろから頬に触れられた。大きな掌は熱を持ち、冷え切った私の皮膚に熱を与える。髪にキスをされた。咄嗟に頭を避けた。掌は離れない。
 「何してんの、アンタ。酷暑でおかしくなったのか」
 「やっぱミキのそのツンツンな感じが好きなんだよ」
 そう言って、頬にあった手のひらを、Tシャツの中に入れてきた。

 「やめて、生理だから。それに、する気もない。彼女はどうした?」
 「別れた」
 ユウの低い声が、更に低くなった。
 「なんで?」
 「わかんない」
 Tシャツから手を抜き、肩に手を置いた。肩からユウの熱が入り込む。この人の掌は、大きく、熱い。
 「お前の事が忘れられなくて、お前の話ばっかりしてたら、振られた」

――おおぉっと、意外な展開だ。
 動揺した。動揺を悟られまいと、ユウの顔は絶対に、見ない。ユウの起こした大波に揺られていきそうだ。テトラポットから手を放すんじゃないぞ、自分。
 「そ、それは残念だったね。生憎、私は好きな人がいる。時すでに遅し、ってやつだ」
 ま、好きだけど、一方的に好きなだけ。
 「田口か」
 「ちがーう、断じて違う。ユウの知らない男の人だよ」
 そう、ユウよりも数段大人で、落ち着いていて――ふわふわで、何を考えているのか読めない人。

 「付き合ってるの?その人と」
 「付き合ってないよ。一方的に好きなの」
 カーペットの毛羽立ちを撫でた。撫でた部分だけが色を濃くした。夏にカーペットって、暑くないのかな。そんな事を考える。

 一方的に好きな、連絡もくれない人と、好きだと言ってくれる、かつての人。
 横並びに並べられない。どうしたらいいんだろう。
 「俺はいろいろ考えた結果、お前の事がやっぱりこの世で1番好きだと思ったの。代わりはいないの。お前はもう、俺の事は嫌いなの?」
 「――嫌いじゃない、よ」

 嫌いじゃない。嫌いな訳ないじゃないか。何処にいても、ユウの事が頭をよぎってしまって困っていたぐらいだ。桜と共に散ってしまえと思っていたのに、散らずにドライフラワーのように固定してしまったんだ。嫌いな訳がない。忘れようとしても、忘れられずにいるんだから。振り払おうとしても、まとわりついてくるのはアンタでしょうが。
 やっぱり、ユウの事が好きなんだ。顔を見て、声を聞いて、触れられてしまうと、それまで頑なに頭から排除しようとしていた存在を、自分の手元に引き戻したくなる。肩に置かれた手の上に、私の右手を重ねた。
 「ユウの事は好きだよ。忘れられなかったよ。でも私はいまだに門限を守る堅い子だし、普通の女子みたいに小奇麗にしてないし、何より他にも好きな人がいる」

 そこが問題だった。好きな人が他にもいるのだ。それがなければ、大手広げて、股まで広げて大歓迎だったかもしれない。
 「他に好きな人がいてもいい。今迄のミキでいい。俺の事好きならそれでいい。だからまた、俺の傍にいてよ。彼女になってよ」

 返答に困った。目を瞑った。ユウを選んだら、サトルさんへの思いは消えるのだろうか。消えなかったら――いや、ユウを選ぶのなら、サトルさんへの恋心は消さなければ。二股をかけるなんて、とんでもない。もともと、叶うはずのない恋だった筈。何より、肩に置かれたユウの手から伝わる熱が、私の旺盛な欲望を刺激してしまっていた。あぁ、何たるビッチ。

握った右手に力を込めた。
 「今度裏切ったら、殺すよ」
 「裏切ったらって何?」
 「私を怒らせたらぶっ殺すって事だ」
 後ろを振り向きユウに抱き付いた。そのままベッドに倒れこんで、半年ぶりに抱かれた。

 生理だなんて、嘘だった。


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