.33 呵責
「レイちゃーんっ」
大きく手を振った。2年振りに会うレイちゃんは、相変らず女性らしく小奇麗な服を身に纏い、透き通る笑顔で手を振りかえしてくれた。 「随分久しぶりになっちゃったねぇ。元気にしてた?」 重そうな荷物を片方「持つよ」と言って歩き出した。以前よりも少し痩せた印象だった。 「元気だったよぉ。何かお互いメールのやり取りはしてるのに、実際会うとやっぱり久しぶりって感じがするよね」 今日は短大時代の友達の家に泊まるらしい。駅の近くにあるカフェに向かった。
「レイちゃんはコーラ?」 「もうコーラブームは去ったよ。今は紅茶。ロンドンのお土産の紅茶も美味しくいただいてるよ」 ウェイターさんにケーキセットを2つ、温かい紅茶付で頼んだ。ウェイターさんは、荷物を置くカゴを持ってきてくれた。
「例の彼氏とは同棲しないの?」 レイちゃんは職場の大学医学部で、医者の卵と付き合っている。レイちゃんの家に頻繁に出入りしているとメールに書いてあった事を思い出した。 「同棲ねぇ、向こうはそう言ってるけど、もしその先に結婚を考えてくれてるなら、同棲してもいいかな。ってか、ミキちゃんは結婚前に同棲したんだっけ?」 「してない」 してたら結婚してなかったかも知れない。何ら刺激のない夫婦生活。同棲していたら、お互いが別の方向を見るという事が分かっていたのかも知れない。
「一緒に暮らしてみないと分からない事って、結構あるかも知れないよ。と、同棲未経験の私が言ってみる。彼に、結婚する意志が固いのか訊いてみたら?」 前途ある若い2人にナイスなアドバイスだ。私たちの様な夫婦になってはいけない。 「そうだねぇ。訊いてみようかな」
ケーキセットが運ばれてくる。マーブル模様のシフォンケーキに生クリームが乗っている。行儀が悪いのを承知で、その生クリームをケーキに塗りたくる。 「ミキちゃんと将太君は相変らず?」 「はい、相変わらずどえす」 「そっかぁ。でも、束縛とかされない方が、動きやすいんじゃない?特にミキちゃんはさ、結構男友達も多いし」 「うん、ひまわり君も仲間入りしたしね」 太一君の事は、メールで伝えてあった。レイちゃんは「私も男友達が欲しい」と言っていたっけ。
「そういえば、あの人は?えっと何だっけ。国家試験の時に会いに行ってた人」 サトルさんとの不倫関係に関しては、レイちゃんには刺激が強すぎるので何も伝えていない。タキには「ヤリチン」認定されたサトルさんだ。 「あぁ、長野に引っ越してから東京に戻ってきたみたいだけど、それから連絡取ってないよ」 ごめん、レイちゃん。私はあなたの考えるような綺麗な心の女ではありません。ビッチです。 「そうなんだ、良かった。だって今彼とあんな事やそんな事になってたら、不倫だもんねぇ」 仰る通りです。不倫してるんです。 「さすがにそこまでは出来ないよ、アハハ」 笑ってる場合か。良心が痛むとはこの事か。レイちゃんにエスパー能力が無くて良かったと思った。
たまたまお店の横を通りかかったさいちゃんを捕まえて、「これが噂のイケメンさいちゃんです」と紹介した。 「どこ行くの?」 「ちょっと2番目の妹の所に」 「明後日、報告な」 「へい。そいじゃ」 そう言ってひらりと右手をあげ、彼は女の元へ。
「ほんとだ、凄いイケメンだね。一緒に仕事しててドキドキしない?」 「しない」 「即答だねぇ」 さいちゃんは、会った時から女を誑(たら)し込んでいるような雰囲気を醸し出していたので、「そういう対象」からは端っから外れていた。彼には妹が5人もいるからね。 その後はお互い仕事の愚痴やら家庭の愚痴、彼氏の愚痴を話し、レイちゃんは友達の家へと向かった。
.34 転機
「ミキ、携帯メールのフォルダ分けって出来るの?」
珍しく、私も将太も家にいる休日だった。 「今時どの機種だってそんぐらい出来るでしょ」 将太は本当に機械に弱い。なのに説明書を取り出すという面倒も避けている。 「色んなボタン押してみたんだけど、それらしき項目が見当たらなくてさぁ」 「後で見てあげるよ。ちょっと今いい所だから」 ソファに寝転びながら、持っていた文庫本を掲げて見せた。太一君から借りた小説で、これがまた魅了される面白さなのだ。そういえば漫画、貸したままだった。
「ちょっと俺、出てくるから」 目をやると、外を指さしていた。 「パチンコ?」 「うん。あと買い物」 「いってらー」 小説に目を戻した。
暫く小説に没頭していたが、突然テーブルの上の携帯電話が鳴った。自分の携帯ではなく将太の携帯だった。忘れて行ったのか。 表示された名前を見ると、お義母さんの名前だった。出るか迷ったが、通話ボタンを押した。
「あ、お義母さん、ミキです。ご無沙汰してます」 『あ、ミキちゃん?将太いる?』 パチンコ、とは言わない方がいいのか。 「今買い物に出てますけど、ご用件伝えましょうか?」 『何かね、お金が足りないとか言ってたから、振り込んだんだけど。40万振り込んだから、確認できたら連絡くれって伝えてくれる?』 40万?そんなにママからお小遣いを貰ったのかっ。恐ろしい。 「あ、はい。分かりました。伝えます」
家賃の件、話したんだろうか。普通、いきなり母親に相談するか?少なくとも大手企業で働いていて、それなりに収入のある嫁が1つ屋根の下にいるのだから、嫁に相談するべきだろう。これだからマザコン属性は――。
携帯を触ったついでにフォルダ作製でもするか、とメール画面を開いた。殆どが私からの事務的なメールだが、その中に「みゆき」という名前があった。
開いて驚いた。その「みゆき」と思しき女性の、自分で撮ったと思われる裸体の写真が添付されていた。悔しいけれど、私よりいいカラダだった。 本当はこんなメール、見てはいけないんだと思うんだけど、1つ見てしまうと他のメールも見てしまうのが人間ってものだ。怖いもの見たさで他のメールも開くと、待ち合わせのメール、また別の写真メール、色々と出てきた。送信メールもまた酷いもので、将太のムスコの写真が添付してあるわ、私の悪口を書き連ねてあるわ、もう――。
見なかった事にしよう。記憶からは消えないけど、見なかった事にしよう。フォルダ分けは後で教えよう。とりあえず、お義母さんからの電話の事だけを伝えよう。 あぁ、何か凄く動揺してる、私。小説が頭に入ってこなくなった。将太が不倫してる。自分の事を棚にあげちゃうけど、将太は不倫してる。
2時間程してから将太が家に戻ってきた。 「今日は駄目そうだったから諦めて帰ってきた。携帯持って行くの忘れてたよ」 頭を掻きながら部屋に入ってきた。駄目そう?パチンコか。 「お義母さんから電話が来たよ。お金、振り込んだから確認してくれって。40万」 「あ、そう」 あ、そう、だと?
「あのさぁ、お金の相談って、いの一番にお義母さんにする物なの?私の一般的な常識が外れてたらごめんね。でも一般的に考えて、一緒に住んでいる嫁に相談するのが、スジではないの?」 キっと睨みをきかせる私の目に射抜かれぬように、将太の目は左右に揺れる。 「だって男として恥ずかしいじゃん。金が無いとか」 「金が無くて家賃が払えなかったのはもう知ってる事なんだからさぁ。言えばいいじゃん。貸してとか。夫婦なんだから」
夫婦なんだよね?あれ、違ったっけ?将太は目を逸らしたままでその場を立ち去りながら言う。 「今度からそうする」 「いや、今度は無くていい」 携帯メールの事は黙っていた。だって、人の事、言える立場じゃないし。
その後、小説を読み終わったところでメールのフォルダの分け方を簡単に説明した。そして将太はインターネット、私はギターの練習に没頭した。
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