20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:キャッチ・アンド・リリース 作者:SO-AIR

第16回   16
.31 黒い星


 12月に入った。ロンドンに行くまであと1ヶ月となり、タキとは頻繁に連絡を取り合い、現地にいる4日間をいかに有意義に過ごすか、話し合っている。

 そんな中、太一君がまた東京に来るという。今度は私がおすすめのお店に連れて行ってくれと言われたので、会社の人に教えてもらったカレー屋さんに行く事にした。前回と同様、友達に車を借りて迎えに来てくれた。
 私は昼間、バンドのスタジオリハがあったので一度楽器を置きに家に戻り、夕方に待ち合わせて出かけた。将太は仕事で不在だった。

 「江の島に向かってください」
 「江の島ね、今ナビ設定するから」
 慣れない手つきで、「俺の車のナビと違うからなぁ」と呟きながら、灯台マークがついた江の島にルート設定をして出発した。
 「江の島の手前にあるんだけどね、親睦会旅行の時に寄ったんだ。私カレー嫌いなんだけど、その店のカレーは、私のカレーの概念を覆すほど美味しかったんだ」
 「凄い壮大な話だけど、結局はカレー屋さんなんだよね」
 「ふん、そんな風に軽く考えていては罰が当たるぜ、太一君よぅ」

 江の島へ向かう海沿いの道路を右折し、住宅街へ入る。坂を上り切ったところにそのお店がある。夕飯には少し早い時間ではあるが、3組の客が外で待っていた。その後ろに並んで順番を待つ。
 「寒いね、海風が上がってくる」
 「俺、新潟の内陸に住んでるから、海の匂いがするのって新鮮でいいなぁ」
 と言って深呼吸をする。私も寒さに腕を抱えながらスーッと深呼吸をしてみた。本当だ、海の匂いがする。
 「ねぇ、お勧めのカレーは何?」
 「お勧めは店員に訊いてくれ」
 「あ、冷たいのね」
 「待ってる間に心も体もすっかり冷えちゃったんだよ」
 そう言って顔を見合わせて。勿論、太一君は冬場でもひまわりのような笑顔で笑っている。ひまわりの様に、背が高い。降り注がれるような笑顔が、今の私には眩し過ぎる。

 店内に案内され、私は海老のカレーを、太一君は店員さんにお勧めを聞いて、キーマカレーを注文した。
 「海の近くなんだから、海の幸のカレーを頼むべきだと思うよ」
 「何だ、先にそう言ってよぉ」
 太一君は口を尖らせたが、目は笑っていた。

 正月にロンドンに行く話をすると、「俺も行ってみたいんだよ」と食いついてきた。
 よくよく話を聞いてみると、私が高校時代にはまっていたバンドに、彼もはまっていたらしい。そのバンドが頻繁にロンドンでレコーディングしていたのを知り、ロンドンに憧れを抱いているらしい。
 太一君の笑顔と私の笑顔は正反対だけど、色んな趣向が似通ってるんだな、と思って更に「いいな」と思った。


 食後、江の島に向かおうと車に乗ったと同時に、雨がフロントガラスに落ちる音がした。徐々に音は増していく。
 「傘、持ってる?」
 「ない、ミキちゃんは?」
 「なーい」
 天気予報なんて当てにならないなぁとぼやきながら太一君は後部座席に顔を突っ込んで左右に目をやり「あ、1本あった」と言った。

 江の島にはすぐ到着した。適当な路肩に車を停めた。雨脚は少し強まっていた。後部座席にあった傘を私に差出し、太一君は丸腰で車を降りた。私は渡された傘をさして車を降り、すぐに太一君を傘の下に招き入れようとした。しかしそそれをかわされた。
 「あ、俺はほら、いいよ。一応あの、人妻だし、相合傘みたいのは、ねぇ」
 暗がりでも分かるぐらいに顔を耳まで赤くし、相当しどろもどろになっていて滑稽だった。
 「いいよ、風邪ひくし。相合傘なんて中高生でもやってるって。大丈夫。誰も見てないし。」
 そう?と遠慮気味に傘の下に入った。「肩濡れちゃうよ」と言って、少し近づくと、身体を固くしたのが伝わった。

 人妻と言われて、何だか実感が湧かなかった。左手の薬指につけた指輪は確かに結婚指輪ではあるけれど、サイパンの小さなチャペルで「2人を死が分かつまで」なんて宣誓もあったけれど、死が分かつまで2人そっぽ向いて過ごすのか。私はそんな事は望んではいない。でも、何を望んでいるんだろう。
 今の、好き勝手に過ごすこの時間に何ら不満はないのだ。だから将太に文句のつけようがない。そんな事を考えているうちに、「結婚」という物の意味が益々分からなくなってくる。

 ロープウェイが営業していなかったので、頂上まで登る事を諦めた。雨が降っている事もあり、人は殆どいなかったし、すっかり暗くなってしまったので、すぐに山を下りた。車に戻る頃には雨が上がった。傘は車に仕舞った。

 何かを思いついたように、太一君が「そうだ」と言った。
 「花火、やろうよっ。海岸で花火やろう」
 「え、だって冬だよ?12月だよ?」
 「いいじゃん、きっと海の近くだからその辺のコンビニには花火が売ってるよ」
 いや、さすがに12月に花火は売ってないだろう。どんだけ売れ残ったんだよ。きっと湿気ちゃって火がつかないよ。
 それでも何だか目を煌めかせている夜のひまわりは、やる気満々なので、とりあえず近くのコンビニに行ってみる事にした。
 ――あった。種類は限られるけど、花火が売ってる。
 「ほらね、売ってるでしょ」
 ちょっと得意げに言って、ロケット花火と線香花火を何本か買って、お店を出た。
 「本当に売ってたねぇ。凄いねぇ」
 「実は凄く自信なかったんだけどね、アハハ」
 カラリと笑うひまわり君。そのまま歩いて海岸へ出て、まずはロケット花火をぶっ放した。

 「うわ、こっち向けんなっ」
 「ミキちゃん、どけーっ」
 「マジで狙わないで、頼むから、300円あげるからーっ」

 足場の悪い砂浜を駆けずり回った。私も負けじとロケット花火に火をつけ、太一君を狙う振りをして海に向かって花火を飛ばす。
 腹を抱えて笑い、笑いすぎて苦しくなって、あぁこんなに笑ったのっていつ振りだろう、なんて思った。こんな風に笑うのって、幸せだなと思った。そんな不意を突かれてロケット花火が飛んでくる。

 ロケット花火が終わると、石段に座って線香花火をした。人が殆どいない海岸で、静かな波の消えて行く音と、まるで炭酸がはじけるような線香花火の儚い音を聞いていた。2人無言だった。最後の線香花火は太一君が火をつけた。
 「絶対にフゥーとか、息で消そうとするのやめろよ」
 「やんないよ、子供じゃあるまいし」
 そう私は言って、火が付いたとたんにフーっと息を飛ばし、「だからっ」と太一君に肩を押され、またケタケタ笑った。そして打ち上げ花火をそのまま小さくしたような、可憐な火の粉を飛ばし、最後の赤い光がぽとっと石段に落ち、すぐに消えた。

 「冬に花火した事なんて初めて」
 「俺も初めて。夏は皆が花火やってるから、ロケット花火も自由に打てないよね」
 その命を終えた線香花火をひとつに束ねながら言った。
 「私は旦那がいるけど、こうやって他の男の人とゲラゲラ笑って遊ぶのはアリだと思ってるんだ。旦那とはこんな楽しい事、しないし」
 「ミキちゃんは普通の結婚生活をしてないんだね。普通なら、旦那さんは嫉妬に燃えて、俺は殺されていると思うよ」
 普通ならねぇ、と俯く。

 「でもさ、俺はこういうの楽しいし、旦那さんも了解してくれてるんだったら、これからも誘ってもいい?」
 珍しく顔を固くして、目もあわさずに訊いた。
 「勿論。でも彼女がいる北海道にも時々足を運ぶんだよ。そしてこんな変な女と遊んでる事は秘密にするんだよ」

 ふ、と空気が緩んだ。
 「良かったぁ。急に真面目な話になったから、もうこういうのやめようって言われるかと思ったよ」
 海を見ながらそのひまわりは、冬の海で大きく花びらを開き、冷たい潮風を受けていた。



.32 信仰


 元旦の朝早く、荷物を詰め込んだ旅行鞄とパスポートを持った事を確認し、成田空港へ向かった。遅刻常習者のタキは珍しく時間通りに到着し、スムーズにチェックイン。ロンドン、ヒースロー空港へ発った。
 フライト時間12時間。時には雑談、時には睡眠、映画、食事。機内で退屈する暇はあまりなかった。そしてタキはトイレがやたら近かった。

 到着したヒースロー空港は、確かに絨毯の匂い。古い絨毯の匂いがした。空港からはバスでホテルへ向かい、そこからは自由行動となったが、もう現地時間では夕刻だったため、そのままホテルで休んだ。ホテルでは「土足にするか、裸足にするか」で迷った。

 翌日、午前はツアーに参加し、午後は憧れのアフタヌーンティをしに行った。気ばっかり遣って、何だか居心地が悪かった。英語が堪能でないと、海外旅行は満喫できないものだ。
 その翌日は2人とも単独行動をとった。私はロンドンの中心街をぶらつき、日本では買えない丈の長いパンツを買ったり、将太へのお土産にスニーカーを買ったりと、殆どショッピングに費やした。
 最終日はタキと2人で大英博物館へ行ったが、何が凄いのか分からないまま「へぇー」「ふーん」を連呼し、そこを後にした。

 ただただ憧れだったロンドンに行けた事が楽しくて、嬉しくて、帰国した後に年賀状の山と格闘しなければならない事なんて考えていなかった。

 将太にお土産のスニーカーを渡すと、嬉しそうに履いて見せてくれた。「日本に売ってない色なんだよこれ」と、プレミア物が好きな将太らしい喜び方だった。
 私はその喜んだ顔を見届け、年賀状の山をグルーピングする作業に移った。明日から仕事だというのに、今から職場の人に年賀状を返すなんて、妙な話だ。
 
 
 仕事始めの日、恒例行事として職場全員で近くの神社に達磨を納めに行く。そしてお御籤をひく。大吉が出ない事で有名な神社だ。
 「吉」だった。何ともコメントがし難い。さいちゃんは「大吉」だった。逆に怖いな、と周囲から笑われていた。それから新年会に突入し、家に着いたのは23時過ぎだった。
 
 
 家の電話の留守電ランプが点滅していた。

 『大家の竹下です。明けましておめでとうございます。先月、先々月と家賃が振り込まれていません。至急振り込みをお願いします。』

 家賃が振り込まれていない?
 家賃の振り込みは将太にお願いしている。私が半額を将太に渡し、将太が全額を大家さんの指定口座に振り込むという形をとっている。
 それなのに2ヶ月も振り込まれていない?私は確実に、給料が支給されたその日に家賃の半額をATMで引き落とし、将太に手渡している。将太に確認しなきゃ。

 シャワーを浴び終えて雑誌をぱらぱら捲っていると、日付が変わった頃に将太が帰宅した。

 「ねぇ、大家さんから留守電入ってたんだけど、家賃が振り込まれてないって。どういう事?」
 責める訳ではなく、単純な疑問として問い掛けた。口座を間違えているとか、何かの手違いで入金されていないのではないかと思っていたからだ。

 しかし返ってきた答えは、私を酷く落胆させる物だった。
 「あぁ、色々と欲しいものをオクで買ってたら、お金が足りなくなっちゃってさぁ。パチンコで取り戻そうとしたら逆にスっちゃって。今月の給料が入ったら3か月分、きちんと振り込むから。大家さんにそう電話しといてよ」

 カチンと来た。ふざけんな、私はお前のかーちゃんか。
 「ちょっと待ってよ、私はきちんと払う物払ってるでしょ。落ち度は将太にあるんだから、将太が電話して、きちんと謝るべきでしょ。それに、まとめて3か月分なんて、今の状態で無理なんでしょ。口座すっからかんでしょ。竹下さんは、『至急2か月分』って言ってたけど、その様子じゃ2か月だって怪しい。どーすんの」
 将太はまいったなぁとばかりに頭をかきむしりながらその場をぐるぐる行き来して、何か観念したように言った。
 「分かった。何とかする。竹下さんには俺が電話しておくから」

 当たり前だ。プレミア付のフィギュアだかおもちゃだか知ったこっちゃない。買うのは自由だ。パチンコだって趣味の範囲で、持っているお金でやる分には構わない。
 が、1人の社会人として家賃の滞納なんて恥ずかしい事だ。私が渡したお金は、彼の趣味に消えたわけだ。どうにかしてお金を工面させなければ。私の貯金から出すか――。
 
 今年はスタートからして「吉」だ。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 3006